東邪西毒

2014-04-27

DARKSOULSⅡ SS 《篝火》

篝火のそばで私は自分の掌をじっと見つめていた。

硬くなめされたような茶色の皮膚からその下にある骨の形が浮き出て見える。

面白くもなく美しくもないそれを、私はただただ眺めていた。

熱心な興味もなく、かと言って何かを観察する冷静さや目的もなく。

ただただ、眺めていたのだ。

亡者のような手を、亡者のような時間の中で。

こうやって篝火の近くに座り込んでから、何時間経っただろう。もしかしたら日の単位で経ってるのかもしれない。

しかし、たったの数時間あるいは数日を無為に過ごした?

だったらなんだと言うのだ。

不死者には無限の時間があるのだ。

マデューラの塩辛い風に吹かれながら照り返す海を眺め続ける時間が、

陰鬱に曇った空とそこに旋回する烏たちを背に聳える荒涼たる王城を見ながら溜息をつく時間が、

寂しい塔の回廊で何か忌まわしい存在が自分の跡をつけてやこないかとびくびく怯えながら過ごす時間が、

かつては人の姿をしていたであろう者に袈裟懸けに斬られる時間が、

足を踏み外して高所から落下し、己の骨がすべて砕け、急速に血管から血が、頭蓋から中身が、流れてゆくの感じる時間が、

ごぼごぼと緩慢に肺に水が入ってくるのを感じる時間が、

篝火のそばで塑像のように動かなくなってしまう時間が。

時間、時間、時間、時間。

時間は腐るほどあり……そして決して腐らなかった。

肉体が腐り落ちて無に戻る時間だけはどこを探してもなかった。

私はここに来るまでに何度かソウルを失い、手持ちの『人の像』も残すところあと一つになっている。

今、それは私のポケットの奥深くにしまわれている。

それを取り出し、この手のひらにのせて、そのうえで掌を見つめ続けるのならばそれは意味のある行いだろう。

その像は暗い色をしている。

干した根を縒り合せたような硬い繊維で無骨に編まれているのに、それは不思議と手になじみ、あたたかく柔らかい。

その像をじっと眺めると、それがなんとなく自分の似姿のように見えてきて、過去の自分が見てきたさまざまな景色が脳裏をよぎる。

生家のベッドに横たわった時に見える天井の模様、自室の窓を横切るように張り出した楡の木の枝、跳ねるように動いては首を傾げる雲雀、屋敷の北の壁を覆う蔦、厩舎で時折家畜のいななく声、厨房の大釜でぐつぐつと粥を煮る音、暖炉のある居間で裁縫する媼たちの歌うような喋り方、書斎で古文書のページを繰る時の音、石造りの井戸のそばに咲いている鈴蘭、村はずれにある崩れ落ちて苔むした僧院の門、夏至祭にかかる月、風でうねる黄金色の畑、水しぶきをあげる滝、母の銀の髪の房、もう見ることのないであろう彼の笑顔。

そんな風にしているうちに自分の干からびた手が完全に気にならなくなり、幻燈のような過去の光景にばかりに気をとられるようになる。次にふっと我に返った瞬間、手のひらにのっていたはずの人の像は忽然と消えており、その代わりふっくらと血肉を伴った己の空っぽの掌が目に入るのだ。なにもかも元通りになった掌が。

ドラングレイグに旅に出る前の血色の良かった頃の己の掌が。

だから、その行いには意味があるだろう。

しかし、私は人の像を上衣の奥にしっかりとしまいこんだまま、ただただ空の掌を眺め続けていた。

無益なことだ。

無益なことだが、それでもここで悪あがきをして事態がより悪くなるよりはいくぶんましかもしれない、と思う。

今、最後の人の像を使って、次にソウルを失うような目に合えば、私は今度こそ緩慢に亡者への道を転がり落ち、二度と這い上がれないかもしれない。

篝火の外にたむろする者どもと同じように永遠にこの風景の一部と化すのかもしれない。

そうだ、そうなるくらいだったらずっとここに居た方がいいのだろう。

篝火の周囲は暖かく、不思議な力で守られている。

ここに居ればもう痛い思いも、苦しい思いもしなくていい。

……怖い思いも。

そこまで考えた時、ガリガリに痩せさらばえた自分の指が小刻みに震えているのに気がついた。もう骨と皮だけになって内臓の感覚すら鈍っているはずなのに、きゅっと胃が縮みあがって吐き気がする。私は両腕で自分の体を力いっぱい抱きしめ、唇を噛みながら、念じる。

忘れろ、忘れろ、忘れろ、と。

これまでの旅の途上に故郷での生活をふと思い出してしまった時によくやったように。

やらざるを得なかったように。

それは自分にとっては心を仕切りなおす儀式でとっくの前に慣れっこになっていた筈だったのに、今度ばかりはあまり上手くいかなかった。

塔の地下で私を粉々に砕いた巨人の記憶は、巨人がのっそりと視界いっぱいに迫ってきた時に胸に広がった真黒い感覚は、容易には脳裏を去らなかった。

「うぅ……」

喉の奥から情けない、本当に情けない呻きが出た。

苦痛には慣れたつもりだった。

無限に繰り返されるように思える地獄の景色の一枚一枚を剥いで、それが無限でないということを証明してやるのだと自分に言い聞かせた。

事実、徐々に道は開けた。

同じことの繰り返し、同じ苦しみの繰り返しに見えながらも経験からくるわずかな判断の差に活路があった。

この細々とした光の差さぬ隘路を傷だらけになりながらも注意深く歩いてゆけばいずれは王の元へと辿り着けるように思った。

なにせ自分には膨大な時間という資産があるのだから。

それでもあの巨人の頭部、人ならば顔面に相当するところにぽっかりと空いた洞が自分を『視た』と感じた時、自分の中で何かが崩れた。

――もう、ここから動きたくない。二度とあいつの姿を見たくない。

体を抱きかかえるように丸めて、腕と胸に顔をうずめた。

こうすればもう何も見えない。もう何も見なくてもいい。

世界は色と形をなくした。

色と形がなければ過去も未来もきっとなくなるだろう。

全く光のない世界の中で、一心にそう思おうとする。

それでも音だけは、篝火がぱちぱちとはぜる音だけは耳に伝わった。

なぐさめるような、たしなめるような音だ。

そして、熱も。

さっき骨の髄まで凍ったように感じられたが、今は篝火の熱で皮膚がぼんやりとあたたかく感じられた。

篝火の音と熱に包まれているうちに、私は少し落ち着きを取り戻す。

両頬がひどく濡れてしまっている。何か拭う布きれでもないかと懐に手を突っ込んでみたら指先にコツンと触れるものがあった。

なんだろうと引っ張りだしてみると、以前にこの近くで言葉を交わした槍兵風の男から貰った白いチョークだった。