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2009-06-06

みんなのビジョン3-2

| 20:09 | みんなのビジョン3-2 - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - みんなのビジョン3-2 - 論理兵站 みんなのビジョン3-2 - 論理兵站 のブックマークコメント

超古代文芸(再)

トラックバックを次々と受けていますが、今エントリでは前回の補足のみをします。

前回、

において、id:nand からもらったトラックバックの解説を1行で済ませてしまい、大変申し訳ないことをしてしまったと反省しています。

  • 準拠枠が異なるので完全に読解できているか自信がなかった
  • まったく触れないのもどうかと思った
  • もし読解したらここ数日で築いた人間関係的なものがぶち壊れるんじゃないかとゴーストがささやいた
  • オチに持っていく気持ちが皆無であったとは言えません

などの理由により、期待されていたであろうラインより低い品質で打ち返してしまいました。

失礼をしたからではなく、そんなもんじゃねー、自分のせいでリンク先の文章は読まなくていいやとか思っちゃう子が出現したかもしれないからそれが悔しい。

ふたたびチャレンジします。

以下の僕の文章が、このリンク先の文章を読むためのヒントになればいいのですが。


華拳繍腿

分岐など華拳繍腿!! と、わたしの中の紫電掌が。

「華拳繍腿」はリンクされているのでわかりますが、「外見は華やかだが実用的ではない武術を指す言葉」。

「わたしの中の」は幻想であることをほのめかしています。でもほのめかしながら殺気をにじませるテクニック。

「紫電掌」は人名。Wikipediaなど調べて、「仲間に裏切られ、死線を彷徨う」、「身近な人間が惨殺されている」、「復讐を誓う」などの情報を入手してイメージを強める。

これらをつなげ合わせると、「分岐するテキストは華やかに見えるが実用的なのかどうかを心の底では疑問視している」というような内容の文章に血の涙をふりかけて叫んでいるといったイメージの言葉だとわかる。

しかし、ここで重要だと思われる要素がある。

人名の原典となるメディアには小説とPCソフトがあり、PCで読める作品はアドベンチャーノベルと銘打たれていて、一切の分岐がないらしい。id:nand はここで分岐のないストーリーを原典として選択している。しかも、分岐が華とされているPCソフトの中では珍しいほう(と言っていいのかわからないけど)の、分岐がないタイプのものをわざわざ選んでいる。つまり例外を。

さらにこの紫電掌なる人物の目的は、どうやらある人物の分断されてしまった人格を収集することであるようだ。分かれてしまったものを統合するニュアンスが、上に引用した一文には含まれている。

id:nand は分岐を求めない、自分が収束させてやる、という強い意志を感じる。

1行読むのにこんだけ時間かかるんですよ。


富永仲基

青空文庫の内藤湖南『大阪の町人學者富永仲基』へのリンクがあります。さりげなく混ぜてある。id:nand はユーモアを解すが、無意味なことは書かない。これははったりではなく、自分で長々と書くのが面倒だからリンクで済ませたと思われる。

富永仲基という人物の概略を調べる。

神・儒・仏三教の成立過程での後代の作為を批判、誠の道を提唱した。

 仲基は続いて『翁の文』を著した。和文でつづられたその第一節では、今の学者は神仏儒三教の一致を唱えたり、あるいは是非を争ったりしているが、道とすべき道は三教を超えた別のもの、すなわち「誠の道」である。仏教はインドの教え、儒教は中国の教えである。日本には日本の神道があるが、今の日本の道ではない、と述べている。ここで説かれる「誠の道」は儒教の実践道徳そのままであり、一方、仏教や神道にも説かれる社会の常識的な規範である。後世に付け加えられた「加上」の部分を取り去り、それぞれの思想の出発点を見た時、どれもその時代、その国に合った「あたりまえ」の常識的規範から成り立っていることに、仲基は気づいたのであろう。

青空文庫を読む。

 これをなぜ坊さん達が攻撃したかと申しますると、此人は詰り日本で大乘非佛説――大乘が佛説でないといふ、釋迦の説いたものでないといふ説の第一の主張者であります。さういふことで坊さん達が躍起となつて此人を攻撃したのであります。併し富永の研究は、大乘が佛説でないといつた所が、それは何も佛教に對し惡口を言ふために書いたのではない。佛教者に言はせると、佛法を謗つて書いたやうに申しまして、非常に憤慨して居るのでありますが、實は何も謗法の爲に書いたのではない。唯だ佛教を歴史的に學術的に研究したいといふのであります。

内藤湖南は、富永仲基は合理的に考えたんだよ、ということを話している。

お釋迦さんの話を見ても、過去の事を書いてあるかと思ふと、現在の事、未來の事、一度にいろ/\の話が出て來まして、一體それは何億萬年前の話であるか、昨夜の話だか、今の現在の話だか、ちつとも分らないです。十萬億土の西の方に阿彌陀如來の淨土があると、さうかと思ふと十萬億土は極く近い其處にあるといふ、とてもお話にならない。さういふ風に皆んな書いてあるから、歴史といふものを組立てることが出來ない。

国民性というのがもとにあって、宗教というのはカスタマイズされるのだと。

外の國の宗教を自分の國に移すときには、自分の國に合ふやうに之を變形しないとうまく合はない。印度の幻術的な宗教、何かといふと十萬億土などといふ取留めもない目まぐるしいことは、日本に應用することは出來ない。日本に應用するときには、もつと手短かな、手つ取り早くしなければ日本人には入らない。

id:nand文芸に置き換えろと言っている。時代に合ったものを作れ。いや、文芸は自然発生すらする。時代や地域、文化ごとに、文芸という形のない存在は、うまくフィットしていくのだと。


文芸プレイヤとして

それじゃあ文芸プレイヤ協会<露伴の子供たち(未認知)>の公式ビジョンは何かといえばそれはもちろん超古代文芸です。

文芸プレイヤ」という単語は、これもリンクされている d:id:Erlkonig の文書

から倣ったもの。プレイヤの団体にビジョンがあるべきだと言っている。公式という言葉を用いるからには、団結、連帯することを強く意識している。

このあとの文章は、タイトルでもある「超古代文芸」についての解説であろう。


宇宙

わたしは常々、日本の文芸は宇宙を超越していないと感じていました。宇宙を超越する気があるのかどうかも怪しいものです。

キーワードとなるのは「宇宙」。この文章で「宇宙」が出てくるのは以下の箇所。

宇宙から主審を招くべきだとわたしは言いたい。

主審は、上記 d:id:Erlkonig に野球の比喩が出てくることから、野球の審判のことを指している。

宇宙審判を招聘したら宇宙を超越できないではないかと思われるが、おそらくわざわざ呼んでおいて、事あらば殴る気である。そして退場の指示を受けたのちに放逐されるであろう宇宙の外を観測する気だ。

id:nand の文章に「宇宙」が出てきたときはおそらくこういうイメージの宇宙であろうという予測はできるが、この読解は石川賢に詳しい方に任せたい。


宇宙から主審を招く理由はこれ。

そもそもあれです文芸とか罵倒芸とかそういう言葉があれですよ死後数時間も経過していないハナタレ小僧が罵倒を評してあれは芸になっているとかいないとか一体どういう文化と伝統を受け継いだ上でものを言っているのですか。

罵倒芸という言葉に納得していない様子がうかがえる。文芸も、芸と呼ぶには何を核としているのか、その継承する内容が問われる。コンテクストの重みまで、現在の創作者に問われる、無責任ではいけないということか。

誰がジャッジメントできるのであろう?


まさか凡ての物をdestroyするin the wayというわけでもないでしょう。

文化と伝統を壊したら芸ではなくなるので、芸であると自負するのであれば壊せないはずだ。

id:nand に宇宙を destroy する気があるかどうかは、ここからだけではわからない。


会話の成立

後半は台詞になる。

背後に膨大な情報が含められた単語が頻出するので、とても今夜中にはできまい。力不足を恥じる。

機会があればまた新たなエントリで触れることもあろう。

最後の1行に述べていることがもっとも重要。台詞はそれを説明する形をとっている。

ごらんください。会話が成立していません。

この行は深い。

膨大な文脈があって文芸は成り立っている。

現在の情報化社会においても、各文化の断絶が明らかになるばかりだ。

これは前出の富永仲基の説とつながっているように感じる。

背負った文化によって、話が成立していない。

これは d:id:Erlkonig のエントリのブックマークコメントなどでのやりとりを見て id:nand が感じたことかもしれない。

あるいは、文芸プレイヤとして自認する者は、断絶を覚悟せよとも受け取れる。


そこまで考えが及びませんでした、と僕は前エントリで書きました。あれは冗談ではなく、本当に及んでなかったので正直にそう書いたのでした。

もし、本当に筆者が文章にこめたすべての思いを、意思を、読者が受け取るためには、今日、このような努力が必要になります。

技術によって、この言語による情報圧縮技術による精華――そう、文の芸のひとつです――を展開しやすくなるのでしょうか。実現するならこれは偉大な転換点といえましょう。

外部記憶の処理によって断絶をなくすことはできるのか。

ではまた次回。

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