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“ぼ”うそうする“そ”うぞう このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-01-21

Kiss

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 彼は、もう随分と長いこと彼女に恋をしていた。彼にとっては彼女が全てだった。彼女が笑えば彼も笑い、彼女が泣けば彼も泣いた。それ程深く彼女を愛していた。
 彼女も勿論、長いこと彼に恋をしていた。彼女にとっても彼が全てだった。彼が笑えば彼女も笑い、彼が泣けば彼女も泣いた。それ程深く彼を愛していた。

 この世に生まれ落ちた瞬間に彼等は出会い、そして恋をした。他の何人も彼等の目に入ることはなかった。入る必要もなかった。彼がいて、彼女がいる。それだけでよかった。それだけが真実だった。
 だから彼等はいつも一緒にいた。片時も離れることはなかった。仮に離れたとしても、彼等の心は完全に通じ合っていた。喜びも怒りも悲しみも、ありとあらゆる感情と感動を彼等は共有した。

 しかし、そんなに愛し合っているにも拘らず、彼はその手で愛しい彼女の髪に触れたこともなかったし、彼女はその躰を暖かい彼の胸にあずけたこともなかった。
 何故なら、お互いにお互いが『向こう側』の人だったから。決して行くことのできない『向こう側』に、愛しい人はいるのだから。
 そのことを思い出す度、彼等の頬には涙がつたった。彼等はいつも二人で泣いた。彼女が泣けば彼も泣き、彼が泣けば彼女も泣いた。

 ひとしきり泣いた後、彼等は必ずKissをした。永遠に変わらぬ、真実の愛を込めて、冷たいガラス越しのKissを。


 鉄格子に囲まれた薄暗い病室の中で、独りぼっちの患者が、鏡にそっとKissをした。


1993年8月執筆>