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2006-07-05

『世界の中心で、愛をさけぶ』のを、眺めるおれ。

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はてブのお気に入りを見てたら、xx-internetさんがこんなサイトブクマしていた。


【ワーナー公式】映画(ブルーレイ,DVD & 4K UHD/デジタル配信)|僕の、世界の中心は、君だ。


韓国リメイクされたセカチューらしい。

xxさんのセカチューに対する情念もたいがいだけど、それで数々の創作をしてるんだから、いいツンデレだとおもう。


ところで、なんでこんな話をしだしたのかというと、自分もセカチューとは浅からぬ因縁がありまして、と言うほどでもないんだけど、なんとなくほっとけない感じ。


今までに接したセカチュー

こんだけセカチューを読んだり見たりしてる人ってあんまいないんじゃなかろうか。少なくとも、ファ文内ではいないような気がする。

じゃあ、おれはセカチューが好きなのか。決してそんなことはない。もっともっと好きな小説映画漫画ドラマはいくらでもある。なのにこんなに関わってるのはなんでだろ。それを振り返ってみよう。


多分ことの始まりは、あれだ。後輩が持っていたセカチューの単行本。会話のきっかけにと思って、話しかけたのだ。

「それ、もしかしてセカチュー?」

まあ、あんまりにも話題になってたから、興味がなかったと言えば嘘になるだろう。

「そうですよ。私も友達から借りててさっき読み終わったんですけど。読みたいですか?」

「え、あー……、そうやね。読みたいかな。」

「一晩だったら貸せますよ。」

「ほんとに? 多分すぐ読めそうだし、じゃあ借りよっかな。」

というわけで、セカチューとのファーストコンタクトはあっけなく終わった。帰りの電車で半分ぐらい読んでしまって、家についてからも、あまり盛り上がりを感じることなく読み通してしまった。

もちろん泣かなかった。

次の日、後輩に「どう思いました? 私は答えが出ませんでした。」と聞かれて、返答に困ったのを覚えている。俺も答えなんか出ていない、というか考えていない。ごめんよ後輩。


そもそも、セカチューのあらすじは、これを読んでるほとんどの方がご存知だろう。一行で言うと、

恋人が死んだら悲しい」

である。当たり前すぎて困ってしまう。普通はそんな当たり前すぎることを伝えるためだけに小説なんか書かない。そんな素直な奴は小説なんか書かない。

でも逆に、そんな当たり前なことを伝えると言う一点で、この小説は成り立っている。だから、普段回りくどい小説を読んでる小説読みがセカチューを読むと、なんか困ってしまう。「え、それだけ?」「で、なんなの?」あまつさえ「なんか隠された意図があるのではないか?」とか勘ぐってしまう。

セカチューはそういった小説読みを対象からばっさり切り捨てることで商業的に成功したのではないか。


ところで、古今東西「恋人が死んだら悲しい」と言う素材はありとあらゆる調理をされてきた。恋人が死んで、自分も死んで、お互い殺してみたり、かと思えば幽霊になってみたり、生き返ったり。

しかしセカチューは違う。素材を素材のまま届けてくれた。

よい素材を目の前にして、料理したくならない料理人はいない。で、映画化である。


確か、映画を見に行ったきっかけはうちの妹さんである。

うちは兄妹そろってわりとドラマ好きで、好きな役者も大体似通っている。映画の主演は森山未來長澤まさみである。さらに大沢たかおと柴咲コウである。今気付いたが、上げた四人のうち三人の名が、かなである。が、それは別にどうでもいい。

とにかく、出演陣が我々のツボに入ったので観に行った。多分一人だったら行かなかっただろう。

映画ではひたすら美しい風景、情景、そして恋が描かれる。原作淡々とした描写が映像を得るとこうなるものかと感心していた。が、ストーリー自体はよく知っているものだし、驚きはない。

ただ、原作にはいない柴崎コウの役どころと、サクとアキが交換していたカセットテープとの絡ませ方はなるほどねと思った。二人の主役ではなく、柴咲コウの方に感情移入して、ちょっとぐっと来た。泣かなかったけど。


とまあ、映画を見たことで俺の中のセカチューの盛り上がり、盛り上がりと言うほど盛り上がっていないけど、とにかくその波は引いていった。と思っていたところにドラマ化である。サク役は山田孝之、アキ役は綾瀬はるか山田さんはまたもや妹さんのツボである。『ちゅらさん』からずっと注目してたから、相当なもんである。結局ドラマもそれなりに見ることになるんだけど、その理由は今回は役者じゃなかった。演出家堤幸彦である。まったく、神様はおれをセカチューから遠ざけたくないらしい。


堤幸彦との出会いは『ケイゾク』である。あまりにも面白くて、ネットで検索するうち、演出家が有名な人であることを知った。それ以降、ドラマを見るときに演出家の名前を気にするようになった記念すべき作品だ。

セカチュードラマ版を演出するまでに堤はたくさんのドラマを撮っている。『金田一少年の事件簿』、『トリック』、『池袋ウエストゲートパーク』……

並べれば並べるほどクセの強い作品が多い。そんな堤がセカチューである。

いったいどうなるの、観るしかねーじゃん。

で、みた。

そもそもセカチューはそんなに長くない小説である。映画版でも2時間でオリジナル要素を入っても無理のないシナリオである。

ところが連続ドラマはトータルで10時間程度ある。こりゃあかなりの追加要素がないと持たないぞ、と思ったら、やっぱりあった。

でも、あんまり覚えてないんだよなあ。しっかり観てなかったからなんだけど、しっかり観ようという魅力が感じられなかったのも確か。大人になったサクがあまりにも挙動不審で変な人に見えたのは明確に覚えている。これが堤演出だったのだろうか。


ひとつだけ、映画版ドラマ版で比較して書いておきたいことがある。それは主題歌についてだ。映画版平井堅の『瞳を閉じて』、ドラマ版は柴咲コウの『かたちあるもの』が主題歌なんだけど、この歌詞がそれぞれサクとアキの視点で描かれているように思われるのだ。

例えば『瞳を閉じて』では

瞳を閉じて 君を描くよ それだけでいい

たとえ季節が僕を残して 色を変えようとも

記憶の中に君を探すよ それだけでいい

なくしたものを 超える強さを

君がくれたから


対して、『かたちあるもの』

泣きたいときや苦しいときは

私を思い出してくれればいい

寄り添える場所遠い夏の日

温もり 生きる喜び

全ての心に

この辺、どこまで狙ってるのか分からないけど、少なくともあと出しのドラマ版では、多分考えてたのだと思う。

はっきり言って、『世界の中心で、愛をさけぶ』の名を冠する作品は、それぞれ単体ではたいした事ないと思う。でも、主題歌のことは一例だが、こんな感じでおれの中で全部一緒の体験として記憶されていて、その存在は小さくない。間違いなくおれの成分のひとつだ。


こうして、おれのとセカチューとの関係は終わった。と思っていた。

そしたらイン殺さんである。

おれの大好きなウェブサイトであるインターネット殺人事件の管理人であるところのxxさんである。

そこからもたらされた韓国セカチュー。おれは逃げられないのだろうか。多分観るんだろう。今回は妹さんも興味はなさそうだ。

おれの中のセカチューという成分に、この映画がどんな影響を与えるか、楽しみではないけれど、気になる。


ちなみに漫画版については語るところがないので、語りません。

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