とある理系男子の書斎には、どうしても小説が少ない。っていうか無い。

        いろいろやっていければと思います.
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2011-08-25

Dimensional Allowance 1 10:34 Dimensional Allowance 1 - とある理系男子の書斎には、どうしても小説が少ない。っていうか無い。 を含むブックマーク はてなブックマーク - Dimensional Allowance 1 - とある理系男子の書斎には、どうしても小説が少ない。っていうか無い。 Dimensional Allowance 1 - とある理系男子の書斎には、どうしても小説が少ない。っていうか無い。 のブックマークコメント

 ところで次元というのをベクトる。
 要請により、次元ベクトルとして扱う。0次元1次元2次元3次元2次元、と様々な分野で増えたり減ったりしている次元が、自分1次元にへばりついたままなのはどうにも我慢がならないのだ、という。つまり要請元は当然次元である。さしあたって、次元2次元を与えてみる。(0,0)次元、(0,1)次元、(0,2)次元、(0,3)次元、(1,3)次元、(1,2)次元、(1,1)次元、(1,0)次元、(0,0)次元次元がころころ様相を変える。いまどき無限次元ぐらいでは驚きもないが、(∞,∞)次元まで行かれると連れ戻すのが大変であろうとは思う。様相を変えるといいながら、変化前と変化後の次元は並存をしており、もはや分裂に近いが、混在にも近い。ただ、各々の並存において存在の濃い薄いはあって、(1,1)近辺にほとんどがいる。それが広いのか狭いのかは判別つきかねる。次元の足し算が次元に腕押しなので掛けあわせてみると、数字はきちんと和になったのでしばし満足し、その掛け算を足し算と再定義したものか考える。掛け算の椅子が空き、さっきまで冪乗の椅子にいた冪乗が転がり落ちてくるか、これに構っている暇はあまりない。
 そもそも、何かから感情の見当を付けることが得意ではなく、何を持って得意と定義できるのかも見当がつかない。誰が得意と定義し、誰が採点をするのかがわからぬ。わからぬがしかしだからこそ面白いと言われてみて、わからぬがゆえにだからこそ面白いと言われてみて、ならばいっそただ面白いと言ってもらった方が幾分ましではある。よって当然、いま目の前でころころ様相を変えているこの次元がどのような感情と結び付いているのかは忖度しかねる。養育や教育飼育についても同じく得意ではない。今まで特に何も考えず、次元には1次元や0次元を与えてきたが、先に言った通り、要請、というより駄駄に応えて、2次元を試しに与えてみたところである。世間の風当たりは強い。次元次元を与えること、次元次元を与えることを考えること、次元次元を与えることを考えることを与えること、その他諸々の言語言語クラスについて、世間の風当たりはとても。強い。特に2次元について。バランス良く摂取させよと言われてみて意味がわからない。世界情勢を鑑みて3次元を与えるべきか、世界情勢を鑑みて4次元を与えるべきか、5次元としてみるか、8次元24次元を均等に与えて行儀よく育てるか、実用主義に則って7次元を落とし所とするか、それぞれがそれぞれの次元で優位性を主張するので収拾がつかない。∞が8の倍数だったかは、ここでは横に置いておく。一つ。見た目には i 倍したもののようでもあるが、あるものを横に置いただけのものをあるものの倍数と呼ぶか、各位と合意が得られそうにない。一つ。何かの拍子に(∞,∞,∞……)次元へと逃げられては困る。これは杞憂だとしてみる。せいぜい、各々の次元絶対値を足してみて、16より外へは出ないともしてみる。行動範囲として、半径が16の円、のようなもの、に内接する正方形、のようなもの、を考えれば十分だ。と思いたい。それとて一様には分布はしない。分布しまい。してもらっては困る。そんな高エントロピーな子に育てた覚えはない。次元次元を与えて育てることに疑問を抱く一派には、生物生物生物を与えて与えられて育てて育てられていることを今一度思い出していただきたい。
 0次元は飼うのが楽だそうで、病気にもならないのだそうだ。とすると、この(0,0)次元,(0,0,0)次元,(0,0,0,0)次元らも、きっとそうなのだろうと思う。しか繁殖力がなさそうではある。見た目にも地味極まる。品種改良の挙句平面充填図形になってしまった鶏を思い出すも、それともあれは空間充填鶏だったろうかと記憶に自信がない。地味極まる見た目は実用的な弊害に達しており、(0,0,0,0,0,0,0,0)次元と(0,0,0,0,0,0,0,0,0)次元と(0,0,0,0,0,0,0,0)次元との区別や(0,0,0……)次元と(0,0,0,0……)次元との区別には専門の鑑定士を要する。(0,0,0……)次元と(0,0,0……,0)次元と(0,0,0……,0,0,0……)次元の区別がつくか否かによって区別がつくか否かによって区別がつくといわれているといわれている。見た目よりももっと根本的なところに区別困難性があるとする識者とそうでない識者の区別にも同じく困難が生ずる。0^8次元と0^9次元としてはどうかと言われて、記法の問題ではないしそれに情緒が失われるという反対意見が現れ、0^0次元が現れ、もはや収拾がつかなくなる。x↑↑2に関する厄介話は多く、あることないこと、誹謗中傷、様々な噂やゴシップ定理誤謬や真理が跋扈している。-1^-1、0^0、1^1、i^i、∞^∞。まずもって見た目からしてハッピーエンドは望めそうにない面々ではあるが、見た目で物を判断しすぎではないかと少しばかり己を戒める。頼んでもいない驚きを運んできたりする。驚いてばかりでは驚きがないので、引き立てるための添え物がいたりする。エックスの二アゲアゲなどと呼んでみて、すぐさま取り消す。(1,2)次元と(2,1)次元の区別が付くか否かは慣れの問題であり、その人の受けてきた教育の問題であり、また、鼻の大きさも因子としては指摘されているが、いずれも簡単な比例モデルでは表せず、単なる正の相関ですらないといわれている。猫が全てただ猫に見え、人が全てただ人に見え、indistinguishableもindistinctiveも同じに見える人や、あるいは猫がいたところで、特に問題はない。次元呪いはもっと別の現象についていた名前のように思うが、これも自信が無い。次元も無いのでいったんここで切り上げる。猫が横切り呪いをかける。

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