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2009-05-14

報告書

| 23:58 | 報告書 - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - 報告書 - 論理兵站 報告書 - 論理兵站 のブックマークコメント

第八回文学フリマで戦って帰ってまいりました。

みなさまには有形無形のご支援をいただき、われわれ g:bwn は非常に助かりました。

ありがとうございました。


g:bwn は今回、同人誌イベントにケータイ小説およびメールマガジン、ミニブログなどを持っていくという、メディアそのもののファックを行ってまいりました。

山羊が紙を食うという暗喩も用意しましたが、果たして理解していただけたのか不安が残ります。今後の課題としたいと思います。


本日は報告とあわせて、少々ポジショントークなどをいたします。


blogでDo の概念に親しみを持っているみなさんには理解できないかもしれませんが、同人誌イベントには、本の形を捨てきれない人々が多くいらっしゃいました。

お馴染みのテキストですが、もう一度お読みください。

毎日読んでいるあなたは本日2回目になりますがそれでもお読みください。

はてなブログ

blogでDo と紙の本を出すことには、もちろん差はあります。

しかし、より blogでDo できる社会に変革していくためには、blog以外でのDo がまだ必要なのではないかと実感したことは確かです。

現在の出版界は不況で滅びかねないという危惧があるようですが、なくなることはないでしょう。

もしなくなるようなら、むしろそのノウハウを保護しなければなりません。


こちらの引用文をお読みください。

望月:ケータイ小説だけは、文学フリマで流行っているなぁというのは感じたことがないんですよ。なぜかというと文学フリマというものは、読み手の文化なんですね。本屋には並んでいないような本を求めるコアな読み手が出展者を見に来る。それに書き手というのは同時に良き読み手であって、そういう人たちがこのイベントを支えているんですね。「あんなモンは文学じゃねぇ」という風に思っている人たちが、文学フリマの参加者層なんだと思いますよ。

http://mopix.moura.jp/?p=629

これは文学フリマ事務局代表望月氏の言葉です。

「単著もないくせに」の精神に代表される、紙の本に神性を与える思想、価値観は、出版業界の好況不況とはまったく関係なく、いまだ健在なのです。

驚くべきことです。


私には疑問があります。

そこに神性のようなものを設定し、紙の本の業界に憧れ、紙の本を奉って、紙の本を真似する、あまつさえ blogなど紙以外でのDo を卑下するような人々に、疑問がある。


「あなたの書く文章は、紙の本で発表することが最適なのですか? ほかのメディアを検討しましたか?」

「ひょっとして、紙の本で出すことだけを不動の前提と考え、そこから書く内容を決めてはいませんか?」

こういった疑問がニュートラルな人々の心の中に生じるよう、私は g:bwn を通じて活動していきたいと考えています。


何か理由があって、深刻な動機にもとづいて、そうしているのならば理解できる。大人の事情で。

ただ、無自覚に既存の出版を当然と考えて疑わない方々は、その宗教のような普及力において、ニュートラルの位置にあった人々を引き寄せることでしょう。

g:neo が無言でいる限り、間違いだらけの愛すべき男子は、向こう側へ味方します。

ありもしない紙の本の神性などに憧れる人々が、これ以上増えることは、g:neo の存亡にかかわる重大な事態です。

我々に対する迫害と言い換えてもいい。


これは恐ろしいことです。

「ケータイで文章なんか読めねえ」とか考えている層は、顔を赤らめずに文学とか言っちゃってる子たちのあいだでは、まだまだ一般的です。マジョリティです。

彼らを相手にする際、g:bwn だけでは戦力が足りない。

既存の出版の不採算性が変革され、もし新しい状況に移行したとしても、既存の出版に付随している幻想は残ってしまうことでしょう。


戦況は悪化している。


べつに私はすべての文章がケータイで読まれるべきだとはまったく考えてないですし、紙の本が便利なことも認めます。個人的にも紙の本は好きです。

しかし、すべてのメディアは、執筆者と読者の前に、平等にひらかれていていいはずだ。

紙でも、肉筆でも、印刷物でも、ディスプレイでも、石版でも、粘土板でも、木簡でも、芳一でも、字が書いてありゃ何でもいい。

そこに貴賎はない。

すべて等しく卑しい。

等しく無意味。

等しく無価値。

そのような世界を望みます。

理想主義に過ぎるでしょうか?


どのように社会が変革しても、特権を求める者が残る。

特権ある位置に憧れる精神が残る。

彼らはフラット化を許さない。


理想郷を座して待っているだけでは、blogでDo とか言ってる間違いだらけの愛すべき男子は、絶滅しかねません(たとえばもし私が g:neo の敵対者であれば、g:neo 内に異分子を送りこみ、理念の崩壊を誘う作戦に出ることでしょう)。

既存の出版を滅ぼすことに意味はありませんが、出版することの特権意識は邪悪です。

出版を高みに置く思想が、共同出版など詐欺まがい行為の温床となっています。

特定の恵まれた者だけが出版できる状況を将来まで残し、特権を認め、彼らがそれに安住し、また別の彼らがその地位に憧れるような状況は、blogでDo の精神に反します。

ここで淘汰に従って滅ぶのも、一考に価する選択肢であると思います。

ですが、もし上記の理想郷を望むならば、これらの特権は許されることではありません。

なぜなら、私たちが持たざる者だから。

嫉妬によって、逆恨みによって、彼らを打ち倒したい。


ぜひ文学フリマで共闘を、とお願いしたいところですが、blogでDo が本義の g:neo において、それは敢えて望みません。

賛同いただける同志は、無言のうちに、有形無形の勝手なスタンドプレイを遂行されるでしょう。

興味を持たない同志は、無視するでしょう。

報告は不要です。

それが g:neo です。


以上、これが私の考える兵站のひとつです。


世界を混沌に。

g:neo:id:extramegane

extrameganeextramegane2009/05/14 23:59性病さんに脅されてしかたなく書きました。

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