「孤独というものは」
若い紳士が言う。
「あれはあれで、面白い性質を持つものなんだ」
アルマーニのスーツを下品に着こなす事を最近ようやく回避できるようになったくらいの、半ば壮年に差し掛かった風貌である。紳士はスコッチの水割りを頼み、夢遊病のような目つきで何かを探し求めているように見えたかと思えると、次の瞬間、唐突にマスターに語りかけた。
「女を抱くときはさ」
マスターが水割りを作りながら、目を素早く紳士の方に向ける。
「特に、同じ女を抱くときなんだけど、時々、抱き心地が違うなって思える事があるんだよ」
「よくあることでしょう」
自嘲するような笑みを浮かべるマスター。その顔は身に覚えがあるということを如実に表してる。もっとも、彼ほどの男ならそういう経験があるのは可笑しくない。バーのマスターというものは得てして女には強いものなのだ。女が男に対して強い程度には。
「それで、それがどうしたっていうんです」
水割りを作り、音を立てずに差し出すマスター。それに軽く口をつけると、彼はこういった。
「あるとき、それが何かに似ている、いや思い出したといった方が正しいかな。とにかくこれは経験があるって思ったんだ」
「それが孤独というわけですか」
「あんたよくそれでマスターやっているな」
どうやら先に言われて毒気づいてる。見慣れたやり取りだ。こういうものを予定調和というのかもしれない。
「これでも女の子には強いんです」
「それなら俺はもっと強いはずなのにな」
「世の中は不公平なんですよ」
「そこだけは同感だね」
おかわりと言うとマスターは水割りを作り出した。紳士はふと、彼の一連の動作を酔った目つきで眺めつつ、人間とはある種最も機械に近いものなのではと思った。このマスターは口こそ減らないものの、この所作だけ見れば、どんな機械にも適わない機能美というものを備えていやがる。気性の荒い猫の寝顔を見つめているような気分だった。
「で、話の続きだが」
おかわりが差し出され、軽く飲んだ後に、思い出したように言う。
「孤独というのは、味わいが変わってくるものなんだ」
「でしょうね」
「あれは付き合う人間が変われば、味わいも変わるものなんじゃないかなと、俺は思っている」
マスターは包丁を研ぐ料理人のようにグラスを磨いている。
「女のように肌触りが違うんだ、でも」
一呼吸置いて、迷うように目を泳がせながら言う。
「やることは一緒なのだが」
「私のお気に入りの酒で、百年の孤独というのがあるんですがね」
「マスターの酒好きはもはやアル中の領域だよ、どうして病院にいないのかが不思議だね」
またかといった表情を作って、紳士が貶している、がそこに苛立った声色は含まれていない。
「酒無しの人生と音楽無しの人生を選べと言われたら、どちらを選ぶか迷ってしまう程度のものです」
「中毒はなにもひとつとは限らないのが怖いところだな」
「ごもっともです。で、この酒を忘れた頃に飲むんですよ」
「その味わいが、毎回毎回違うんですね」
その言葉を反芻するように確かめながら、さらに続ける。
「重みが増しているんです。飲むごとに、何かが蓄積されているような、それによって重みを増しているような、そんな感覚すら受けるんです」
「そのうちに、自重を支えきれなくなるんじゃないか?」
「下世話な話ですが、宜しいでしょうか」
「断る必要があるのか」
「貴方様は、紳士でらっしゃいますから」
敬うように言う。その一つ一つの動作から、紳士であることなど、塵一つすら思っていない事を感じとれた。
「重みは、排出されなければなりません、でなければ支えられなくなります」
「それが生理現象であり、セックスであると、そういいたい訳か」
「ええ、下世話な話ですみませんね」
それじゃあ排出した後、人はどうなるのだろうと思った。おそらく人は永遠の酒飲みであるからして、酒を忘れる為に酒を飲み続けるのだろう。それをトートロジーの言葉で片付けられるほどに、人間というものは強くないのだ。
そう考えながら2杯目を飲み干し、3杯目を頼んだ。