-N-t-S-d- このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-07-31

漆黒鉛筆(8/100話)

| 漆黒鉛筆(8/100話) - -N-t-S-d- を含むブックマーク はてなブックマーク - 漆黒鉛筆(8/100話) - -N-t-S-d- 漆黒鉛筆(8/100話) - -N-t-S-d- のブックマークコメント

彼は息を切らして自宅まで走り帰り、玄関ドアを開けて入って閉めて、やっと息をつきました。その心臓ドムムムムと膨張収縮繰り返し、汗はダラダラ滝のよう。それは家まで走ってきたことや夏の暑さのせいだけではありません。彼は人の持ち物を盗ってきてしまったのです。と言ってもそれはたかがシャープペンシル一本。でも彼にとっては大きな意味を持つシャープペンシルだったのです。

彼は中学生でした。夏休みに入って間もないある日、まだ朝だというのにぎらぎらと暑い通学路を通り学校へ向かいました。校舎に入ると外とは違いひんやりとした空気の中下駄箱が並んでいます。校庭からは野球部の掛け声が聞こえます。彼は教室へと向かいました。先輩のいる教室へと。

彼にとっての先輩は、とても気になる存在でした。背は高くも低くもなく、顔立ちはそれなりに整っているけれど、これといって目立つタイプでもない。けれどその真っ黒な髪が風に揺れるのを見ると、彼の心はその髪以上に揺れたのです。

彼が部室のドアを開けると、先輩はいませんでした。けれど机の上には参考書ノート、そして一本のシャープペンシルがあります。そのシャープペンシルは先輩の髪と同じように真っ黒でした。先輩は学校に来ているようです。

彼は先輩がそのシャープペンシルを持って何かを書いている姿を見るのが大好きでした。白くて細い指にしっかりと支持されたシャープペンシルが白い紙の上にこれまた黒い線を引いてゆき、その動きに合わせて、うつむいた先輩の黒い髪が微かに揺れるのです。先輩が何かを書くときはいつもそのシャープペンシルでした。片時も離さず、分身ででもあるかのように持ち歩いていました。

ノートの上にはいくらかの数式と、メモ書き。色ペンなんか使ってないのにとても見やすいノートでした。

彼は無意識シャープペンシルに手を伸ばしていました。カキーンッ。校庭からの金属バット音が彼に我を取り戻させます、が、次の瞬間、彼はシャープペンシルを握り部室を飛び出していました。

なぜ自分がそんなことをしたのかも考えず、彼は家へと全力で走ります。

自分の部屋に入った彼はぜえぜえはあはあ言いながら机の上にシャープペンシルを丁寧に置きました。それを見つめた彼の胸には罪悪感と高揚感がものすごい勢いで押し寄せます。くくくふふふ、ふふうふふふう、と笑いとも泣き声とも付かない声を彼は漏らしました。そしてまだ何も書かれていないノートを棚から引きずり出し、乱暴にページを開いて、そのシャープペンシルで線を書き殴り始めました。シャザーシャザージャジジジと音を立て、白いノートは黒く黒く塗りつぶされていきます。合間にカチカチと神経質にノック押し、シャザザと黒を引く、そんな行為がひたすら続きます。背中には走っていたときの滝のような汗ではなく、じっとりとねっとりとした汗がまとわり付いています。

彼本人は気付いているのでしょうか、シャープペンシルの芯がいつまで経っても無くならないことに。

ノートは破れ、折れ曲がりながらも黒く染まってゆきます。九割五分ほど黒で埋め尽くされたころ、彼はノックの部分を引き抜こうとしました。彼もおかしいと思っていたのか、無意識なのかはわかりません。でも、その部分はどうやっても抜けませんでした。ならばと今度は先端の部品を取り外そうとしますが、普通シャープペンシルのようにネジ状になっておらず、全身が一体となっています。彼はアァッと叫んでノック押したまま芯を引っ張り出しました。つつぅと滑り出す芯ですが普通の芯より明らかに長かったのです。動きを止めずさらに引きます。芯は出てきます。シャープペンシル本体の長さの三倍ほど引き出しても、芯は途切れませんでした。彼はそれでも引き出そうとしましたが、手が滑ったか、芯は折れて床に落ちました。それでも彼は数回ノックし、行為を止めようとはしません。

彼は気付きませんでした。折れて床に落ちた芯が、硬度を失って曲線を描いていることに。

芯を引き出し、折れてはノックする。一心不乱のその行為は終わりを迎えず、いつしか彼の周りには黒くて細い曲線が散乱していました。彼の手にも何本もまとわり付いています。それはさながら、カットを終えたあとの理髪店の床でした。そんな中でも彼は涙と鼻水と汗と笑い声と泣き声を出しながら、その行為に耽っています。

そして、何時間経ったのでしょう、その行為は、遂に、終わりました。芯が途切れたのです。

と同時にドアを開ける音。

振り返ると

そこには

背が低くも高くもなくて

整ってるけれど目立つタイプとは言えない顔で

スキンヘッドの先輩が立っていました。

先輩は彼の髪をわしづかみにし、おびえる彼の眼を見据え、頭頂部から玉のような汗を流し言いました。

「返しなさいよ」




(http://d.hatena.ne.jp/wonder88/00010101#p1)

comnnocomcomnnocom2007/08/02 21:53帰宅してテレビつけたら『菊次郎とさき』だったので、先輩役は黒川智花さんに大決定。

トラックバック - http://neo.g.hatena.ne.jp/comnnocom/20070731