防音協和線

2006-07-02

Kunastrokius20060702

ごあいさつ

家を出ていた姉と一週間ぶりに言葉を交わした。おそらく、これが最後の会話になるだろう。

「お別れね」

少し憂鬱そうな口調で姉は言った。だがその眼は変わらず優しげだ。十年以上も前、父と母が交通事故で亡くなったと報せを受けたときも。その後引き取られた先で、酔っ払った叔父に毎晩殴られていたときも。姉といた二十一年間、彼女の眼はいつも穏やかだった。その眼はまるで、あらゆる負の感情を、あるいは喜びや楽しささえも、区別無く受け容れて、味わうことなしに、ただ茫洋とした広がりの中に漂わせる海のようだった。

「そうだね」

帰ってきた姉と会って以来、少しずつ心に湧いてきた別れの実感を確かめながら、私は答えた。

それから私たちは、できるだけいつもと同じように、くだらない話をした。

「最後にひとつだけお願いがあるの」

向こうから、何条にも重なり交わる車とヘリコプターライトを背に、管理委員会の人間たちが歩いてくるのを見て、約束の時間が来たことを姉は悟ったのだ。

「これを」

体の左側から生えた六十五本の腕が、私に向かっていっせいに突き出される。激しく上下する腕と指たちの中で、唯一拳を握り締めてじっと動かないものがあった。同心円状に押し閉じられている二十本の指を一本ずつ開くと、一枚の紙片が現れた。英数字の羅列がプリントされている。掌からにじみ出る体液で少しぼやけていたが、なんとか文字の判別はつく。

「私のパソコンパスワードよ。何をすればいいかは、ログインすれば分かるわ。」

そう言うと姉は、脚を回転させながら、腹這いになってゆっくりと、光の方へ進んでゆく。その跡に糸を引く黄色い粘液を踏まないように注意しながら、私は小走りで姉の隣に行く。

「あなたを裂き喰らっても何も感じないようになる前に、さよならしなくてはね。」

一週間前、姉は突然わけの分からないことを叫びながら二階の自室から飛び降り、そのまま闇の中へ駆け出したのだった。捜索隊が発見したときにはもう手遅れだった。クシムベラベニとなった者はもはやそれまでのように生きることはできない。今の今まで彼女の意識が正常に保たれていたことも、奇跡に近いことだったのだ。

それでも姉の眼は穏やかだった。走りながら私と目が合うと、顔面にアトランダムに配された七つの目がにっこりと細まる。もはや人ではなくなった身と、いつもと変わらぬ瞳。その対比が、一層私の心を掻き乱した。

「それじゃあね。無駄遣いしちゃだめよ。」

それが最後の言葉だった。


家に帰ってひとしきり泣いた後、姉の言葉を思い出し、私は彼女の部屋に入った。パソコンはスリープ状態になっていた。憑かれて家を飛び出したときからそのままにされていたのだろう。

スリープを解き、渡された紙に書かれたパスワードを入力すると、急にブラウザと、ドキュメントフォルダウィンドウが立ち上がった。

ドキュメントフォルダにはWordファイルが何十個も収められていた。ひとつを開く。それは物語だった。

ブラウザウィンドウを見る。ファック文芸部の参加ページだった。

「ひとこと」欄にはこう書いてあった。

グループに参加」のページを開いては最小化し、また開いては閉じることを繰り返して2時間。

ようやく恥に塗れる覚悟がつきました。ファック文芸部、参加させていただきます。

何が書きたいのかもわからない。でも、そこかしこで言葉が紡がれてゆく様を見ていて、もうただの観客ではいられなくなりました。

せいぜい無様に踊り狂いたいと思います。


私は、全てを悟った。

姉は嘘をつきたかったのだ。だから思いついた嘘を言葉にしては、パソコンに溜め込んでいたのだ。

しかし、もう嘘がつけなくなったから、その嘘で今度は人を騙すよう、私に託したのだ。


わかった。私がお姉ちゃんの願いを叶えてあげる。お姉ちゃんが生きていた証を、ここに残してあげる。

でも、お姉ちゃんが嘘つきだと知っているのは、私だけでいい。


私は一言欄が空白に戻ったのを確認して、「参加を申請する」ボタンを押した。

時刻は午前三時を回っていた。わずかに薄らぎ始めた闇の向こうで、私は鳥の声を聞いたような気がした。

私信

以上が、参加申請のひとこと欄が空白だった理由です。

決して、書いたものが全て消えていることに気づいたのが「参加を申請する」ボタンを押した瞬間だったとか、メモ帳からのコピペだったから文章自体は無事で、「これそのままネタに利用できるんじゃね?」と思ったとか、単に謝りたくないだけだとか、「あのひとこと欄は炙り出しです!」という言い訳は流石に無理だったとか、そういう訳ではありません。本当です。信じてください。信じないでください。

extrameganeextramegane 2006/07/04 09:04 はじめまして。「あれ? 小説を書きませんかってコメント来ないんですか?」っていう感じですよね。みんな飽きたのかな。
素敵なお姉さんをお持ちですね。自分もここに入るときの記録をしておけばよかった、意外と忘れちゃうものだな、と後悔してます。してません。

comnnocomcomnnocom 2006/07/04 12:45 なんというか久しぶりの新入部員でみんな接し方を忘れているような気がします。そんな集団です。だから敷居が高いと思われてしまうのかもしれませんね。
というわけで、挨拶が遅れましてすみません。
はじめまして、萌えをエネルギーとする動力が普及した世界を描くSF小説を書きませんか。

objectOobjectO 2006/07/04 13:48 はじめまして。書きませんかといわれなかったときには「書いてもいいですか」です。嘘を吐く喜びを小説に書きませんか。

duke565duke565 2006/07/04 16:42 はじめまして。異常に遅れた萌えブーム真っ最中のファ文によく飛び込んでまいられました。僕は敬意を表するッ!
萌という名前であるがゆえにアキバの女帝にまで登りつめる事になったメイドさんの自伝小説を書きませんか。

KunastrokiusKunastrokius 2006/07/05 02:35 はじめまして。夜のテンションに任せて入部してしまいました。
萌えエネルギー実用化に揺れる秋葉原でのし上がってゆくメイド「萌」の物語を書いてやりたいんですがかまいませんね!!

hanhanshanhans 2006/07/05 11:41 はじめまして。みんなコメントしなかったのは、侵入部員に対する新たな罠であったという小説を書きませんか、と言いたいところですが、やりたいものがあるならかまいませんよ。何様でしょう。
まあ、本当の所はこれが敷居を高くしてたのかなぁと、反省してたのがありますよ、私。何様でしょう。

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