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2007-09-08

センチメンタル欠乏

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巷ではセンチメンタル過剰と畏れられた以前の私であったが、このところ書くよ書くよと言うばかりで一向に書いておらぬ現在の私である。地下に潜っている。息をひそめている。しかし、くすぶっているばかりの私ではない。筋さえ通れば金次第でなんでもやってみせる心意気である。不可能を可能にし、あと、中略、メカの天才である。嘘である。嘘ではあるが、そのつもりであり、才能も温存しているが、心の準備ができていないだけである。

心に浮かぶ悔しい記憶などへ唾を吐きつつ、吐き出した分の水分を紙パック野菜ジュース105円也で補給しつつ、台風の影響を受け嵩を増している濁った色の川面を観察する作業に没頭していたところ、いつのまにか辺りは真っ暗になっていたので、橋をくぐり、土手を登り、遠回りして帰宅することにした。


どうしたことか、やけに今夜は子供と多くすれ違う。チャリンコで集合しているバカ男子もいる。小学生の語彙を小学生の声音で放つ男子は、まったくバカであり、私は深く安堵する。ここで収集した会話のいくつかを鍵括弧つきで披露すべきとも思うが、時代や場所を問わずに小学生男子普遍的なおバカさんなので、読者ひとりひとりの心の中のバカ男子像があるに違いないから、あえて示さずとも十分であろう。

神社へさしかかると謎が解けた。ちょうど祭りの終わる頃合であった。そりゃあ男子も浮かれるというものだ。露店は片づけを始めているというのに、意味なくダッシュで往復している日焼けバカ男子がいる。完璧スポーツ刈りである。ゆるい半ズボンである。ささくれ立った心が温まる。


ふと私は、人の声を耳にする。言葉は聞き取れぬが人間の声である。通りの向こうの桜の木の陰になっている空き地を見ると、10人ほどの集団がひそひそと会話をしている。言葉はわからずともニュアンスはわかる。誰か特定の人物の処遇について、全員が感情を出さずに議決しているようであった。不文律が統制する組織に思われた。言語に束縛されない独特の契約に基づく民だと感じられた。それらはみな女の声であったから、私は一瞬だけ魔女の集会を連想した。

而して闇に目が慣れるにつれ、集会の構成員がバカ男子と同年代の女子であることに薄々勘付かざるを得ない私でもあった。ちょっぴりショックであった。言い換えるならば想定内であった。小粋な予定調和である。女子はTシャツ姿であった。なんかキュロットみたいなのを着用していたのであった。

祭りであり、台風の後であり、夜の神社であり、いい感じの風など吹いており、小学生が集っていたのだが、その空間を満たすアトモスフィアセンチメンタルな成分を含有していなかった。私の記憶によると、浴衣姿の女子が視線に入るだけで男子の心は焦れて捩れるように雀躍するはず。しかしそんなことはなかった。夢を見すぎであった。っつうか私は小学生男子ではなかった。いつのまにか同一のものではなくなっていた。チン毛がワッサー生えていた。仲間はずれであった。そもそも浴衣なんて、おっさんのだらしない浴衣しか目にしていない。


つまり感傷というやつを記述するには、情感を主観に満たす必要があり、情感の主となる経験の積み重ねであり、私にはその資格が失われていた。当事者ではなかった。客観的に主観を描くにも書き手に主観がなければ話にならぬ。該当する情感などなくても書けるっちゃ書けるのではあるが、そんなのは本末転倒である。私が書きたいと望んでいるものは、人々に読まれ楽しまれるものではない。私が書くのは、私の手によって記述されたいと望む虚構なのだ。というようなことはかっこよかろうと思って言ってみただけで正直どうでもよく、悪いのは私にチン毛が生えてしまったことなのだ。

センチメンタルってどんなんだっけなあとか思って、そんでまあ一人称など書いてみたくなったのである。一人称は私である。私という固有名詞を持つ人物を描いた三人称でしたとかそういうアレではない。ここまでの文章で、そう読み取れないように書いたつもりだ。私は。私が。


ところで今日の私は、祭囃子も知らずに暗い川の流れる音を聴いているばかりだった私は、単なる川マニアであったか。神輿も見ずに風で倒れた河川敷ハウスの再建を眺める私は、ただのブルーシート大好きっ子ではなかったか。バカは私だった。私はすでにセンチメンタルですらない。一本のチン毛である。祭りの始末を手伝うわけでもなく、ただ参道の端で傍観するのみである。提灯に照らされた活気ある人々を。暗がりに群れる魔女たちを。

しかし立ち尽くしているだけの私ではない。百戦錬磨のつわものだ。ベトナム帰りだし。巨大な悪を粉砕する。メカの天才である。嘘である。行動が伴わないのは心の準備ができていないだけである。もちろんそれも嘘である。本当のことを言うと神社祭りをやってることだって、私は知っていたのだ。

そこへ偶然ミスター・Tとジョージ・ペパードがやってきたので、一緒になって路駐軽トラ鉄板を溶接する改造を施し納屋を突き破って神社を後にした。テレビを点けたらエンタの神様をやっていた。水道水を飲んだ。パソコンつけた。そして今に至る。

偽らざる、まこと私小説である。鈴虫の鳴く、静かな夜である。

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