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2007-12-05

第二回ファック文芸部杯感想

| 09:59 | 第二回ファック文芸部杯感想 - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - 第二回ファック文芸部杯感想 - 論理兵站 第二回ファック文芸部杯感想 - 論理兵站 のブックマークコメント

参加作品ゼロ

第二回文芸部杯での自分の役割は裏方作業だと勝手に見極め、anond にログインしないことを心がけた1か月でした。

普段読まない anond に目を通してブックマークし、g:neo 内では創作の擁護を行う。このふたつを軸に活動しました。ただし「その手段はエモくていい」。anond の記事をたくさんブックマークすれば、ブックマークされた人は次のエントリーを書いてくれるかもしれないし、あるいは無関係だった人が文芸部杯を知ることにつながるかもわかりません。そして、どうして anond でそういうことをやっているのかご存じないファック初体験の方にも伝わるような、一見さんをお断りしない書き方で、反論を書く。それが私の11月中の行動でした。

どうして裏方をしようと思ったのかというと、anond に書いて自分がブックマークを稼ぐより、断然そっちのほうが自分のため、かつ全体のためになるだろうと思ったからです。

反発が予想される局面下でも、みんなが書きやすくなるように、畑を耕す。これも兵站です。うまくできていたでしょうか。

結果、現実と虚構の境界について、またしてもゲップが出るほど考える機会をいただいた。何回書いても敵の残存兵力は減りません。不思議ですね。

賛同意見と反対意見

賛否両論ありがとうございました。

そもそも近代以降の人権思想を享受した人間であったら、「はてなアカウントを持ってりゃ anond 使えるのにフィクションだからノンフィクションだからっつって非難されたり追い出されたりするとは何事か」って話に持っていくのが正当であり妥当なところだと思うんですが、その程度に文明的な人間だったら抱くはずの意見が、外部からも、困ったことに内部からもなかったことから、ファック文芸部への風当たりの強さを認識し、というか部内には自由民権的な意識が皆無なのだなと思った次第でございます。板垣死す!!

完全にスタンドアローンで戦っていたのに、そっちの方向に話を持っていくやつが部内にいなくて、ほんとうにうれしい。「ファック文芸部がそこに活動を許されること」より「創作の自由を勝ち取ること」を優先する意識が浸透しているということなので、ほんとうにうれしい。

変化

で、ファック文芸部anond が関係したことによって状況はどのように変化したか。

外部から g:neo が知覚される範囲が、ほんの少し広がりました。しかしまだまだ、部員の個性が認識される段階ではないであろうと思われます。

それに反して、部内では相互の個性が認識されるようになっただろうと思います。

extramegane 賞

個人的にはこの作品に衝撃を受けました。

はてな匿名ダイアリー

これがいま2usersなんですけど、もっと得票してしかるべき。今からでもブックマークしたほうがいいです。

extrameganeextramegane2007/12/05 10:18そう思い込みたいのですね?
> どうして裏方をしようと思ったのかというと、anond に書いて自分がブックマークを稼ぐより、断然そっちのほうが自分のため、かつ全体のためになるだろうと思ったからです。

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2007-11-12

sunagi さんへの返信

| 17:56 | sunagi さんへの返信 - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - sunagi さんへの返信 - 論理兵站 sunagi さんへの返信 - 論理兵站 のブックマークコメント

第二回ファック文芸部杯に思うことあれこれ - やや最果てのブログ を読みました。

第二回ファック文芸部杯への異論について、sunagiさんは「読まれないブロガーのルサンチマン」という要素を提示してくれました。

私は、それについて思うところがあります。


「読まれないエントリー」が読まれないのは、それを書いたブロガーがつまらないからでは、絶対にありません。

xx-internet のいうところの「いま、死ににゆきます」が大量にブックマークされている現状にも一因があります。

自覚のない「注目されたい気持ち」が、ブックマークを寡占している。ひょっとして大勢に注目されたい気持ちでなかったとしても、だれかひとりにだけ伝わればいい内容だったとしても、一旦投稿してしまえば、anond は無慈悲に大量の衆目を浴びせる可能性を持つ仕組みです。anond 利用者がこのことに対してどのような考えを持っているのかわかりませんが。


ブックマークが集まるのは、ゴシップ的なものばかり。

個人がブックマーク行為を重ねることとは別に、ブックマークの全体は良くも悪くも稚気の権力になります。

デリケートな記事に過度の注目が集まることが、必ずしもいい結果を招くとは限りません。

第二回文芸部杯は、「優しいブックマーク」が集まる記事に対しての問題提起でもあるでしょう。


また、読まれるブロガー xx-internet のエントリーであっても、部内の私の視点からすると、「そんなにブックマークが集まるようなエントリーじゃない」と思えるもののあるし、逆に「どうしてこのエントリーにこれだけしかブックマークがつかないのだ?」と感じるものもあります。

不均衡があるのです。これは持たざる者の視点ではないかもしれませんが、持つ者たる xx-internet が、ある種類のエントリーばかりにブックマークが集合してしまう傾向に対して異議を唱えることは許されてしかるべきです。

xx-internetも、自らに降りかかったその不均衡な現象と戦っているのだと思います。私はその異議に対して賛同し得ます。


sunagi さんは討伐という言葉をお使いになりましたが、第二回ファック文芸部杯で討伐する対象は、すべてのブロガーの中に巣食ったブックマーク権力への悪しき依頼心ではないでしょうか。

ブロガーの心の中にいま言った依頼心があることを明らかにする手段として、第二回文芸部杯を使えないでしょうか。自覚的でないブックマーカー、いやらしい記事にひきずられている多数の優しいブックマーカーに対し、第二回ファック文芸部杯は、少しでもそのことを伝える手段にならないでしょうか。

ブロガーはブックマークの束縛から自由になれるのではないでしょうか。


少なくともファック文芸部員である私は、優しいブックマークが集まってしまう現象に対して、陰惨な気持ちを抱いています。エントリーにではなく、ブロガーにではなく、ブックマーカーに対してではなく、ブックマークが集まる現象そのものに対してです。

それは sunagi さんも同様のことと思います。

敵は「ブックマークを集めるブロガー」ではなく、「無自覚にブックマークを集めるエントリー」であり、特にその中でも「人の優しい心を釣って優しいブックマーカーを引き寄せる無自覚なエントリーを書いてしまいかねない自分自身の弱い心」だと思うのです。

そのためにゲリラ戦に見えることもあろうかと思います。

sunagi さんはファック文芸部と共闘すべき時ではないでしょうか。


また、ファック文芸部をファックしたいならいつでもどこでもできるはず。と、心の xx-internet が申しておりました。ファック文芸部のファックは、ファックする者という意味ではなく、ファックされる者という意味だと私個人は認識しております。g:neo は、ファックの因によって創作の果を成す器官です。

sunagi さんが第二回ファック文芸部杯に参加したら、たぶん私個人には勝てます。それではご不満がおありでしょうか。

また、もし入部すれば寝首をかく機会も増えましょう。私の首は困るので、 xx-internet の首でお願いします。その節には、お声をおかけいただければ、協力することもやぶさかではありません。

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2007-11-10

フィクションのことを嫌わないでいてあげてください

| 15:51 | フィクションのことを嫌わないでいてあげてください - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - フィクションのことを嫌わないでいてあげてください - 論理兵站 フィクションのことを嫌わないでいてあげてください - 論理兵站 のブックマークコメント

はじめに

本稿の目的は、knephin_steg さんへの回答です。


ネタとか釣りとか気にしない自分でも、ブクマ数かせぎに堂々とフィクション織り交ぜよろしくな文章を書くゼ!みたいな話が出ていた事実を知ると、けっこう萎えるかな。本気で心配したり協力できないか助言する為に情報収集してる自分ばかみたいじゃん。

(中略)

同じファック文芸部のメンバーの面子も該当記事を読んでそういう方向性に記事を起こしてるのだとしたら酷く悲しい。

(中略)

フィクションでも書くゼ!なノリで今いるのなら、あの時の言葉もそんないい加減なもんだったのかなって別の意味での切なさが増す。

http://fragments.g.hatena.ne.jp/knephin_steg/20071109/1194554474

について、「ばかみたい」じゃないことを、悲しくなんてないことを伝えたいのです。

寝ぼけて書きました。

http://fragments.g.hatena.ne.jp/knephin_steg/20071109/1194606529

そんなことも知らず「寝ぼけて書きました」というのはあまりに失礼でした、すみません。

http://fragments.g.hatena.ne.jp/knephin_steg/20071110/1194658121

そんなにおびえないでください。私だっていつも寝ぼけて書いています。そして寝ぼけないブロガーなどいません。そして

ブクマ&TBして下さったみなさん、色々なご指摘ありがとうございます。増田にしろ、ネットとの付き合い方について、自分でもよくまとまってない話なのでもちょっと考えてみたいと思います。気づかせて下さった方々に感謝。

http://fragments.g.hatena.ne.jp/knephin_steg/20071110/1194665727

まだ終わりません。次は私のターン。


まず、この記事が内部からのお返事になってしまうことを申し訳なく思います。この場所からだと knephin_steg さんが疑問に思われていることに対し、正確に答えられないかもしれません。バイアスがかかっているように第三者から見えるかもしれない心配もありますが、それより前に、自己を含む事象を記述することの困難さがあります。

ですからこの記事の内容を信じていただかなくても構わない。なぜなら、あとから説明するように、この文章が本当のことであるかという証明ができないからです。

しかし関係者として弁明をさせていただきたい。混乱をもたらすことだけがファック文芸部の意向ではない(と私個人は考えている)のです。混乱に陥れることは楽しいですが、そもそも anond を混乱させたからといって、もとからある程度の無秩序さを備えた場所がどう変化するかなんて、よくわからない。混乱が目的ではなく、その先にあるものを見たいという希望こそが目的だと言えば、納得していただけるでしょうか。

knephin_steg さんの不安は、きっとほかの人も感じているに違いないと考え、こうしてお答えしようと思い立ちました。私は knephin_steg さんに答えるのと同時に、この記事を読むほかの方々にも伝えたいと考え、これを書いています。

anond にある「本当に存在するのかわからない問題」について想像をめぐらせる心を持つことは、決してばかな行いではありません。おそらく宗教家が考える慈悲についての問題につながり、非常に重要なことだと私は認識しています。その想像こそが大切なのだと私個人は考えています。想像は創作の素材であり、他者を理解する力であり、愛であると信じています。


このグループ日記の「ファック文芸部杯」カテゴリーと合わせてお読みいただければ幸いです。


ノンフィクションとフィクションの問題

たとえば、悩んでいる人が anond で悩みを開陳したとします。

xx-internet の言うとおり、それが事実なのか虚構なのかは決定できません。その記述が現実に存在している誰かの悩みなのかどうかは、前提として誰にもわからない。

その問題について考えるきっかけさえできるのなら、きっかけ自体が現実だろうと虚構だろうと関係ないのだと私は考えています。そこで「騙されている!」と思わないでほしいのです。すでに問題は記事の上に表現されており、事実であるか虚構であるかによって、その問題自体が消えてなくなったりはしません。

knephin_steg さんは、その上で「記述を虚構として宣言することは、本気で悩んでいる人に対して失礼ではないのだろうか」とお感じになったと思います。しかし今回のファック文芸部杯の参加作品が(ひょっとしたら一作も存在しないのかもしれませんが)悩みを言い出せない恥ずかしがりの人が「これは虚構ですよ」と宣言する前提で書いたものではないとも言い切れない。anond の匿名性を利用して発表することを認めるならば、同様に「あえて事実と虚構の区別をつけない態度」をも認めていただきたいと思うのです。


ある悩みについての記事を読んだ人が、同じ悩みを抱えている人がほかにいることを知ったときの安心感。その記事につけられたトラックバックを読んで納得すること。また、その悩みと無縁に暮らしていた別の読者が、そういう種類の問題があることを知る契機として。ひとつの記事には、そのように多彩な価値が含まれています。その価値はノンフィクションでもフィクションでも同等のものであるはずです。

匿名であることによって隠される要素は、「特定の人物であるのかどうか」の情報です。よって「それが誰の悩みなのか」がわかりません。しかし、ある記述が記述者の人格から切り離されることによって、私たちはその問題を個別の問題としてではなく、抽象的にとらえられるようになります。そこで初めて一般的な「誰にでも起こりうる問題」として論じることが可能になるのです。


anond で扱われる問題について、第三者が考え、真摯に反応することは、想像力の素晴らしい使いかたです。「ネタにマジレス」上等じゃないですか。「ネタにマジレス」を軽んじる人には想像力がないと言わざるを得ません。特定の誰かだけではなく、同じ状況にいる多くの anond 読者に対して回答するのだと考えれば、それが事実か虚構かという境界の問題は、瑣末なことだと思います。

前回と今回のファック文芸部杯では、匿名の記事に対して後から署名をするルールになっています。これは事実を虚構であると宣言するのではなく、ひとりだけの事実だったことを、全員に関わる問題として一般化すると把握していただければ、得心していただけるのではないかと思います。


なぜなら、どうやら世の中では「創作より実話のほうが貴重なものだ」ってことになっている。

『一杯のかけそば』が創作でも実話でもどっちでもいいが、「実話だから泣く人間」や「創作だから泣かない人間」というのがいるようだ。そいつらは自分たちが創作に対する差別の心を抱いていることに、まったくもって無自覚。自分の流した涙をひっこめるな。揺れ動いてしまった自分の心に対して責任を持て。

人間の認識している世界は脳内で都合よく再構成されたものだ話を持ち出すまでもなく、そもそも創作は現実の断片を流用したものであり、両者の間に明確な境界はない。

http://neo.g.hatena.ne.jp/extramegane/20070919/1190205922

これは、以前私が書いた、本気と冗談の入り交じった記事です。

また、次のようにも書きました。

  • わたしたちが認識している世界は、脳内で現実の断片を構成しなおしたものである
  • すべての創作は、現実の部品をリサイクルしたものである

以上の事柄から、次の命題が導かれる。

  • 脳内で認識された現実と創作は区別がつかない
http://neo.g.hatena.ne.jp/extramegane/20070929/1191058185

たとえ虚構であろうとも、現実の世界に対して作用します。現実へ作用するという一点において、現実と虚構の間に差異はありません。私がフィクションの力を信じているからだと言ってしまうこともできません。正直、ノンフィクションとフィクションの境界についてまったくわからないのです。

いままでの anond をとりまく状況を、境界を自覚していないフィクションをとりまく状況として、私は感じていました。境界が意識されていないがゆえに、ノンフィクションとフィクションの境界がぼんやりと存在していたのです。積極的に現実と虚構の区別をつけないことが、anond に対してどのような影響を与えるのか、あるいは与えないのか。このことが私にとっての興味の対象ではあります。


第二回ファック文芸部杯anond からの視点で観察すると、現実と虚構の境界線がどういうものであるのか、あるいはそれ自体の有無について自覚するように働きかけるものと捉えることができるでしょう。そのことについて読者と投稿者が自覚的になり、それを気にしつつ anond に参加することが、anond 上で扱われている問題の所在をよりクリアにすることにつながればいいなと願っています。


名を示すことと名を隠すことの問題、ブックマークとの関連

以前から xx-internet は、名を隠す問題や、人格と名を分離して考えること、それがもたらす世界について意識的でした。前回のファック文芸部杯も似たようなルールで行われました。

しばしばブロガーは(あるいはほかの言論を行うすべての人は)、名前が浸透してしまうことによって、あるいは名前が売れていないことによって、不当に高く、あるいは低く評価されます。本人ではないので正確なところはわかりかねますが、どうやら xx-internet は、名前を切り離した著作物が、その質によって正当に評価されるべきだと考えているようです。

その考えかたは、(部員個人それぞれがその考えに与するかは別として)ファック文芸部内にある程度は浸透しており、おそらく部員の多数はブックマークを得ること自体を目的にはしていません。すべての記事が名前とは切り離されたところで正当なブックマーク数がつくべきだとは考えているでしょうが、記事以外の評価によって、不当に高い、あるいは低い評価のブックマークなんて、欲しくもなんともないのです。読まれている実感としては、ちょっとは欲しいか。

さらに言えば、文芸部杯にとってのブックマーク数は指標としての役割が第一です。書いた文章自体を評価されることが嬉しいかもしれませんが。ブックマークをおもちゃにすることは「我々はブックマーク数に一喜一憂しすぎてはいまいか」という問題の提起でもあります。ブックマークする行為は、まったく個人の自由です。これは文芸部杯でばかにできることではありません。しかし、ブックマークが集まることの大袈裟さは、滑稽で愉快なものです。このブックマーク至上主義のような雰囲気は、からかってやりたいと個人的には思っています。

anond 読者は、ブックマークの数に影響されるべきではありません。自分が真摯に回答しうる問題に対しレスポンスを書くことが大切なのであり、ブックマークは注目するためのきっかけにすぎず、ブックマークの数から必要以上に影響を受けるべきではないと思うのです。anond では連なったトラックバックの数とブックマークの数が比例しません。これはトラックバックとブックマークが別のものであることが認識されているからだと私は考えます。


実名を明かしていないブロガーはすべて、anond のことをばかにできません。anond で開催するのは、匿名をばかにする人に対しての問題提起でもあると考えています。

anond でなければ注目されないこと」はあるかもしれませんが、文芸部杯は注目されることが第一の目的ではありません。そして「anond でなければ書けないこと」は存在しません。anond は悩みを相談する場にもなっていますが、それはたまたま機能がもたらしたことであり、必ずそうでなければならないわけではありません。文芸部杯以降も、その anond が持つその機能は、変わらず存続できるに違いありません。

注目されたくて anond を利用するわけでもありません。第一回文芸部杯のときには anond のような便利な仕組みがなかったのです。


今回の文芸部杯は「匿名で何かを書くこと」に対してのいたずらと捉える向きもあるでしょう。しかし、匿名でしか何かを書けない人への悪意は、毛頭ないのです。なぜならファック文芸部員は、事実と虚構を分別する術を持たないから。それは自らのことを書くときですら同じです。


創作への誘い

で、何が言いたいかというと「はてなユーザーの皆さん、ちょっとこの機会に創作してみませんか」ってことなんです。

http://neo.g.hatena.ne.jp/comnnocom/20071102/p1

comnnocom のいうとおり、今回の文芸部杯は、個人が勝ちに行くものではないと認識しています。催し自体に意義があれば、それが部全体の成果なのです。もっと言えば、創作することによる自己救済が、みんなの役に立ったらいいなと考えているのです。部員は恥しがってそんなこと言いませんけれど。

人は、誰かを救うことなんてできません。しかし、人は自分によって勝手に救われることはできる。そのときに創作行為が助けになることは十分ありうる。私はそう考えています。


謝辞

最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございました。上記はすべて虚構です。信じないでください。私もほかの部員と同様にシャイなのです。

extrameganeextramegane2007/11/10 16:25knephin_steg さんの自己紹介を読んで一般化に対して思うところがある方なのだなと想像しました。

extrameganeextramegane2007/11/10 16:25それについてはまったく書けなかった。

2007-11-02

第二回ファック文芸部杯において anond に投稿することのあれこれ

| 16:01 | 第二回ファック文芸部杯において anond に投稿することのあれこれ - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - 第二回ファック文芸部杯において anond に投稿することのあれこれ - 論理兵站 第二回ファック文芸部杯において anond に投稿することのあれこれ - 論理兵站 のブックマークコメント

ハックはファック。ファックは愛。殺インターネット事件。


第二回ファック文芸部杯anond を殺すか?

anond に投稿するにはまず、義務ではないにしろ、自分のアイデアから名前タグを剥ぎ取ることになる。

それは文体でもあるし、実際の名前そのものでもあるし、そのほかのさまざまな特徴でもある。

創作物と人格の分離は、文章が誰かの所有物だという意識を壊すことにつながる。

既存の社会は少なからず名誉欲によって駆動している面があるが、この場合その動力は切断され、新しい仕組みで動くようになる。

これを逆にいえば、自分らしくないことを意識的に行い、ふだんの自分のブログ以外の読者に向けて発信できるということでもある。

欲求が blog の顕名匿名意識を殺すか?

第二回ファック文芸部杯の結果を出す際に、前項の撤回が生じる。

もしブックマークを大量に集めた際に、前項でせっかく引き剥がしておいた創作物と人格を再び関連させる必要があるからだ。

書いた人間と書かれた文章のヒモ付けが前提とされているために、被ブックマークを狙いに行くとき、衝動を制御しなくてはならないという制約が生ずる。

性悪説に基づいたこの制約は、場を荒らさないためのレギュレーションとして機能する。

ひいては文芸部杯の後の anond 上に、この傾向が残留する可能性も否めない。

顕名または匿名であろうとする主義にこだわることの意味が薄まる。

利他が利己を殺すか?

第二回ファック文芸部杯参加者の視点に立ってみる。参加者は参加者であると同時に、つねに anond 読者であるはずだ。

参加者=読者のブックマーキングが、他者の利益につながってしまうジレンマを持っている。

それぞれの参加者の投票行動は、本人以外の全体にも影響を及ぼす。

ある anond エントリーをブックマークする投票行動は直接には利他的な行為だが、同時に第三者の注目を集めるための間接的な利己行為でもある。

anond をはじめとするウェブ上の人間集団全体の利益と、自分個人の利益が連動していることを、参加者は強く認識せざるを得ない。

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2007-10-31

anond 対策

| 13:23 | anond 対策 - 論理兵站 を含むブックマーク はてなブックマーク - anond 対策 - 論理兵站 anond 対策 - 論理兵站 のブックマークコメント

個人的な整理です。

第二回ファック文芸部杯以降の anond はこうなってほしい願望

  • 「食いつきのいい話題」カテゴリがむかつくので、「食いつきのいい話題」カテゴリが飽和してほしい
  • anondでの悪口は洗練されていないものが多くてつまらんので、婉曲的に表現する傾向に移行してほしい

じゃあどういうのを投入していくべきか

「食いつきのいい話題」カテゴリ内訳

  • ツッコマビリティ
    • 微妙に間違った知識の披露
    • 「それわからないでもないけど言い過ぎ」
  • 劣等感
  • 鬱憤
  • 社会的にわがままとされることを個人の視点で正当化する
  • anond読者が帰属意識を持つ対象
  • 村で話題になっていること、時事
    • 村の話題より anond 自己言及か*1

適宜組み合わせ。それぞれネガティブにもポジティブにもいじれるが、ネガティブにいじったほうが注目されがちな感じ。

リアルな感じを出すために

  • 長文派と短文派がいるみたい
    • センテンスの長さ。全体の文章量じゃなくて
  • 短文派は書きなれていないっぽい漢字の使い方
    • 変換任せ
  • 長文派は煽りテクニックを多用する傾向あり
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