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2007-11-18

舞城王太郎の文体について / 英語的ニュアンスの導入

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舞城王太郎の文体を真似るには文中に英単語を散りばめることでもノワール調にすることでもなく、ましてやオノマトペなんかさっぱり関係なくて、日本語を英語的なニュアンスで捉えると上手くいく。というのは以前書いた話。でもそれは「俺が思う舞城らしい文体」でしかない。それを前提にしている以上、これが誰かの参考になるとは思えないけれど、気まぐれにもうちょっとだけ書いてみる。

ポイントは2つ。まずは「主語と所有格」について。

  1. 主語を省略しない
  2. 所有格を敢えて明記する

日本語は主語がなくても成り立ってしまうけれど*1、分かりきった一人称でも省略せずに書く。そして、こちらも日本語では省略されてしまうことが多いが、所有格を明記する。場合によっては、所有格と一緒に省略されてしまった目的語も復元する。分かりきっているがゆえに省かれてしまう言葉たちを敢えて強調することで、文体のしつこさが増す。それこそが舞城王太郎的な文体を生む基盤となるように、個人的にだが思う。

例えば「ぼくは歌う」という文章にこの方法を当てはめると、「ぼくはぼくの歌を歌う」という文章になる。これを舞城っぽいと思うかは個人によるだろうけれど、過剰な感じが醸し出されることは間違いないはずで、個人的にはそういった過剰さこそが舞城文体の特徴だと思っている。

第2のポイントだが、英語そのものではない英語的表現を用いるのも文体を舞城的にする要素と言えるだろう。具体例を挙げよう。

安眠はもう俺の手元からは永遠に離れて戻ってこないのかもしれない。俺にできることはタオルでくるんだだけのまな板みたいに堅い簡易ベッドの上でせいぜい楽な体勢を探すことくらい。

上記は『煙か土か食い物』のEIGHTの中の一節だ。「俺にできることは~くらい」という部分があるが、これを読んで「All (that) I can do is ~」、もしくは「~ is all (that) I can do」などの表現を頭に浮かべた人も少なくないだろう。また、「安眠」を主語とした上記の第一文を読むと、動詞「leave」を用いた英語的なニュアンスを思い浮かべることができるだろう。

加えて以下のような例も挙げられる。

ミドルオブノーウェア。どこでもない場所。大体今俺のいる場所だってどこなんだ?空港の中に決まってる。でもそれはどこかではない。どこか俺のいるべき場所であるわけじゃない。それはどこでもいい場所だ。俺はここにたまたまいるだけでここにいるべくしているんじゃない。俺の心はこんなところでは休まらない。

これは『煙か土か食い物』のONEからの引用だ。「どこか」という単語、もしくはそれに類似する単語が何度も繰り返されるが、これらは意味の上においては明らかに「somewhere」と「anywhere」と「nowhere」に分別することができる。具体的にはこちらのエントリを参照していただくとして、ここでも英語的なニュアンスを用いた表現を見ることができる。

このように、英語そのものではなく、そのニュアンスを取り入れることで文体は舞城王太郎らしいものとなるのではないかと思う。

以上でこのエントリは終わりとなるのだが、さて。舞城王太郎の文体を指して「ドライブ感がある」という評価が持ち出されることがあるし、個人的にも同意する。しかし彼の文体にドライブ感があるとして、それはやはり文中に英単語を散りばめることでもノワール調にすることでもなく、ましてやオノマトペなんかさっぱり関係ないと思っていて、このエントリでも取り上げた"過剰さ"がポイントなのではないかと考えている。考えているのだが、それについてはまたの機会に譲りたい。

【追記】

失礼、オノマトペは関係あるっぽいです。

*1:もちろん英語も主語なしで通じるが

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