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2009-10-25

8P折り本メーカー

| 23:56 | 8P折り本メーカー - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - 8P折り本メーカー - 論理兵站 8P折り本メーカー - 論理兵站 のブックマークコメント

BWNというサークル名で、第九回文学フリマに出店します。

特徴

  • 読みやすい
    • 帰りに(笑笑とかで)感想をもらいやすい
  • 書きやすい
    • 短いので実験的なこともしやすい
    • 過去作の加筆修正なんかどうですか
  • イベントに参加しやすい
    • ブース出店料とか申し込みとか大変じゃん

きっかけ

  • 前回、ケータイ小説っていうだけで無視されたのでむかついたから
    • 印刷すりゃいいんだろ?
    • というのはまあ冗談にしても
  • ハードルを下げて交流しやすくしたかった
  • 文学フリマの出発点であるところの「不良債権としての『文学』」では出版全体の不採算性に触れられているので、印刷のめんどさみたいなところにも手をつけなきゃいかんだろうということで
  • ウェブサービスのコード自体を文学だと言い張りたかった

よろしくおねがいします

g:neoメンバーの諸兄におかれましては、ウェブサービスをどうぞご利用ください。

たぶん文学フリマ以降もウェブサービスは継続すると思います。

冬休みのキッズのおもちゃにうってつけです。

追伸

デザインとか絵とかで協力していただける方を募集中です

2009-10-21

複数人数での執筆が普通になったら

| 05:04 | 複数人数での執筆が普通になったら - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - 複数人数での執筆が普通になったら - 論理兵站 複数人数での執筆が普通になったら - 論理兵站 のブックマークコメント

  • 文体の統一をいかにするか
    • 統一しないでいい必然性があればいい
      • 複数視点とか
    • あるいは文体統一のチェック役を設ける
  • 参加者の提案、意見が割れた場合の舵取りが必要
    • 方針をもって大局的にテキストを誘導していく編集者
      • この方針にもとづいて各参加者は活動する
  • もし参加者の悪意なり無思慮なりの理由によって無関係の人間が権利をもっている著作の一部もしくは全部を使用しちゃったときに困る
    • 好き勝手コラージュできないのでそのうち制度がどうにかなってほしいけれども
    • そのうち「俺が俺が」は薄まっていくのではないか
    • もし対価を受け取ることがあるとしてその仕組みは整備されていくだろう
    • 仕組みによって自分の仕事は証明される
  • 半永久的に膨張していくテキストの提起
    • どこから読んでもよい
    • どこを読まなくてもよい
    • 誰も全体を把握していない
    • 構成によって何かを語るのは難しいか
    • 言葉遊び、詩のようなものはどうか

追記

  • 読みたければ読んでいい
    • 案内人というのはいいですね
    • 書くとき読みたいとこだけ読むでしょ
      • つまり読書によって読者に生じた変化をフィードバックする、そのフィードバックが全体に作用したりしなかったりする仕組みっていう
    • フィードバックしないと、受け手の存在に気づけない
      • 売れてる本、はたして本当に読まれているのか
      • いままでにもフィードバックしない読者というのはたぶんいて、本当にその本が必要だった、切実な環境に身を置いた理想的な読者が含まれてるんだろうけど、でもそれはどんなものを世に出そうといつづける
        • あるいはいると信じないといかんというか
  • 面白い試みではなくて楽な方向というかありそうな未来像というか
    • それをextramegane自身がいいとかわるいとかの判断は保留
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2009-10-20

じゃあぼちぼち

| 02:33 | じゃあぼちぼち - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - じゃあぼちぼち - 論理兵站 じゃあぼちぼち - 論理兵站 のブックマークコメント

extramegane☆googlewave.com

☆の部分を修正してください

Google Wave やりましょう。

多人数プレイをテストするにはとりあえず大勢集める必要があるので、過去の記事をいくつか読んで興味のある方は、どこからか Google Wave の招待をもらって、初めてみるといいです。

上記の僕のアカウントをContactsに追加してください。

招待したいのは山々なのですが

いま現在、繁殖能力のないアカウントです。そのうち invitation できるようになるのかもしれないんですが…。

力ずくで、どなたかから招待してもらってください。

しかし、喫緊の制作については、とりあえず Googleドキュメントを使用したりしています。フォルダごとに共有設定ができるようになったりなかなかいいですよ。Googleドキュメント。

検索してみよう

Google Wave 上で

創作 with:public

小説 with:public

などで検索してみてください。

なんかアイデア出ししましょう。

議題としてはこのグループ日記を

みんなのビジョン

で検索して出てくるようなこと。

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2009-06-07

みんなのビジョン4

| 04:50 | みんなのビジョン4 - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - みんなのビジョン4 - 論理兵站 みんなのビジョン4 - 論理兵站 のブックマークコメント

お返事ありがとう

みんなウェブで言葉を使った創作とかしてるけど、ほんとにこのままでいいの? 紙の本と変わんなくない? ほしいものは何? みたいな話をする会です。

これまでのあらすじ。


僕たちが今まで何をしたくて何をできなかったのか

ネット上にある創作は、チラチラみて、正直言ってほとんどは、何がおもろいねんの一山いくらの世界です。多様化と聞いて来てみたらこのザマです。

まったくだ。

単純に一番確実に盛り上がるのは、ネットで書かれてるそんなにおもしろくもない創作に対して、ちゃんとした本格的なそれっぽい批評をきちんと色々な人に対してやってくれるお釈迦様のような人の大登場でしょう。

ウェブで創作したり鑑賞したりしている以上、熱意さえあれば可能なんだけど、それは実現していない。

Google の蜘蛛の糸が全部拾ってるはずなんだけど、まだまだ何かが足りない。

これが実現したら、田舎まで道が開通したっていうことになる、それは高速道路ではないけど、必要なインフラなんだと思うのです。

愛です。

最終的には「そのやってる方法がおもしろい」じゃなくて「その文芸なり創作なりがおもしろい」にならないといけません。

肝に銘じます。

これは d:id:setofuumi が触れた話題につながるかもしれないなと思いました。「みんなのビジョン3」を参照してください。

あと、つまんない人が大量にいる状態じゃないと、ニューカマーの数が減っちゃうっていういやらしい問題があるような気もしているんだけど、まあ愛があれば克服できることだと楽観視もできる。


僕たちが今まで何をしたくて何をできなかったのか

これの整理は必要だと思っています。誰かおねがいします。


大体、僕がしたいのはむしろ、書く前の会議みたいなもののような気がします。そこの想像を膨らませる企画会議がしたい。

「なりてえよ、あんたみたいな男になりてえよ」

 のような文章をクリックしたらサクッとした動作で感情こもった台詞が流れるとか

一人が一人の登場人物を担当して書くみたいな面倒くさいこと

こういうやりたいことをたくさん言っておくのはいいと思うのです。

誰か暇な人が作ってくれるかもしれないから。

もし現状で可能なことだって、いまより便利なものを追求することはできる。

ふだんボールペンとか何も考えずに使ってますけど、結構複雑で、誕生当時から比べたらいろんな進歩してる。

それが100円ショップで3本買えたりする。


ツールの具体的な使い方

実例をいっぱい出していこうよという話。

こういう遊びってアレに近いのではないかなと

編集とかブランチとかの行為の実例として。改編的お遊び行為。

誰かの書いた文章を、別の人が注釈したり改編したりしてぜんぜん解釈の違うものにする、という遊び方を、リビジョン管理ツールの具体的な使い方のひとつとして想像していました。だとすれば、リンク先のようなものがその実例になるのかなと。

ツールがあれば「まるごと写してツッコミしまくり」用途にも使えますよね…。全文流用上等の態度も、将来、興るといいなとは。ただ、その先がわからないので考えます。代表例として適するのは、これまででもよく見られた、簡単にできていた種類の遊びでは、ない気がするのです。

ツールをどう扱っても人間の認識/思考のレベルに固定的な限界があるので、脳みそ自体をいじくることができない前提でどこまでツール技術が寄与できるのかという壁がありそうですね。五次元を扱えるツールが生まれても人間は五次元認識できないし、とか。

たとえば待ち合わせするときに正確な場所と時刻を決めないという現代では当たり前の現象が、携帯電話の普及以前の僕には想像できなかったのです。

ツール普及後に起こることは、僕の頭だと、少し考えないとわかんないのです。当たり前だと思っていることを排除できない。

携帯電話の普及で変わったことっていっぱいあると思うんですけど、そういうのをみんなでひとつずつ出し合ったらいいんじゃないかな。


先日から id:masapguin の好意で Redmine というツールをちょこちょこ触らせてもらっているのですが、正直まだよくわかってないです。プログラム書く人の使い方も想像できてない。

そのうちまとまったレポートをするつもりではいます。


具体的になんかツール使って有志で遊んでみて、その試行してみた感覚を報告していくってスタイルで薦めるのがいいんじゃねかなーと思ってる

たとえば TwitterTumblr でもいいと思うんです。Tumblr で何ができると思う?

一応作ってあったのだけど、まだあんまり考えてない。

Tumblr でやってみたいことがある人は教えてください。


先日、Twitter では d:id:sakstyle らによるテストがあった。

TL上に、同時に3つも4つも短編小説が並んでいくという事態になった。

それぞれが別々につながっている話なんだけど、寸断されて交じり合っているっていうのは、なんかいい気分ですよね。

TLに、何本も小説が並行してアップされていけばいいんじゃない?

natsumeの小説とsegawaの小説が混じり合っていくとかさあ

twitter上で小説を書くのだとしたら、単に普通の小説を140字毎に分割してpostしていっても意味がないと思う。

ケータイ小説が、本で読んでも仕方がなくて、ケータイ小説サイトで読まないと意味ないように、twitter小説があるとしたら、それはTL上で読まないといけないようなもの


たとえば泡坂妻夫の本で、袋綴じを開かずにそのまま読んでも通じるし、袋綴じを全部破って読んでも通じるっていう本があった。つまり短い話の部品が、長い文章にも使われているのです。同じ文章が違うイメージになるとかの面白さがある。これはセンテンスの途中で改ページしてたから余計にすごかった。

これって Twitter のタイムラインにある楽しさ、特徴、性質で、あのツールに備わってる機能だと思うわけです。

われわれは別々の世界を生きているんだけど、タイムライン上で混じってる。他人の断片が続々見えるけど、本当のところはそいつが何をしてるか、こっちからはわかんない。

第八回文学フリマの朝、出動前に d:id:sasuke8 とチャットしてて、その模様はこのエントリの後半に記されています。

QuickResponse という計画では、kamatter というミニブログサービスをでっちあげ*1、メールマガジンもやった*2んだけど、そういう意図がありました。


あと、そもそもブログに適した創作って何だったのかなど例を挙げていきたいのですけど。

『和風Wizardry純情派』とか?

詳しい人は教えてください。

ブックマークコメントじゃなくてエントリを起こしてくれたほうがうれしいです。

みんなに説明しなくちゃならないことだし、100文字そこらで説明しきれないでしょうから。


名前、およびブックマークタグ

extramegane氏関連の話題につけるタグを考える。[みんなのメガネ]

extramegane氏関連のアレのタグ名を考える。[extra文芸][エクストリーム文芸][文芸リストラ][文芸解体][再構成文芸]

ここまで広まったので必要だと思うんだけど、どういうのがいいのかはわかんない。

内輪っぽくなくてキャッチーなのにしてください。

できればウェブで創作している人みんなの旗印になってほしい。

けど個別の論議のエントリがいっぱいになるような気もします。


もっと声を上げていい

神話の時代には著作権なんてなかったし、みんな好き勝手に尾ひれ葉ひれ*1つけて話を大きくしてたし、地域によっていろいろ諸説バージョン重なり合ってるのは今から見ると面白いし、「きまった順番に鑑賞する」なんて慣例も当然なかったわけで

「本」という技術が便利すぎたことに一因があるのでしょう。あやふやなで壊れやすい人の記憶に依らず、大量の情報を確実に保存する方法の主役は長らく「本」だったから、「本」という形式に最適化するためのいちばん便利な方式、一直線な読み方/書き方が定着したと。

技術に合わせて文化の方が形を変えていったとも言えるわけです。

現在では、「紙の本」の必要に合わせるためにもたらされた制約を、一度リセットすることができます。

これは非常にわかりやすいです。先日からみんなに意見を聞くときにあんまり考えないで使っていた「文芸」という単語の前提とも言える説明だと思います。

そのうえで、どうしたいかは個々の問題になって、みんな欲しいものが違うのは当然、もちろんそこは多様であってほしいと思ってます。

複数のバージョンが重なり合うような先祖がえりもできるだろうし、その仕組みの「どれが正統で最新かをわかりやすくする」という機能を使って、公文書の制作と管理が楽になっているかもしれない。

全体にとってみればどちらも同じように大切だと思うのです。

そのツールをどのように使うかっていう正解はないんだけど、想像してなかったような応用はできるかもしれない。


まだ続きます

たぶん。みんなが飽きてなければ。

トラックバックください。

アイデア以外、いままで出てきたポイントを整理してくれるとかでも。

*1:技術部長 id:masapguin

*2:技術部長 id:masapguin

kidanakidana2009/06/25 05:51>紙の本と変わんなくない?
文学=紙になったのは活版印刷術の発明&産業革命によって、
鉄道網が全国に引かれて、印刷物が同時に大量に配布可能になって以後です。=自然主義の時代

それ以前の時代はシェークスピアみたいに劇団の座付き脚本家が職業作家だったわけです。
で、自然主義時代以降、二度の大戦以後ですが、映画やラジオやテレビの普及で、活字以外の方法でも国中に情報を配れるようになった。よって、テレビの構成作家のような音声・動画ありの脚本家が再び職業作家としてメインになる。=シェークスピア時代の復活。

影響力で言えば大手活字雑誌(女性自身・ロッキンオン)の部数が30万部ぐらいなのに対して、テレビの全国ネットで視聴率10%なら1200万人が見ている計算になるので、雑誌の40倍の伝達力をテレビは持っている計算になります。
みたいな話を下のメールマガジンで書いています。
http://archive.mag2.com/0000265076/index.html

2009-06-06

みんなのビジョン3-2

| 20:09 | みんなのビジョン3-2 - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - みんなのビジョン3-2 - 論理兵站 みんなのビジョン3-2 - 論理兵站 のブックマークコメント

超古代文芸(再)

トラックバックを次々と受けていますが、今エントリでは前回の補足のみをします。

前回、

において、id:nand からもらったトラックバックの解説を1行で済ませてしまい、大変申し訳ないことをしてしまったと反省しています。

  • 準拠枠が異なるので完全に読解できているか自信がなかった
  • まったく触れないのもどうかと思った
  • もし読解したらここ数日で築いた人間関係的なものがぶち壊れるんじゃないかとゴーストがささやいた
  • オチに持っていく気持ちが皆無であったとは言えません

などの理由により、期待されていたであろうラインより低い品質で打ち返してしまいました。

失礼をしたからではなく、そんなもんじゃねー、自分のせいでリンク先の文章は読まなくていいやとか思っちゃう子が出現したかもしれないからそれが悔しい。

ふたたびチャレンジします。

以下の僕の文章が、このリンク先の文章を読むためのヒントになればいいのですが。


華拳繍腿

分岐など華拳繍腿!! と、わたしの中の紫電掌が。

「華拳繍腿」はリンクされているのでわかりますが、「外見は華やかだが実用的ではない武術を指す言葉」。

「わたしの中の」は幻想であることをほのめかしています。でもほのめかしながら殺気をにじませるテクニック。

「紫電掌」は人名。Wikipediaなど調べて、「仲間に裏切られ、死線を彷徨う」、「身近な人間が惨殺されている」、「復讐を誓う」などの情報を入手してイメージを強める。

これらをつなげ合わせると、「分岐するテキストは華やかに見えるが実用的なのかどうかを心の底では疑問視している」というような内容の文章に血の涙をふりかけて叫んでいるといったイメージの言葉だとわかる。

しかし、ここで重要だと思われる要素がある。

人名の原典となるメディアには小説とPCソフトがあり、PCで読める作品はアドベンチャーノベルと銘打たれていて、一切の分岐がないらしい。id:nand はここで分岐のないストーリーを原典として選択している。しかも、分岐が華とされているPCソフトの中では珍しいほう(と言っていいのかわからないけど)の、分岐がないタイプのものをわざわざ選んでいる。つまり例外を。

さらにこの紫電掌なる人物の目的は、どうやらある人物の分断されてしまった人格を収集することであるようだ。分かれてしまったものを統合するニュアンスが、上に引用した一文には含まれている。

id:nand は分岐を求めない、自分が収束させてやる、という強い意志を感じる。

1行読むのにこんだけ時間かかるんですよ。


富永仲基

青空文庫の内藤湖南『大阪の町人學者富永仲基』へのリンクがあります。さりげなく混ぜてある。id:nand はユーモアを解すが、無意味なことは書かない。これははったりではなく、自分で長々と書くのが面倒だからリンクで済ませたと思われる。

富永仲基という人物の概略を調べる。

神・儒・仏三教の成立過程での後代の作為を批判、誠の道を提唱した。

 仲基は続いて『翁の文』を著した。和文でつづられたその第一節では、今の学者は神仏儒三教の一致を唱えたり、あるいは是非を争ったりしているが、道とすべき道は三教を超えた別のもの、すなわち「誠の道」である。仏教はインドの教え、儒教は中国の教えである。日本には日本の神道があるが、今の日本の道ではない、と述べている。ここで説かれる「誠の道」は儒教の実践道徳そのままであり、一方、仏教や神道にも説かれる社会の常識的な規範である。後世に付け加えられた「加上」の部分を取り去り、それぞれの思想の出発点を見た時、どれもその時代、その国に合った「あたりまえ」の常識的規範から成り立っていることに、仲基は気づいたのであろう。

青空文庫を読む。

 これをなぜ坊さん達が攻撃したかと申しますると、此人は詰り日本で大乘非佛説――大乘が佛説でないといふ、釋迦の説いたものでないといふ説の第一の主張者であります。さういふことで坊さん達が躍起となつて此人を攻撃したのであります。併し富永の研究は、大乘が佛説でないといつた所が、それは何も佛教に對し惡口を言ふために書いたのではない。佛教者に言はせると、佛法を謗つて書いたやうに申しまして、非常に憤慨して居るのでありますが、實は何も謗法の爲に書いたのではない。唯だ佛教を歴史的に學術的に研究したいといふのであります。

内藤湖南は、富永仲基は合理的に考えたんだよ、ということを話している。

お釋迦さんの話を見ても、過去の事を書いてあるかと思ふと、現在の事、未來の事、一度にいろ/\の話が出て來まして、一體それは何億萬年前の話であるか、昨夜の話だか、今の現在の話だか、ちつとも分らないです。十萬億土の西の方に阿彌陀如來の淨土があると、さうかと思ふと十萬億土は極く近い其處にあるといふ、とてもお話にならない。さういふ風に皆んな書いてあるから、歴史といふものを組立てることが出來ない。

国民性というのがもとにあって、宗教というのはカスタマイズされるのだと。

外の國の宗教を自分の國に移すときには、自分の國に合ふやうに之を變形しないとうまく合はない。印度の幻術的な宗教、何かといふと十萬億土などといふ取留めもない目まぐるしいことは、日本に應用することは出來ない。日本に應用するときには、もつと手短かな、手つ取り早くしなければ日本人には入らない。

id:nand文芸に置き換えろと言っている。時代に合ったものを作れ。いや、文芸は自然発生すらする。時代や地域、文化ごとに、文芸という形のない存在は、うまくフィットしていくのだと。


文芸プレイヤとして

それじゃあ文芸プレイヤ協会<露伴の子供たち(未認知)>の公式ビジョンは何かといえばそれはもちろん超古代文芸です。

文芸プレイヤ」という単語は、これもリンクされている d:id:Erlkonig の文書

から倣ったもの。プレイヤの団体にビジョンがあるべきだと言っている。公式という言葉を用いるからには、団結、連帯することを強く意識している。

このあとの文章は、タイトルでもある「超古代文芸」についての解説であろう。


宇宙

わたしは常々、日本の文芸は宇宙を超越していないと感じていました。宇宙を超越する気があるのかどうかも怪しいものです。

キーワードとなるのは「宇宙」。この文章で「宇宙」が出てくるのは以下の箇所。

宇宙から主審を招くべきだとわたしは言いたい。

主審は、上記 d:id:Erlkonig に野球の比喩が出てくることから、野球の審判のことを指している。

宇宙審判を招聘したら宇宙を超越できないではないかと思われるが、おそらくわざわざ呼んでおいて、事あらば殴る気である。そして退場の指示を受けたのちに放逐されるであろう宇宙の外を観測する気だ。

id:nand の文章に「宇宙」が出てきたときはおそらくこういうイメージの宇宙であろうという予測はできるが、この読解は石川賢に詳しい方に任せたい。


宇宙から主審を招く理由はこれ。

そもそもあれです文芸とか罵倒芸とかそういう言葉があれですよ死後数時間も経過していないハナタレ小僧が罵倒を評してあれは芸になっているとかいないとか一体どういう文化と伝統を受け継いだ上でものを言っているのですか。

罵倒芸という言葉に納得していない様子がうかがえる。文芸も、芸と呼ぶには何を核としているのか、その継承する内容が問われる。コンテクストの重みまで、現在の創作者に問われる、無責任ではいけないということか。

誰がジャッジメントできるのであろう?


まさか凡ての物をdestroyするin the wayというわけでもないでしょう。

文化と伝統を壊したら芸ではなくなるので、芸であると自負するのであれば壊せないはずだ。

id:nand に宇宙を destroy する気があるかどうかは、ここからだけではわからない。


会話の成立

後半は台詞になる。

背後に膨大な情報が含められた単語が頻出するので、とても今夜中にはできまい。力不足を恥じる。

機会があればまた新たなエントリで触れることもあろう。

最後の1行に述べていることがもっとも重要。台詞はそれを説明する形をとっている。

ごらんください。会話が成立していません。

この行は深い。

膨大な文脈があって文芸は成り立っている。

現在の情報化社会においても、各文化の断絶が明らかになるばかりだ。

これは前出の富永仲基の説とつながっているように感じる。

背負った文化によって、話が成立していない。

これは d:id:Erlkonig のエントリのブックマークコメントなどでのやりとりを見て id:nand が感じたことかもしれない。

あるいは、文芸プレイヤとして自認する者は、断絶を覚悟せよとも受け取れる。


そこまで考えが及びませんでした、と僕は前エントリで書きました。あれは冗談ではなく、本当に及んでなかったので正直にそう書いたのでした。

もし、本当に筆者が文章にこめたすべての思いを、意思を、読者が受け取るためには、今日、このような努力が必要になります。

技術によって、この言語による情報圧縮技術による精華――そう、文の芸のひとつです――を展開しやすくなるのでしょうか。実現するならこれは偉大な転換点といえましょう。

外部記憶の処理によって断絶をなくすことはできるのか。

ではまた次回。

みんなのビジョン3

| 01:13 | みんなのビジョン3 - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - みんなのビジョン3 - 論理兵站 みんなのビジョン3 - 論理兵站 のブックマークコメント

お返事ありがとう

みなさんのおかげで、ほぼ日刊になっております。

「文の芸はいままでメディアを渡ってきた強い子でそもそもメディアに縛られるもんじゃないんだけどなんでか紙の本って強いよねー、Google Wave が登場してどんなふうに変化したら面白いかなー」みたいなことを話し合うシリーズです。

いままでのあらすじはこちらをお読みください。

今回も別にトラックバックではないものが含まれています。

あと、2回ほど叱られた。


執筆過程の再現

共同執筆で三時間ぐらいでばーっと小説書き上げて、その、小説が出来上がるまでの課程を疑似リアルタイムで後から誰でも追えるんじゃろ?涎でる

執筆を開始してからずっと完成するまでが、あるいは準備段階までを記録しておけるとしたらすごい。

それをまとめてパッケージとして提供できるとしたら、大変なメリットですね。

え、書いてる過程を再現できるの?それ、俺が前からほしかったエディタじゃね?

新しいことをしようというのではなくて、いままでに行われていた学問の、研究のたすけにもなると思うのです。それができると思うんだけど自信がない。

こういうことを知りたいので、どなたか詳しい方、Waveの仕様から文芸においてどんな目的に使えそうなのか解説していただけると幸いです。


「未満」なものをすくいあげるシステム

「感想」「ツッコミ」が物語に組み込まれていく感覚。朝ガスはほぼ日刊だった、が、(電脳筒井線からの)「反映」にはいくらか時間がかかった。この「反映」の速度がどんどん短くなってきているのが現在なのだと思う。

思うんだけれども、自分の感覚としては、まだハードルが高いんではないかと思っている。って、あんまり正しくない表現だった。「もっとすくい取れるものがあるのではないか」という感覚なのだと思う。今までの試みは、「電脳筒井線で持論を展開する」レベルの人はすくいとれていると思う。それはすごいことだ。さらにそれを一歩進めて、「隊長は気が狂っている」もすくい取れるようになるのではないか、それが物語の一部として駆動していく未来。

総表現者社会とか言われるけれども、僕たちが観測していない表現者も実は多い。

どうしたら、全員の物語ができるか。

断絶をなくすことによって何が起こるか。

また、今よりも多くの人に対してその機会をひらくことで、一体どうなるのか。

善悪、是非ではなく、これができるようになるということは、いつか現実のものとなるということなので、そのことは心に留めておかねばならない。

技術の進歩がもたらされ、そのことが創作の主題となっていくのだなと思いました。


「なんでも物語だ」と言うのは容易い。けれども、それはやはり、意図を持って切り取られなければ「物語」にならないと思う。つまり「編集」されなければ「作品」は生まれない、ということだ。自分で自分の語りを、意図を持ってプロデュースできて、ブロードキャストできる人はいいけれども、多くの人にとって何らかの補助輪は必要だろう。

「場」を設定し、いわゆる「お題」を決め、「採用」をコントロールし、そして「期日」を設ける。読者投稿的な、そんなイメージ。そういったものが、一人の人間だけに負わされるのではなく、たくさんの人と、そして便利なシステムによって回転していく様子が見たいと思う。

編集作業の重要性について指摘したのは今回の一連のエントリで初だと思います。

新しい世界は編集行為をどう変化させるのかも、もちろん考えていくべきテーマです。

僕は今日のウェブにおいてもっとも足りていない、何かがズレてしまっているのは編集の役割じゃないかと思ったりもするのです。


ところが今の私たちは、もう少し開けた広場に差し掛かっています

紙媒体のいままでは、選別されたコンテンツだけが印刷されて広まるという状況だった。マーケティングとかして。

でもこれからの状況っていうのは、むしろ神話の時代に戻るんじゃないの、それを求めていくよ、という話。

 前の記事でスポーツの例を出しましたが、たとえば小さい頃から陸上選手目指してひたすら走り込んでるような人に対して、「単調な徒競走より野球の方がゲーム性があるのになぜ野球をやらないのか」とか非難するのはひどく的外れだと思います。なので、そういう人を「檻の中に閉じ籠もっている」的に揶揄するのはあまり好きくありません。

檻とか言ってごめんなさい。

非常によくわかるたとえだと思います。


「るるいえ」と書かれた稀覯書を井戸に沈めながら虚空にアッパーアッパー

宇宙を超越する気があるのかどうかも怪しいものです。

申し訳ありませんでした。考えが及んでおりませんでした。


まだつづく

執筆予告を受けているのでぜんぜん待ちます。

ほんとうは、こういう話題は、遠い未来まで、いつも頭の隅に置いてなきゃいけないものなんで、いつまででも続けます。

Wave 待ちながら誰か技術的に詳しい人がまとめてくれると超うれしいんですけど。

トラックバック - http://neo.g.hatena.ne.jp/extramegane/20090606

2009-06-05

みんなのビジョン2

| 02:45 | みんなのビジョン2 - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - みんなのビジョン2 - 論理兵站 みんなのビジョン2 - 論理兵站 のブックマークコメント

お返事ありがとう

今日もこれらのエントリに引き続き、

寄せられたご意見を紹介していきます。

今回は、夏目漱石に触れているエントリふたつからトラックバックがきました。20分と離れてない。


文学部卒SEのぼくとして

そんな経歴だったんですか。

情報の配布経路を新聞が独占できなくなったいま、創作の配布経路だって、どうでしょう。創作の発信源たる出版社だって独占できなくなる、ということだってあっていいはずです。創作物を発表する場が出版社から発行される紙媒体に制限されなくったっていいはず。だってきっとその方が楽しいし、なによりむちゃくちゃです。

大手印刷会社がその手の事業に手をつけているんですよね、たしか。電子ペーパーとか。

「まだかよー」と言ってる暇があったら、普及したときに何するか今から考えておこうぜ。


例えばsubversion的なバージョン管理ツールで創作をリビジョン毎に管理するというのもひとつだし、昔なつかしリレー小説的にもうみんな勝手に続き書いたらいいよ的なことをしつつも第一章の続きを書いてる人が複数いたっていいじゃない。第二章のrevAとrevBで、どんどん枝分かれして拡散して、それで面白い子が望まれて成長してまた分岐して、特に熱意のあるひとりがずっと育て続ける枝、みんなが続きを読みたい・書きたいとおもってわいわいと伸ばす枝、また死んだと思われた枝がまた他の枝の栄養となり。そうして生き残った最高の分岐枝が最終的に全ての可能性を押しのけて幹となる物語として成立すればいいのではないでしょうか、みたいなことも考えています。

制作時のリビジョン管理もできるし、コンテンツそのものの枝分かれ、ブランチっていうの? が同時に流通していいんじゃないか、っていう話ですね。

これはわくわくする。

話題は権利の問題にも及んでいます。

著作権というのはなんか言葉のイメージだけが走ってますが、結局は「独占的にコピーして販売する権利」でしかなかったはずなので、著作権がどうのこうのという議論をおファックするのであれば、例えばそういう重そうな荷物を抱いててはついていけないスピードで創作を走らせればいいのではないですかね。

ウェブで創作するようなバカは銭なんか得られなくても熱意があるので突っ走れる。絶対。だろ? そういうことにしないと話が進まない。

そのうち対価、報酬をどうにかするとして、誰のテキストを誰が改変したかって機械的にタグつけておけばいいんじゃないの、って思うんですけど、そのへん技術的にはどうなんでしょう。

だれがどこを書いたかも不分明なレベルの共同作業は面白いでしょうが一番の敵はやはり個人名で個人の作品を出して名前を売りたい、ひとかどの人間になりたい、という自我なのかなぁ。

たぶん、このへんの書き手の意識は環境によって変化していくんだろうなあ、っていうのはありますね。

自意識は邪魔だなーって思うときもあるし、それがなかったら発表行為の動機って何があるのかしら、っていう。

「自意識があるからブランチが同時に複数並行して流通することに作者は耐えられない」みたいな考えは、ちょっとつまらないと思う。問題があるなら解決策を考えればいい話で。人間の心持ちなんか、環境によって変わると思うし。そんなのどうでもいいから未来を見たい。

下で紹介するエントリでも触れてますが、口承文芸の時代の作者の名誉ってどんなもんだったのか、みたいな話がわかれば参考になるのかな。ご存知の方は教えてくださいね。


日本近代文学におけるシステマー

夏目漱石の項では文体を、黒岩涙香の項では手法を、菊池寛の項では流通を説明していただきました。

口承文芸は昔からインタラクティブでシェアード・ワールドでマルチ・エンディングでパブリック・ドメインだよ!

そのように、文芸はその身に、出自に、混沌と呼んでもいいような無限の広がりを秘めています。

もっとも荒唐無稽なのは文芸であるはず。

ときどき野蛮さが顔を出すんですね。

お行儀のいいものも必要ですが、そればかりではつまらない。

同人誌イベントなどに参加して個人的に感じた疑問なども、今回のご意見募集の動機につながっています。


以下、お返事を書きながら思いついた、思い出したことなど

これも、もし気になったら話題にしてください。

挿絵、文章以外との融合

絵本の文章は絵に追従して補足しているのに小説の挿絵って話の進行を断絶しがちだよなー、ということを思った。

もちろん挿絵や図を効果的に使おうとした試みは存在するし、タモリ同人誌『Tamorization』で一部チャレンジしたこともあるんだけど、「ブラウザで読む」ことを前提とした文芸を考えた場合、過去の試みを整理分類したり、どういうことが可能なのか考えていかねばならないなーと。


ルビ、読み仮名の指定について

すべてに自動的にルビをつけておいて、必要に応じて出したり消したりできるといい。

各単語のルビにはそれぞれ数段階のレベルを設定されていて、読者が調節できる。


デザイン、ディスプレイの違いに対応する

id:AirReader とチャットしていて、ディスプレイ環境がさまざまなので、送り手側がデザインを指定しても伝わりにくいという話がでてきた。

PDF などの形式で頒布すれば、リキッドデザインを避けることはできるけど、画面サイズの差はいかんともしがたい。

XML によるセマンティックなタグ、この言葉の使い方が合ってるのかわかんないけど、どの要素がどういう役割なのか(自動的に)指定しておけば、大画面で読むときも、iPhone で読むときも、クライアント側でいい感じにできる。読みやすいと感じるデザインを受け手の側で選択できる。

印刷するとき、文庫サイズでもA4サイズでも対応できるようになるのではないか。機械による朗読にも必要。

戯曲を印刷イメージそのままで執筆できるエディタって限られるじゃないですか、という問題もある。


まだ続きます

まだこれからエントリを書く、いま書いていると予告されている方も複数名いらっしゃるので、いまからでは遅いということはありません。

短い文章でもいいので、どんどんください。

とくに、こうして集まった問題の解法をご存知の方、技術的な解決方法を見出した方は、とくにお待ちしております。

id:extramegane は来週からちょっと多忙になる予感がしておりますので、すぐにお返事できないかもしれませんが、のんびりみんなで考えていきましょう。

だれかまとめ役をやってくれてもいいですよ。複数いてもいい。

僕を通さないで喧嘩するのも歓迎です。

「少しまちなー」って言ってくれる人も募集中。

masapguinmasapguin2009/06/05 08:58たしかsubversionはそれぞれの版ごとに誰がどこを更新したっていうのが残るはずですよ!

extrameganeextramegane2009/06/05 12:32そしたらその情報を利用して、「こういう分配をしまーす」って事前に決めちゃえばなんとかなるんじゃないかっていう気がします。autherってタグの人物名ごとに比率を変えることはできるのかなあ。たとえばですが、2代前の改変者には薄く報酬を渡す(このたとえが妥当かどうかは別として)、みたいな。フレキシブルかつみんな納得っていうのがよくて、そのためにはどうしたらいいんだろう。

トラックバック - http://neo.g.hatena.ne.jp/extramegane/20090605

2009-06-04

みんなのビジョン

| 07:59 | みんなのビジョン - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - みんなのビジョン - 論理兵站 みんなのビジョン - 論理兵站 のブックマークコメント

お返事ありがとう

前々回と前回のエントリは、

ふだんより多めにTwitterのポストからリンクしてもらったので、そこからの人の流れが多かったように感じます。

たしかに、新サービスをホイホイと使っちゃうような人は、こういう話が好きな傾向があるかもしれません。

たかがサービス、たかがツールなんですけど、使ってはじめて体得していく感覚があるのでしょうか。

海のものとも山のものともつかないけれど、とりあえずやってみるというのはいいことだなと感じています。

Tumblrとかモバイルデジタル機器とか。使えば何らかの示唆を受けるものです。


さて今回は、これまでにいただいた「創作文芸のビジョン」への返信エントリをまとめます。

正確にはトラックバックをもらっていないものもあります。

関連する話題を勝手に集めた、と言い換えることもできる。


Webは人のログを集めて人の影を作る

その人というメタで結ばれたデータは柔軟に簡単に抽出、再構成できるようになったらいいな。

(中略)

ああ、これって走馬灯って言うんだっけ。

Webは人のログを集めて人の影を作る

オレはオマエを知りたい

人間を一単位として断片の情報を渡り歩いていくイメージでしょうか。

個人の主観と客観が混ぜ合わさり、誰かの客観とほかの誰かの客観が混ぜ合わさり、人間の多面性を表現するのに適したあり方かもしれないなと思いました。

新しい形式は、そこで記述される文章に、主題を与えることがあるんですね。

断片をどのように串刺しにするかを考えると楽しそうです。


コクピットみたいに。全員が編集者で読者で著者。

あー、この人はここでここの部分書きなおすんだーとか。

データの共有から機会の共有へ。

この項は、技術が送り手と受け手の境界を曖昧にするかもしれないということについて書かれています。

これまでも、批評や創作は、みんなが送り手であり、みんなが受け手で、鎖のようにつながった、不可分なひとつの流れだったんですよね。

改めてそのことに気づかされるのだなと思いました。


リンクっていうのはもう古い気がする。

画面の切り替わりはリンクではなく断絶。

これはもっと詳しく聞いてみたい気がします。

いまこうやってブラウザなりテキストエディタなりを使って作業しているわけですが、この話はもうインターフェイスから異なっているわけですね。

たしかにリンクしないで……、たとえば広大な紙があって、文章や図が点在し、読者は俯瞰したり天地反転させたり拡大縮小したりしながら読むというような感じでしょうか。

身体的な操作法が求められるかもしれません。

紙の本や、現代のブラウザには、実はいつも気にしていないけれど、制約がある。紙の本は面積が限られているし、マウスやキーバインドで操作するブラウザは、どちらかといえば不自由といっていい。

この点を克服できるならば大きな飛躍に違いないと感じました。


あと、僕に理解できるか心もとないですが、引用とリンクで教えていただいたセマンティックウェブについての文書を読もうと思います。


システマー

ゲームをプレイする人とゲームのルールを作る人にたとえ、文芸の形式や手法の革新を説明したエントリーがきました。

 たとえばRPGとかで。あるアイテムや技やキャラクターにカーソルを合わせると、解説として短いフレーバーテキストが読める。そういう断片テキストを適当な関係で大量に読ませて、集合的イメージを想起させる。そうやって何かを表現するのってまさに文芸だと思うんですが、それが文芸と呼ばれることはあまりないようです。

これを文芸と呼ばないとしたら、いったい何でしょう。

僕たちが普通だと感じているこういう文章より、上記引用のような短い情報の積み重ねのほうが、脳内の情報処理に近い気がしないでもありません。いま適当に言いました。

このエントリに対して向けられそうな反論を予想して、僕が勝手に再反論します。


一般的に小説は冒頭から最後の行へ一直線の構造をとりますが、いつもそうだとは限りません。

ゲームブックなどすべての分岐テキストも、夢枕獏の『カエルの死』も、あの『「あたし状態遷移図」、あるいは「あたし約5.2MB」』も、一直線ではありませんがたしかに文芸です。

たとえば音楽は(小説の文字の列と同様に)時間軸を進みます。だから音楽とか戻ったりしない。話のわかるヤツだ。

しかし現代音楽の楽譜が自由闊達であるように、

その直線的な構造を壊そうとする試みは、文芸においてもあっていいはず。

まさか現代音楽が音楽の範疇に入らないという人はいないと思います。

ことほどさように、小説がリニアなものに決まっているだろうという先入観は恐ろしいものです。

普通の紙の本の文芸は狭義の文芸にすぎません。

もし文芸が紙の本に閉じこめられる程度のものならば、巻物や木簡や粘土板の時代に滅びていていたでしょう。あるいは口承文芸の時代に。滅びていないということは、きっと文芸は強い子です。とにかく貴様ら、文芸のヤバさをもっと知るべきだと思います。

さらに、紙の本のいわゆる普通の文芸にあってさえ、直線的に時間が進行していると考えるのは早計です。

詳しくは筒井康隆の『超虚構性からメタフィクションへ』*1や『虚構と現実』*2をお読みください。


こうやって新しい形式の文章を考えることは、すぐさま商売には結びつかないかもしれません。

でも、文芸は必ず商売として成立していなければいけませんか。商売になっていない文芸は数限りなくあるし、たとえ広まらなさそうな形式であれ、そこに挑戦する人間はいていい。銭を生むことだけが価値ではない。

多様性がなくなれば、冒険心がなくなり、既存のジャンル小説の縮小再生産を読み続けることになってしまう。

そんなのはまっぴらごめんです。自覚のない固執を伝統芸能として認めたくなんかありません。

そういうのが好きな方は、どうぞそのままでいてください。その輝きを永遠に保ち続けていてください。檻の中で。


ならば文芸のアーキテクチュアはいつ破壊され得るのか。それは未来永劫起こりえないのか。まさかだろ!!

奇しくも、上で触れた檻やノンリニアな感じについて触れているエントリをさきほどいただきました。

人類は散逸的に与えられた情報を画像的に読み取って脳内で再構築することが可能である。それは超越的な認知を形成し、文章のストーリーだとか公開順序だとかそういう古典的努力の一切を超越したところに未来的な像を結ぶ。

さて、我々は認識の檻の中に生まれ、認識の檻より出ることなく死んでゆくのか。

固定観念というのは恐ろしい、あの人は檻に入っていることを知らず喜んでいるのだ、上で僕もそう書いてしまっていますが、果たして自分が檻に入っていないとも限らない。

後世の人間が見たら、現代の人々って、きっと些細なことにとらわれている哀れな存在に違いないんです。

1990年代序盤はみんなポケベル使ってニコニコしたりドキドキしたりしてたんですよ。公衆電話から片仮名のメッセージを送ったりしていた。

それはそれで詩情があったので全面的に否定できない、むしろ誰かあの感じを再現するようなアートを作ればいいのにとすら思いますが、現代の技術を失ってあの時代に戻ったら辛い。


iTunesとテキスト

自分でこんなこと書いてましたが

iPhoneのつぎのOSiTunesとメモの連携が実現するっぽいですね。


まだまだご意見をお待ちしています

もしまたトラックバックが増えたら、こんな感じで紹介していきたいと思います。

*1:小説のゆくえ(中公文庫)所収

*2:着想の技術(新潮文庫)所収

2009-06-03

「創作文芸のビジョン」集積

| 06:00 | 「創作文芸のビジョン」集積 - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「創作文芸のビジョン」集積 - 論理兵站 「創作文芸のビジョン」集積 - 論理兵站 のブックマークコメント

トラックバックを募集します

みんなで創作文芸の未来予想をしましょう。

情報化が進行し、Google Wave が発表された現在、文芸の発表形式や制作手法が変化しないとはとても思えません。


どんな未来が妥当だと思われますか?

あるいは、どんな未来がいいですか?

今のうちにやっておける、そのために必要なことは何ですか?

制作において共有すべきは何?

権利は?

対価は?

作品の管理は?

読書のスタイルは?


レポートのような文章でもいいですし、未来の文芸を描いたフィクションでも構いません。

ハイパーテキスト、ワールドワイドウェブ、引用、改変、XMLBTS、そんな単語を使ってもいいですし、使わなくてもいいです。

「流通について」や「制作について」など分野を限定した意見でも、あるいはもっと細分化して「人材をマッチングさせるためのサービスについて」でも。

こんな箇条書きでもいいです。たぶん誰かがふくらませるでしょう。

どんな方向性を求めているかは、下の文章を読んで、なんとなくわかってください。


経緯とか

先月末、こういうのを書きました。

ブックマークは現時点で 12 、ゆっくりぽつぽつとロングテールで読まれている感じです。


Skype で連絡をとってくれる人や、トラックバックを送ってくれる人もいた。記事ひとつでそんなダイレクトな反応をもらえることはいままでなかったので、じつに嬉しいことです。

id:kennak は関係する文書の英文を和訳してくれたり、プロジェクト管理ツールを教えてくれたりした。

たぶん、ウェブで創作の文章を発表しようなんていう人は、興味の方向は似てるんだと思う。

上の記事「創作文芸のビジョン」を書くまでには d:id:phad:id:masapguin との会話があって、どちらも示唆に富んでいたんだけど、このふたりはどちらもウェブサービスを作れるような人だから、フィクションを書く人も、コードを書く人も、同じ問題意識を持てるんだとわかった。

d:id:Erlkonig は「ゆらぎの神話」というのをやってて、共同創作のルールづくりや運営について聞いてみたいことがあったので、昨夜いろいろ話しました。

そして彼は、「創作文芸のビジョン」のブックマーク数は少なすぎると言った。

昨日の昼に Twitterid:legnum がこんな発言をして、

ちょっとその周辺の話題が盛り上がったとき、「オープンソースノベルって何がオープン?」「本文? 設定? 印刷の版下?」みたいな会話があって、その後 id:objectO が書いたエントリは、さっそく「創作文芸のビジョン」のブックマーク数を軽く抜いた。

注目を集めるっていうのはこういうことなんですよね。たしかにこういうふうにしないといけなかった。

僕は、いま珍しく、注目を浴びたい。他人の力を借りてでも。

いいえ、自分が浴びたいんじゃないですね、せっかくなら楽しいことをやりやすい未来を選びたいから、そのためにいま考えているこのことを普及させたい。

僕は技術には詳しくないし、たいした読書量があるわけでもありません。

そこで、みなさんの経験と知識と発想とおもしろパワーをお借りしたいのです。

あなたがふだん考えていることや、あるいは得意分野の知識でこのビジョンに重なるものがあるなら、ぜひ教えていただきたいんです。

文芸の未来像、明るく素敵な予想図を教えてください。

あなたのエントリが面白ければ結果的に創作文芸のビジョン全体が広まることになるので、むしろブックマーク数はあなたが持っていってください。

既存の出版界が「売れない」「どうしよう」とか言っているあいだに、根本的に世界が変わってることを見せつけてあげましょう。

ウェブなら誰かが協力してくれるだろうと楽観的に期待しています。

このエントリーにトラックバックをください。

気長に待ちます。

kidanakidana2009/06/25 06:10オープンソースノベル「スレイブ」
http://homepage3.nifty.com/hatanaka/slave/

kidanakidana2009/06/25 12:18オープンソースノベル

クトゥルフ神話
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%95%E7%A5%9E%E8%A9%B1

シェアード・ワールド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89

2009-05-29

創作文芸のビジョン

| 21:51 | 創作文芸のビジョン - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - 創作文芸のビジョン - 論理兵站 創作文芸のビジョン - 論理兵站 のブックマークコメント

世界は変わります。

01

創作してるやつら全般が好きだ。

なんかしようと思って、なんかしてるから、なんにもしてないより偉い。

同じように、文章書くやつらが好きだ。

でもメディアが代替可能なことにすら気づいていなかったりする。

メディアによって主題や手法は異なるべきなのに、紙の本じゃないとダメですよとか言う。

そんな子はとりあえずこれでもくらえ。

いまだに携帯電話のディスプレイでテキストを発表することを無視するような態度ではダメですよ。

携帯電話に拘泥しているわけではなくて、これからどんどん新しいデバイスが出てくるのに、そこに載せる文章が古典作品の完全移植とかばっかりじゃダメなんですよ。そのフォーマットを引きずってたらおかしい。

紙媒体の名作が電子媒体でも読めるっていうのは素晴らしいことだけど、新作をリリースするクリエイターならば、発表形式という制約で遊べないのはいかがなものだろうかと思うのです。

新書と文庫では1行の文字数が違うでしょ? というところで理解を止めないでください。もっとさらに先を見据えることができます。

ケータイ小説は旧来の小説から断絶しているので文体を模索することができた。

行間が空く理由は、スクロールのときに読みやすいようにです。

単語の選び方も読者の立場に立ってる。

たとえば、Twitter文学なんですよ。

発言を編集してタイムラインにしているのは各ユーザーでしょう?

Twitter の発言は断片。

断片の向こうにいる人が、実は何をしているのかわからない。

現在は断片です。

これが私たちのリアル。

断片でいい。

それは元気玉になる可能性があるから。

とりあえずなんでも文章を書いて、検索エンジンに食わせておけばいい。

これからのメディア、入れ物にどんなものを入れるか。

新作はメディアの性能を引き出すコンテンツであってほしい。


02

内容もだけど、制作手法もどんどん変化できるはず。

手法についてはウェブならではの方向が見えてきているのではないか。

マルチメディアでできること。

ハイパーテキストでできること。

いろいろ可能性はあるんだけど、今回は、共同制作ができるよっていうポイントに絞って考えてみたい。

執筆方法は変化する。

いま進めている計画では、共同執筆編集に Trac というツールを使おうとしています。

どうなるかわからないけど、やってみることは必要。

画家が画材を試すように、文章であっても道具を試すのは重要だと思う。

その筆ならではの絵が描ければそれで成功なんだと思う。

たとえばペアプログラミングのような執筆をしてみたいし、読んでみたい。

Googleドキュメントを使えば、環境としては現段階において余裕で可能なんだ。


03

個人のリソースが足りないことについて。

創作において、みんななんかしたいけど、いろいろ足りない。

不況のせいもあって、パブリッシュまでのハードルが高い。

なにかしたい子がなにかできるまでを楽にしたい。

経験だったり知識だったり。

技術だったり発想だったり。

時間だったり貯金だったり。

じゃあみんなでちょっとずつ元気玉をためれば1作できるじゃん。

貴様のリソースをよこせ! という未来。

共同で作れば、制作風景を見せることで、誰かが真似したり反発したりっていうこともできると思う。

ウェブには地理的な距離がないので、なんとかできそうな気がしている。

音楽コンテンツはアナログレコードの楽しみもあるけど、音声ファイルのやりとりで遠隔地でも共同作業ができるようになった利便は、素直に享受したい。そしてその先を見たい。


04

以前「共同で創作できたらいい」っていうような話を d:id:pha とは話してたことがあった。

そのほかいろいろ細かいこともあるんだけど後述。

そしたらphaくんは「作れば」と言った。

IMとGoogleDocをブラウザ内で統合したら共同執筆が楽になるんだけどな、っていう部分は、frameでできるかなーとか思っていたんだけど、なにもしなかったらグーグル先生にやられてしまった。こっちのがいいや。

で、オライリー先生はこんなことを。

考えてるだけじゃダメだな、実現可能性は置いておいて、先に言わないとダメだなと思った。

あと、技術者うらやましい。

いままで Skype などのメッセンジャーを使って会議チャットしたり、Googleグループでメンバーを集めてメーリングリストしたり、Googleドキュメントでプロット詰めたりしてきた。

こうしてそれぞれのツールがシームレスでつながっていくといいですよね。

SNS は終わった?

ミニブログは終わった?

終わったわけでなくて、いままでそうやって使ってきたツールは、プラットフォームに接続することで併用していけるんじゃないかなーとか思ってる。詳しいことは知らないけど。

各ツールはWaveのようなフレームに接続して、どのツールを使うかはユーザが選択すればいいと思う。

たとえば Twitter の発言を編集するとき、こういうプラットフォームを使うことで楽になるはず。


05

さらに未来。

そうやって新しい制作方法で作ったコンテンツは、形式が新しくなってもいいんじゃないかと思った。

コンテンツの規格がほしい。

リソースの不足で、あるいは社会がそうなったから、個人は断片しか提供できないかもしれない。

それでもなんとかなるように。

また、インターネットを利用することで初めて可能になることも盛りこんでいきたい。

g:neog:bwn で、そういう未来を考えつつ遊んでいこうと思ってます。

乱文ですが、とりいそぎ意見表明をしました。賛同していただける方はぜひご協力を。

私のはてな ID に@gmail.com をくっつければメールが届きますし、Skype で extramegane または talkingmegane を検索すれば私が見つかります。


改変可能な断片の集合を創作と言い張れ。

ハブとなる仕組みを作れ。

著作者や改変者をすべてタグで管理してもいい。

ミームの概念や、クリエイティブ・コモンズを援用してもいい。

すべての版を保存し、時系列で並べて差分を読めるようにしてもいい。その差分だけ Podcast のように配信してもいい。

iTunes のような読書があってもいい。

小説と戯曲と散文詩と定型詩と単行本と短編集とすべてを統括できるXMLのタグを作ってもいい。

これでやっと世界はひとつの物語になれる。

kennakkennak2009/05/29 23:21最近の流行はtracよりもredmineですよ!と一部に怒られそうな事を言ってみる。
RedmineとTracの機能比較: プログラマの思索
http://forza.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/redminetrac-905.html
ワンタッチでインストールできるRedmineツール
BitNami::Redmine をインストールしてみた - かおるんダイアリー
http://d.hatena.ne.jp/kaorun55/20090516/1242482461

extrameganeextramegane2009/05/29 23:29複数プロジェクト同時進行は大切!

2009-05-26

ブログのフォーマットが長編の創作の発表に向いていないことについて整理

| 23:59 | ブログのフォーマットが長編の創作の発表に向いていないことについて整理 - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - ブログのフォーマットが長編の創作の発表に向いていないことについて整理 - 論理兵站 ブログのフォーマットが長編の創作の発表に向いていないことについて整理 - 論理兵站 のブックマークコメント

ブログエントリで長編を分けて公開することは難しい。

前提

  • メディアごとの差によって、テキストは影響を受ける
    • 基本的には読みやすさ
      • たとえば携帯電話ディスプレイに適した文体が模索されている
    • あるいは、内容についても
      • 目と携帯電話ディスプレイの距離、携帯電話というツールが持つ機能、印象、それらの総合がケータイ小説をケータイ小説たらしめる
    • テキストサイト時代にウェブならではの機能を用いた創作があったのかは知らない
      • ハイパーリンク、音声、その他
      • まあたぶんあったということにして、ではなぜ今日、その創作フォーマットが規格として継承されていないのか
      • 書体の大きさや色を利用するのは継承されたからではなく毎回再発明されているような気もする

ブログ

携帯電話の普及と並行してブログの流行があった。

創作テキストの、しかも長編の置き場とする用途に、ブログは向いていない。

  • ブログの特徴、創作との相性
    • ブログは時系列
      • 日記文学などには向いているはずだ
      • あるいは時系列やタグでソートされる特徴を利用したコンテンツは考えられるし、存在するはず
    • htmlは文字数などを管理しにくい
    • ブログよりは、どちらかといえば静的なhtmlのほうが向いている
    • ブログでは長編小説を読みにくいという声はあまり上がらなかった
      • 携帯電話のディスプレイでは読みやすいテキストが探求されていたというのに
  • PCのブラウザで日本語長文を読むときの理想
    • スクロール時に目の置き場に迷う現象を解決したい
      • 紙のページをめくるように見開き2ページ単位で移動?
      • ケータイ小説ではこのために行間が空いている?
    • 縦組(左へ進行)と横組(下へ進行)を選択できること
      • あるいは縦書きで段を設け下へ進行、横書きで段を設け右へ進行
    • PDF形式、Flash形式は?
      • ブログエントリのよさと上記形式のファイルのよさをミックスできるか
    • もし肉筆原稿をスキャンして簡単に公開する方法があればどうか

広がるウェブ創作の可能性

  • Wikiの特徴を創作に利用する
    • 複数人数編集
    • 積極的にハイパーリンクを利用できる
  • Twitterの特徴を創作に利用する
    • 多視点の物語の同時進行
      • kamatterで実現した
  • Tumblrなど、その他ウェブサービスの特徴を創作に利用する
  • 紙の本の意識を捨てることで初めてメディアの特性を十全に引き出せる

まとめ

新しい容器に古いものをそのまま入れてもなー。

  • リキッドデザインに特化した文体、記述方法を見つけていきたい
  • ブログのシステムを利用した創作の可能性は追求しきれていない
  • 可読性の高い「紙面」をさまざまなディスプレイごとにデザインする必要がある
  • 紙の本に準拠するあまりハイパーリンクとマルチメディア性がないがしろになっていた
  • ウェブ上でテキストを発表するための規格が必要

追記

b:id:kennnak に下記の記事を教わりましたが、私には難しくて読めませんでした!

http://www.ftrain.com/ProcessingProcessing.html

追記2

ブログにおいての創作がケータイ小説のように既存出版界から目の敵にされなかったことは、単純に「書店の売り場面積を奪い合う対象ではないから」という指摘を受けた。

また、ブログの文章の文学性は、王道の小説のようなものよりも、どちらかといえば日常の出来事を(あるいはそれを装った)文章にこそ顕著であると感じるし、その方向性は十分に実っているようにも思う。ブログは現状で文学たりえている。

トラックバック - http://neo.g.hatena.ne.jp/extramegane/20090526

2009-05-21

出版のフラット化のために

| 16:51 | 出版のフラット化のために - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - 出版のフラット化のために - 論理兵站 出版のフラット化のために - 論理兵站 のブックマークコメント

  • 部数の少ない印刷物は1冊あたりのコストが非常に高い
    • 大量に印刷すれば1部あたりのコストは下がるが
      • 同人誌の場合は在庫管理や流通に難がある
  • 部数を増やすための努力
    • 出版された同人誌の情報が広範囲にいきわたること
    • 遠隔地へ届けるための流通をどうするか
  • インディーズ出版が実現する条件
    • 流通
    • 宣伝
    • 【課題】話題性、煽情性、キャッチーさを備えた売れ線の商品が必要
      • 構造を作れればあとは部数の少ないものも流せるのではないか
      • 楽観的予測
  • 部数が少ないままで大勢に読ませる方法
    • 国会図書館に納本すれば誰でも読めるっちゃ読める
      • なるべく納本したほうがいいと思う
      • 通販の方法を併記しておくなどの工夫
    • 同人誌カフェのような場所があればもっと便利
      • 見本誌を無料で閲覧でき、気に入ったものを印刷するときに課金するなど
    • PDFなどで頒布し読者が各自印刷する方法
      • PDFでは全部読ませる/部分的に読ませる
  • 印刷よりコピー本のほうが安い場合
    • ページ数やサイズによる
    • 現在だいたい数十ページ、数十部あたりに分岐があると思われる
    • 増刷し利益が発生した場合に関係者にどのように還元するか
      • 【課題】利益と負担をサークル内で公平に分配するシステム
  • 印刷コスト以外の制作環境への投資をどうするか
    • 制作のためのツールを共有、または無料化できるか
      • 執筆から頒布までをウェブサービスで完結できるか
      • 広告から収入を得る場合は詐欺っぽい広告にユーザが流れないよう注意
  • 印刷コストを読者が負担することで
    • 印刷すべき文章とディスプレイで読む文章の差が明確になり独自に進化できる
    • どこにも在庫が存在しない利点
    • 1部あたりの印刷コストが上がる欠点
  • 部数決定について
    • 【課題】イベント頒布のとき予約システムがあれば
      • 部数決定の一助になる
  • コンピレーション本の提案
    • 複数人数の原稿をまとめれば印刷コストは下がるはず
      • 【課題】執筆者および編集者、デザイナーのマッチングサービス
    • 知らない執筆者を見つけられる利点
    • 読みたくないものまでついてくる欠点
      • 知名度の高い編者を起用することで説得力につながる
      • 特集の意図がきちんと伝わることが望ましい
  • 印刷所以外の印刷方法
    • 自宅
    • ネットカフェ
    • コンビニ
    • 出力屋

小説のプラットフォーム

| 14:13 | 小説のプラットフォーム - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - 小説のプラットフォーム - 論理兵站 小説のプラットフォーム - 論理兵站 のブックマークコメント

  • 小説はその誕生、発展から「紙に書かれた字を読む」のが前提だった?よね?
    • 木簡とかもあるかもしれないけど
    • 洞窟壁画が小説に含まれるかどうか、いまちょっと考えが及ばない
    • 小説のうちに講談など話芸から輸入したものは多いと思われる
      • 話芸そのものが小説になったわけではない
  • 紙には紙幅がある、面積の制約を受ける
    • 話芸によって伝えられていた物語は紙に記されることで形を変える必要があった
  • ウェブページで小説を発表しましょうと考えたときに以下のような変革があった
    • ハイパーリンク
    • 面積の制約がない
    • 文字、図像以外の情報も入れられる
    • 1行折り返し文字数が不定のことが多い
  • 本当は紙の文章をそのまま移植しても不自然なはずなのに、あんまり気にされなかった
    • 少なくともケータイ小説のようなものすごい反発はなかった、と思う
    • ブログにおいて、テキストサイトにおいて、既存の小説から反発されるくらい自由闊達な創作活動をするべきだった!
  • してみると、携帯電話ブラウザのディスプレイというのは、小説にとって非常に大きな変革
    • ブログやテキストサイトが憎まれ役として力不足だった、とばかりは言えない
      • 上記の紙とウェブの差に自覚的な創作者と鑑賞者が少なかった
    • 小説とケータイ小説の間には、話芸と小説くらいの差がある、のかもしれない
      • すこし誇大
    • 携帯電話は、小説が初めて直面する、紙以外でもっとも普及したプラットフォームではなかろうか
      • ブログも今からそれをしよう、紙の本に憎まれよう
      • ブログ本とか出してる場合じゃねえ
  • 紙の本にとってディスプレイは敵対者かもしれないが、小説にとっては、メディアなんか多様なほうがいいに決まっている
    • それぞれのメディアも共存する方法はある
      • 共存というか、クロスメディアのコンテンツは作られるべき

小説をウェブページに置くこと

| 13:42 | 小説をウェブページに置くこと - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - 小説をウェブページに置くこと - 論理兵站 小説をウェブページに置くこと - 論理兵站 のブックマークコメント


  • 短編なら方法はある
    • ぜんぶ集めておいてカテゴライズやランクづけしようという方向には疑問
  • 長編は見せ方がむずかしい
    • 区切りとか文章量とかモニタ自体が疲れるとかページめくりとか
      • 【課題】小説に高橋メソッドを用いる検証
  • 携帯電話のブラウザで閲覧するためのものはある
    • 個人的にはもっと使いやすくなったらユーザ数が増える気がしている
  • 紙の本の文章そのものを携帯電話のブラウザに移植するのは難しい
    • メディアによって表現方法が変わって当然
      • メディアごとに新しい形式を模索していくべきだと感じる
  • ブログじゃダメなの?
    • たいていのブログは日付ごとにソートされるので困るケースもあろうと想像する
    • ブログで長編小説を発表するときは紙媒体とはそれなりの差異がある
      • 時系列で並ぶことを活用することなど特徴を活用する方向へも発展
  • ひとりでWikiを利用するのはダメなの?
    • あるいははてなグループのグループキーワード
    • なぜこれが利用されていないのか不思議
    • 複数人で編集するなどの特徴を活用する方向へも発展
  • 青空文庫形式やPDFでの配布はダメなの?
    • 【課題】閲覧手段のさらなる普及が必要
    • 【課題】インディーズ文章を配布するときの規格を策定する
    • RSSリーダで読む、あるいは文章版のポッドキャスト
    • お気に入り作家サジェスト機能
    • 創作だけでなく評論も含めることでインディーズ文章界の維持、繁栄を促す
  • 紙媒体と比較したときのウェブページの利点
    • 版を無制限に更新できる
      • すべての版を保存および管理するときに容積をとらない
      • 差分のみの配信も可能
    • 共同執筆しやすい
    • 権利を放棄しやすく、権利放棄したテキストでも広めやすい
    • 検索しやすい
    • 並べ替えやすい
    • タグ管理しやすい
    • 使用語彙を分析するなどの研究が容易

kidanakidana2009/06/25 12:53以下のメールマガジンで同人小説を同人誌専門書店に持って行って売ってもらう。
様々なイベントで広告して売るなどの体験レポートを書いています。是非読んでください。
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/frame.htm

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2009-05-20

読まない読書と書かない執筆

| 15:40 | 読まない読書と書かない執筆 - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - 読まない読書と書かない執筆 - 論理兵站 読まない読書と書かない執筆 - 論理兵站 のブックマークコメント

いままでに何度か申し上げましたように、体験するだけで読書ですから、本を読まずとも読書です。

同様に、書かずにいてもなお、その行為は執筆であると言えましょう。

文学とは、それら読まない読書や書かない執筆を包含する大きな概念であります。

執筆と読書は、文学の前に同一です。読書と執筆は渾然一体となります*1

ただ、改めて明らかにしておきたいのは、「まあ読んだり書いたりしたほうが全体への寄与となるのでぶっちゃけ読んだり書いたりしたほうがいいですよ」という事実であります。

皆様が、よりよい文学生活を送られんことを。

ここにことばがあるかぎり。

*1:読むことと書くことのどちらが先に存在したかを考えればわかります。同時に存在したのです

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2009-05-19

印刷のこと

| 22:02 | 印刷のこと - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - 印刷のこと - 論理兵站 印刷のこと - 論理兵站 のブックマークコメント

経験から学んだこと

『Tamorization』で印刷したときは、初めてだったし、何度でも通えるようにと近くの印刷所にした。これは気をつけてよかったなーと今でも思ってます。

紙の質とかインクの色とか印刷見本とかファイル開けます?とかあるので印刷屋さん行ったほうがいろいろ早い。往復の交通費とか考えると近いところのほうが結局安いっていう。

タモリ表紙はペイントソフトで作ったカケアミと印刷機が干渉してモアレできるかもよー、みたいなことを言われたので、似たようなことをするときは印刷屋さんにベターな方法を聞くとよい。でっかい網点にすればモアらない。

ところで、アドビのクソ高いソフトが前提の印刷所が多い。インデザの廉価版ほんとほしい。あったらきっと同人誌印刷屋さんも対応してくれるはず。あるいは日本語ネイティブのDTPフリーソフト。

たぶん一般的なこと

  • A5、B5といっても印刷会社ごとに指定するサイズが違うような気がする
    • mm外側まで作っとけ、みたいなところも異なるので印刷屋さんに聞くべき
  • 印刷範囲内にノンブルが必須
    • ファイル名と対応させる
    • ゼロの桁も入れてソートできるようにする
  • フォントのアウトライン化、ラスタライズ
  • レイヤ統合
    • いらないチャンネルやパスは削除
  • 出力見本があるとよい

とにかく会社によって違う可能性があるから一概に正解の形式っていうのはない。

PhotoshopEPS以外認めない!という潔いところもある(これはミスを減らすためにアリだと思うけど本当はファイル作るときに銭のかからない規格がいいよなあ)。

PDF対応のところは思ったより少ない印象。

テンプレートのファイルを配布してるところもあんのかな。あったら便利。トンボとか。

会社によってはダンボールで箱ごと送ってくれるサービスあるんだけど文学フリマの場合は運送会社のセンターだかに前日までに到着みたいな感じなので注意。

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「ネタにマジレス上等」についてあれこれ

| 13:19 | 「ネタにマジレス上等」についてあれこれ - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「ネタにマジレス上等」についてあれこれ - 論理兵站 「ネタにマジレス上等」についてあれこれ - 論理兵站 のブックマークコメント

過去の記事の言及がありました。

たいへん興味深いエントリです。そちらからお越しの方は、もしお暇でしたら以下にリンクしたエントリもあわせてご覧ください。


ファック文芸部全体の考えはわかりませんし、そんなものが存在するとも思えないのですが、わたし個人は、現実(みなさんがいうところの)と虚構のあいだに、明確な境界が存在しないという立場です。

言葉を紡いだとき、結果的に嘘にならなかったためしがない。現実か虚構かの二択で考えるから辛い。限定的な現実の外側に虚構があり、虚構が現実を包含していると考えると楽になる。


またわたしは、虚構が多くの人を救済できると考えています。そう考えて活動しています。送り手が創作によって受け手を救済するのではなく、送り手も受け手も等しく創作によって勝手に救済される。

しかし、社会生活上に虚実の問題をどのようにおとしこむかは、単純で難しい問題です。

言論の自由に制限を受けることは理不尽ではありますが、歴史上しばしばみられることであり、わたし自身は不思議を感じません。

表現行動が違法になったとしても、みなさんは自身がやりたいことをやればいい。イメージの表出が誰かを傷つけたとき、イメージの表出をおこなった誰かを罰する世の中であっても、やりたいことをやればいい。

もしできなくなるならば、それはやりたいことではなかったのかもしれません。

相当やりにくくなることが予想されますが、制約を与えられて燃えない創作者なんかいるはずがありませんから*1

現時点のこの社会に真の意味での表現の自由が存在しているかと自問したとき、わたしは否とこたえます。どの時代のどんな社会でもおそらく、表現の自由が保障されたことなどないし、いままでに完全に実現したことなどないでしょう。


ところで、昨日の自分を裏切ってでも*2、考えを更新していくのはおかしいことではないですよね。

レッツ朝令暮改。明日には違うことを言おう。

報告書2のつづき

| 00:02 | 報告書2のつづき - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - 報告書2のつづき - 論理兵站 報告書2のつづき - 論理兵站 のブックマークコメント

前回のあらすじ。

思考の放棄を称揚し、駅前全裸銅像を肯定した。


しかし、思考せずに制作された理想的な作品なんてほとんどないですよ。直前のエントリの最後の段は、ご想像のとおりおおかた皮肉です。

「こっちのほうがかっこいいかと思って」のような色気が出るとダメになる。「こっちのほうが売れるかと思って」とか。

少々、屈折している気はします。たとえば、「売れ線だから」という発言は、じつは「やりたいことが陳腐なのは恥ずかしいからとりあえず別の理由を口に出しておくか」かもしれません。

それでも同じです。わざわざ作品外で弁解や正当化をするような創作は、作中での説明が不足している。あるいは作者の覚悟が足りない。

駅前全裸銅像は作品外の情報を読まないことによって初めて素晴らしさが味わえるものだというのに。


駅前全裸銅像は狙ってできるものではなさそうです。

考えずになにかをなせる人間は、そうそういません。思考を放棄できるのは禅の大家かゾンビくらいのものです。

どうしても俗なる人間のやることには意図が混入してしまう。あるいは感情。メッセージ。

なにかを考えた時点で、あるいは情動をこめた時点で、被造物は前述の理想の状態からは、大きくかけ離れてしまう。

どうしてこういう形のものができあがったのか推理できてしまう。

たとえば、既存のメジャーに対する憧れを主な動機として制作されたであろう作品。卒業制作だったり、賞狙いだったり、誰かに評価されようという下心が透けて見える作品。作者本人を慰撫することが目的の作品。

前々回に触れた、詐欺に遭うようなケースの多くは、そういう心理にもとづくものなのだろうと感じる、感じさせられる。まったく悲しむべきことです。

そして他人事では済まない。

私もまた、憎しみから離れられないがゆえに、同じ陥穽にとらわれている。

ルサンチマンによってなにかを作るのは快いことではあるが、制作活動が状況に支配されていることに変わりはない。

憧れではないにせよ、憎しみによって、いたずら心によって、それをなしたのであれば同じ穴の狢。1回ひねってあるだけ。詐欺には遭わないかもしれないが性質の悪さではいい勝負だ。


色気があったらあったで気色悪さを感じて遠ざけたくなるし、なかったらなかったで誰も見向きしないから広まらず観測しにくい。商業的なコンテンツであるのにもかかわらず諸々の事情でヤバいことになってるやつのほうが、まだ人目につくからおもしろがれる。このあたりアマチュアは損です。欠点の指摘すらしてもらえないのです。

駅前全裸銅像は公的なものだから嫌でも市民の視界に入るのにあまりにもありふれていて無視されてしまうという消費のされ方まで含めておもしろいのに、同人誌なんかはこういう構造になることがそもそもむずかしいわけです。

意図しないことが素晴らしいといっても、意図しておきながら意図していないことを装っている作品は見ていられない。

「そんなことどうでもよくなってる状態」は楽しいですが、怠惰によっての、議論を忌避するための、うやむやにするための、ごまかしの「そんなことどうでもいいじゃん」という発言は、私の利益を、全体の楽しさを減少させる敵対者でしかない。

まだまだ悪しき「そんなことどうでもいいじゃん」が幅を利かせています。

私は駅前全裸銅像のまがいものを買うことはできません(駅前全裸銅像は野の花と同じように環境ごと購入して所有してしまうと魅力がなくなってしまうということもありますが、それは別の話です)。


駅前全裸銅像のような無意識の表出は望んで得られるものではないし、望んだ制作された駅前全裸銅像は望まれた時点で理想の完成形からはすでに変質してしまう。逃げ水のようなものです。

理が勝ちすぎる。情が強すぎる。意が邪魔をする。圧倒的な狂気を武器にでもしないかぎり。

社会には情報が溢れています、人間は日々、その奔流に晒されながら暮らしています。

自分のやったことは、はたしてやりたかったことなのか。

環境から、状況から、時代から、潮流から、圧力を受けてやらされたにすぎないのか。

主体をとりまく空気が、主体の心にやりたい気持ちを発生させただけなのか。

うずまくコンテクストが、準拠枠が、創作者が歴史から独立することを許さない。

やりたかったことなのか、やらされたことなのか。

すでにここまでくると、作業は快楽ですらありません。たとえ苦痛であることが明らかであってもいつのまにか手が動いている、創作とはそういうものなのかもしれません。

みなさんはすでにご存知ですが、創作は苦痛をも伴っています。

自らが状況に創作させられていると、背後にあるなにか形容しがたい存在のメディウムであると幻視しても不思議ではない。

やりたいこととやらされていることの区別がつかなくなっていく。

おそらくどちらでもありうる、不可分なものなのだと思います。

そこで、こう捉えてみてはどうだろうか。こう考えることはできないだろうか。

実現できてしまったことは、おそらくやりたかったことなのだ。

中断しなかったのは、やり遂げたかったからだ。

正義感や、崇高な文学的意図や、神の意思や、社会的な義務感など、どんなにクソな薄っぺらな動機でもいい、こうなったらやりたいことをやるしかない。

どうせやりたいことしか実現できない。


環境からの圧力で作者が媒体となり創作する。

なぜ自分なのかと理由を問うことに意味があるかどうかはわからない。

ただ、そのことが実現できる環境にある人物は、さほど多くはない(しばしば先を越されて悔しい思いをすることはある)。

なにができるか。いままでの経験に由来することだ。まったく同じ経験を経てきた人間は自分のほかに皆無だし、似たような経験を経ているからといって出力の形はそれぞれ異なる。

その作者にだけできること、それは確かにある。

自分にだけ作ることができるコンテンツは、自分自身を第一の観客と想定して作られる。

自分が関わったものがおもしろいのは、内輪受け、楽屋を知っているからの補正だけとは限りません。

自分をとりまく状況が、つまり自分が持っている過去の経験がある創作を行わせたと考えれば、自分が関わったコンテンツはまさに自分用に編集されていると言えるから。

作者は作者自身を対象に含めず創作することができない。


自分の関わったものがいちばんおもしろいわ。

そう思うことは悪いことではないはずです。

実現してしまったことが、やりたかったことなのだとすれば。

では、いちばんおもしろいはずなのに、見てもらえないのは、注目してもらえないのはなぜなのか。

他者は自分ではないから。自分の経験を他者と共有できないから。作品の説明ができていないから。

作者は成長していきます。

たとえばここで「宣伝が足りない」と判断して、間違った方向に頑張っちゃう人もいる、内実がともなっていないのに誇大にアピールし、結果的に嘘の広告になってしまう場合もある。逆に宣伝しないのも全体の利益を考えると困ったことになる。

宣伝ももちろん必要なんですが、そのほかの工夫も、まんべんなくバランスよく行うことが肝要。

自分を客観的に見ることができていれば過大評価も過小評価もせずに済むかもしれない。

状況が規定し、それをやるしかないならば、やると決めたならば、それはたぶん正しい、だからこそおもしろいと感じつづけなければ、長い作業を続けることは難しい。どのようなリサーチを行うとしても、最初の鑑賞者は作者本人になるから。


創作するうえで、結果的に主体は、あるひとつの選択肢を採った。

選択しなかった、ほかの可能性を捨てた。なにかを選ぶことは、ほかのなにかを捨てることです。

ある人にとっては誇りかもしれない、別のある人にとっては利益かもしれない、全体の中で自らが生き残るための切実な事情があるかもしれない、あるいは十分な選択肢を用意できぬ発想の貧困さがあったからかもしれない、創作者は、選択します。

ある時点をもって完成とするかどうかの判断も、これに含まれます。これ以上手を加えないことにする選択をしているわけです。

選んだ結果に満足するしかない、満足できない場合は諦める。

ベストを尽くしたのであれば、これはもうしかたない。

ベストを尽くせなかったと自覚するなら、次によりよい創作をやるほかない。

詐欺にも遭えばいいし、混乱すればいい。

環境が許す限りにおいて、やりたいことをやり、その次はやり残したことをやる。

どうせ表面的なところ以外に意味なんかないんだし、受け手に届かなきゃ勝手に捏造される意味すら発生しないし、だいいちあなたはテレパシー能力を持っていないので発表しないと伝わらない。

あなたの環境が、あなたの歴史が、あなたの過去の経験が、現在のあなたに「やれ」と言っている。

*1:佐藤亜紀もそういうことを言いたかったようにわたしは読み取りましたが、ブックマークコメントでは読解力の残念な子が多かったようにお見受けします

*2:昨日の自分は現在の自分自身が作り出した虚構です

extrameganeextramegane2009/05/19 00:02売れるかどうかや僕が買うかどうかは別ですけど。こんなことを考えて作られたものが地方の名士の自伝以上におもしろいわけがありませんから全部なかったことにしてください。うんこうんこー。

y_arimy_arim2009/05/19 16:41注釈二つが興味深かったです。
・「読解力」は、書き手が佐藤亜紀であることに影響を蒙るのか否か。ぼくは「あの佐藤亜紀の発言であることに注意」とブクマで述べていて、これはファ文におけるextramegane氏の理念の正反対かもしれませんね。
・「昨日の自分は現在の自分自身が作り出した虚構です」これは素晴らしい。銘記しておきたいです。(でも『現在』の範囲は?)

extrameganeextramegane2009/05/19 16:58グループ日記のコメント欄は日付ごとなので混乱しますね…。ごめんなさい。
たしかに自分も「佐藤亜紀だから」っていう属人性を気にして読んだところはあります。でも、あの文章だけ独立していてもきちんと読み取ることができるといえばできるのですね。どっちでも構わないのじゃないでしょうか。コンテクストはヒントに過ぎないというか。コンテクストを知っている人にとってはサービス問題になる、というか。
現在の範囲は「時間の最小単位」または「認識、意識できる時間の最小単位」のような気がしているのですが、不勉強なのでよくわかりません。

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2009-05-17

報告書2

| 03:43 | 報告書2 - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - 報告書2 - 論理兵站 報告書2 - 論理兵站 のブックマークコメント

日本の駅前には全裸の銅像があって、それに対して「不謹慎だ!」という声もあまりなく、みんなはそれに無関心です。

駅前のロータリーとか、ぐるぐる回るタクシーとか、鳩とか、ミスタードーナツの店舗とか、全裸の銅像はそういう要素と渾然一体となって日本の風景をつくっています。

慣れてしまって、慣れてというか、無意識のうちに、なにも考えることなく受け入れています、全裸の銅像が視界に入ったとき、誰かが何かを考えるということは、ほぼない。


思考の放棄。


どうして裸なのか、どうしてそこに銅像を置く必要があるのかは、誰にもわかりません。

そのタイトルが『太陽』とか『そよかぜ』とか『春のささやき』などである必然性もまったくわかりません。

必要はわからないけど、そこにある理由を想像することくらいはできます。

市会議員がヨーロッパでその町を象徴する銅像を見たから、文化的事業の予算がついたから、たまたま郷土出身の彫刻家がいたから、銅像といえば裸なのは間違っちゃいないから。

全裸の銅像を見て「全裸じゃん」って指摘するのは、子供のすることだから、誰もしない。文化的な生活を送る大人は芸術を解すことになっているので銅像が局部をモロ出しにしていることについてなにも言わない。なにも言わないことが常識になるから、子供もそういうものだと思う。

最初はそんな理由だったものが、だんだん形骸化していきます。

あるいは道祖神なんか性器そのものの象徴だったりするので日本の風景に全裸の像があることは普通なのかもしれない。

そしてオリジナルを忘れていく。新しく建てられた銅像はヨーロッパの模倣ではなく、「なんとなく建っている日本の駅前の全裸の銅像」の模倣になっていく。いつのまにか駅前に銅像が建つ理由は、「隣の町が銅像を建てていたから」でしかなくなってくる。

ヨーロッパの村や町に建っている銅像は、地域にゆかりのある聖人だったり歴史上の英雄だったりするのかもしれないけれど、形骸を輸入し、輸入された形骸は形骸として、どういうわけか勝手に発展していったりする。


思考の放棄。


誰の思考にもよらず、なんとなくそこに存在する銅像は、意味を失い、純粋な物体になります、そもそも日本の景観はこういうものが多い、歴史的建築を残そうというヨーロッパ的な発想がほとんどないから、ビルは無秩序に建っていく、デザインの統一もなく勝手に建っていく、日本の都市は見渡す限り、地平線まで延々とそんな感じだ、電車で移動してもずーっとそんな感じだ。

新宿歌舞伎町や秋葉原の雑然とした町並み、どぎつい色彩の看板、外国人観光客はわざわざそれを見物しにくる、写真を撮りまくる。

それは人工物でありながら自然物といえる、たとえばジャングル、極相林、人間がなにも考えずに作り出したものは、人間の手がまったく加わっていない自然の森と相似形をなす。


思考の放棄はおもしろい。


駅前の全裸の銅像とかね、もう最高。一度気づいてしまうと、もうたまらない。

予算の消化とか人間関係のしがらみとかで、誰もなにも考えてないのに、なんとなく設置される。

芸術作品が存在することはその町の文化レベルを表すものなどではなく、単なる無意識の表出になっている、地方自治体に所属する人間の無意識の集合が駅前の全裸銅像をニョキニョキと生やしていると考えると、これこそがアートなのだと全裸で叫んで走り出したくなるほどだ、もちろん駅前で!

ヒップホップの歴史を放置して形骸だけ輸入し「そういうもの」として独自に発展させていく過程でブラックミュージックとまったく関係ないものになっていったり日焼けサロンが儲かったりする現象と同じように、意味を持たず、意味からかけ離れたレベルに達する、それは非常に興味深い。

思考を放棄すると形骸が伝統になっていく。見方によってそれは強烈な皮肉になっていて、作者が自覚しているパロディよりも力強い。ルーツから離れたところで「それ」は「それそのもの」であろうとする。もはやコンテクストから断絶している。

ここまで前提。

たとえば文芸同人誌を印刷しようとしたとき。

思考を放棄してみる。

ほんとうに印刷しなくちゃダメなのか? そんなことは考えない。考えてはいけない。

この版型でいいのか? そんなことは考えない。

文庫サイズカバーつきのパックがあるから、それにする。それを選択する。思考は不要だ。

そもそも文庫本の歴史とはどのようなものなのか? そんなことは考えない。

この内容は、持ち歩いて読むような類のものなのか? そんなことは考えない。

この内容の小説を文庫サイズの同人誌にすることで、その本自体がどのようなメッセージを発するか? そんなことは考えない。

「そんなことどうでもいいじゃん」ですらない。

メディアを選択する際に、そういった諸問題が常に発生していることなど、まったく関係ないのだ。

作者は、編集者は、考えて考え抜いて形式を選択するのではない。そういうものだから模倣するだけなのだ。

まるで伝統であるかのように、ただの形骸が大きな顔をして、当然のごとく、常識と化している。

物体としての本だけではない。ハード面だけではない。内容を、ソフト面の制作においても、同じようなことが起きている。

文学を模倣し、文学にありがちなテーマを流用し、作者が文学的だと感じている語彙を使用し、まるで文学らしい体裁を整えた作品は、もやは文学ですらないのかもしれないが、アカデミズムに対する痛烈な皮肉であるようにも見えてくる。

先達のファンタジーの道具立てだけを利用し、ファンタジーのように見えるまったく別のものを完成させる。

ライトノベルを模倣し、ライトノベルの模倣をしているうちに、なんだかよくわからないものになっていく。

洞察をせず自覚なしにできあがっていく二次創作はだんだん二次創作ではなくなっていく。

だんだん何をしたいのかわからなくなっていく。そして独自の評価基準が発生する。

そうした商品が大量に並んでいる状態は、たしかに愉快だ。痛快このうえない。背筋がぞくぞくする。

誰かの牙城を、なにかの権威を、ぶち壊していることだけは確かだ。

自分が「それ」をしようとは思わない、まるで思いつかない、自分にはその発想は生まれなかったけれど。いや、発想によって同様のことをしても「それ」と同じ境地にはたどりつけない、無意識の表出こそが真の「それ」たりえる。

完敗だ。

ケータイ小説企画『QuickResponse』は、そうしたものに負けていた。

無意識の表出に対して、本気で嫉妬している。悔しいけれど、応援せざるを得ない。

だからみんな「それ」をするといいと思います。

extrameganeextramegane2009/05/17 03:43前のエントリが反感を呼びそうなので猛スピードで逆方向に突進しました。

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