森のキツネは嘘を吐く このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-11-14

文体に宿るキャラクター性

| 22:38 | 文体に宿るキャラクター性 - 森のキツネは嘘を吐く を含むブックマーク はてなブックマーク - 文体に宿るキャラクター性 - 森のキツネは嘘を吐く 文体に宿るキャラクター性 - 森のキツネは嘘を吐く のブックマークコメント

ファ文旧ブログからの転載エントリ。旧URLにおけるブクマはこちら


そもそもぼくが物語を紡いだとき、そこにはキャラクターが存在しているのだろうか。

characterという単語には色々な意味がある。例えば個性。例えば性格。例えば登場人物。普通、「キャラクター」と言えばこんな意味で使われることが多い。キャラクターとは何か。それは、オリジナルや二次創作などの物語を横断してもキャラクターとしての同一性を保てるだけの強度を備えているものだ。(つまり、『テヅカ・イズ・デッド』でのキャラという区分に当たる)

一方でcharacterという単語には文字という意味もあって、冒頭に書いた「そもそもぼくが物語を紡いだとき、そこにはキャラクターが存在しているのだろうか」という一文はこちらに重点を置いている。

charaterが文字という意味である以上、文字は文字通りの意味でキャラクターというわけだ。そして文字としてのキャラクターはその独立性のおかげで誰にとっても同じ意味を持つ。アルファベットの26文字において、Aは基本的にAという意味で通用する。特殊な状況下ではAがBになることもあるかもしれないが、普通AはAという意味で共通のものとして認識される。これを日本語の平仮名や片仮名、漢字に当てはめることもできるだろう。水は"みず"とか"スイ"とは読まれても火と同じようには読まれないし、火の意味は与えられていない。そういう排他性/他の文字との差異が文字を他者から独立させ、"キャラクター"にしている理由だろう。

その独立性があるからこそ、文字には横断性があり、誰が使っても同じ意味を持つ。ぼくはいま、左手の小指でキーボードのAを叩く。それはどこかの誰かがキーボードのAを叩いたのと同じように、ディスプレイにAというキャラクターを出力する。文字は誰にとっても等価だ。

しかし、その文字を使って編み上げられた文体は人それぞれで違ってくる。みんな同じようなデバイス、例えばペンを使ったりキーボードを使ってローマ字入力やかな入力をしているんだろうけれど、そこから出力された文字列は図らずも異なるリズムを抱えてしまう。その"異なるリズム"が確固たる個性になったとき、他者との差異が生じて、文体にもキャラクター性が宿るはずだ。

つまり、文字にはあらかじめキャラクター性が宿っているけれど、文字によって成り立っている文体ではキャラクター性は事後的に発生する。それは、文体のキャラクター性が書き手に依存するからだ。当たり前の話だけど。

文章を書きたいと思ったことのある人は、誰かの文体を模倣した経験のある人が多いのではないかと思う。その文体を自分で使って何かを書いてみたいという初期衝動。ぼくも作家の文体を真似して遊んでみたりすることがある。例えば谷川流や奈須きのこ、村上春樹など。文章の運びが特徴的な人ほど真似しやすいというのは、経験のある人ならよく分かるのではないかと思う。また、ぼくの文体には舞城王太郎の影響がある。彼の文体を真似るときに重要なのは文中に英単語を散りばめることでもノワール調にすることでもなく、英語的なニュアンスで日本語を捉えるという点にこそある。というのは蛇足なわけだけれども、とにかく。

上記のように、文体が二次創作的な欲望で消費されることもあるはずなのだ、キャラクターを消費するときと同種の想像力のもとで。

だから、ある作家の文体が他者の手で別の物語を語るために使われるとき、その文体は物語横断的な強度を獲得しているとは言えないだろうか。他者に用いられても同一性を失わない文体、それこそが文体のキャラクター性なのではないかと思う。

そういう文体に宿るだろうキャラクター性は、空中のそこらへんを漂っているのを偶然発見して…というやり方ではなくて、反復的なトライアルアンドエラーをして自らの身体性に刻み込むことでしか獲得できないのだろうと思う。というのも最近、ぼくはキーボードを何となく楽器に近いものとして感じているからだ。

もちろんここで言っているキーボードは楽器としてのキーボードではなくて、コンピュータへの文字入力デバイスであるキーボードのことだ。キーを叩いて文字を打ち込み、リズム(文体)とメロディ(修辞)を持った文章を生成してアウトプットする。何を言ってるのか理解されなかったら少し悲しいけれど、もしかしたら楽器の演奏経験がある人にはこの感覚を共有してもらえるかもしれない。

そしてギターやピアノやドラムその他いろいろな楽器を上達するには、とにかくその楽器と一緒に過ごして仲良くなるしかないのだ。そうすることで、楽器が自らの身体の延長線上にあるような感覚を得ることが出来る。そこではじめて楽器が自分のものになるのだ。ならば文体を自分の血肉とするためにはキーを叩きまくるしかない。そういうわけなので、物語を語る傍らで、ぼくはぼくの文体を見つけるために文体を演奏していきます。

KK2013/05/22 00:16文体論とても面白く読ませていただきました

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2007-11-13

ぼくは工場夫 改訂版

| 22:39 | ぼくは工場夫 改訂版 - 森のキツネは嘘を吐く を含むブックマーク はてなブックマーク - ぼくは工場夫 改訂版 - 森のキツネは嘘を吐く ぼくは工場夫 改訂版 - 森のキツネは嘘を吐く のブックマークコメント

【2ch】ニュー速クオリティ:もう二度とやりたくないバイトは?

まずはリンク先を一通り見てきて欲しい。引越し、工場、エトセトラ。大変そうなバイトというのはたくさんある。このスレの主旨としては、これらのバイトは回避推奨ということなんだけれど、俺はまったく逆のことを考えてしまっている。

俺は自分のしてきたバイトのラインナップを見るにつけ、その平凡極まりなさに嫌気が差してしかたがない。ファストフード店の店員、コンビニの店員、塾の講師、お菓子屋の店員。学生時代はちゃんとしたバイトや給料の良いバイトをしたくてやっていたのだが、今考えるとラインナップがまともすぎて面白味のない人生を送ってしまったような気がしてくる。まぁ、ちゃんとしたバイトの定義ってなんだ?ってなもんだけど、例えば、俺が塾の講師のバイトについて振り返ったとき、それは工場のアルバイトをしていた奴と比べて大変に没個性で、第三者が両者を比較したときには工場のバイトの話のほうが面白いと感じるに違いない。少なくとも俺のしてきたバイトでは人に話して聞かせられるようなおもしろエピソードが発生したことがないので、俺の話よりはやっぱりおもしろいはずなのだ、工場の話のほうが。

だから俺は工場でベルトコンベアの上を流れるラインを眺めたい。ゴウンゴウンとやかましい機械音を聞きながらコーラのビンが倒れているのを直したい。エクレアの方向を正したい。シュウマイにグリーンピースを乗せたい。果てしない流れを流れゆくラインを眺め、ランプが点灯したらボタンを押すという仕事をしたい。

こんなことを書いていると本当に工場でバイトしている人たちに「馬鹿にしているのか」と叱られるかもしれない。くだらない創作なんてしてるからくだらない考えが浮かぶんだ、ちゃんと現実を見ろよと一蹴されるかもしれない。これは、ぬるま湯に肩までつかった俺の差別意識が生み出した妄言なのか?

しかし白状すれば、リンク先を読んでからの俺は工場でラインを眺めるというバイトを特別視し、そこに甘美なものを感じている。俺もそちら側(バイト側のことだ)の人間になって工場を流れるベルトコンベアを眺めてみたい。流れ作業の手触りを感じたい。工場のにおいを嗅いで、工業用機械の音を聴きたい。

工場に降り立って流れゆくラインを見つめるとき、果たしてそこにはどんな風景が広がっているのだろう?俺は夢想する。

薄暗い工場の中で俺は、ただただ流れるベルトコンベアを見つめる。そこで運ばれていくものは俺の平凡なバイト遍歴たちだ。ファストフードのアルバイトはゲイの店長と暴君みたいなオーナーの思い出とともに流れていく。昼寝ばっかりしている店長が仕切っていたコンビニのバイトはなんの未練もなく流れていく。菓子屋のバイトも塾講師のバイトもラインの上を無表情に等間隔に流れていく。

考えるに、俺は何も大変なバイトをしたいというわけではないのだろう。俺は凡庸だと感じている自身の過去を振り返り、言ってみれば、そこに何か新たな息吹を吹き込みたいのだ。エクレアの方向を正して、倒れたコーラのビンを立て直すように、過去の平凡なバイトたちに正しい着地点と特別な意味を与えたいのだ。これはただそれだけのことに過ぎない。

・・・・・

・・・

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また1枚、ラインを流れるテキストデータを見つけたぼくは、いつものようにそれをつかみ取って目を通していたのだが、読んで後悔した。工場でバイトをしたいという、ごくありふれた自分語りのエントリでしかない。そしてぼくは、それが流れるべき正しいラインを探す。すばやく判断し、正しく見分ける。ライン作業者における必須スキルだ。この工場で働き始めてから数ヶ月たったが、この特殊な技能がぼくの実生活で役に立ったことはないように思う。

ぼくのことを少し話そう。

ぼくは工場でアルバイトをしている。仕事の主な内容は、流れてくるテキストデータを分別して、それぞれを正しいラインの流れに乗せて見届けてやることだ。

ラインは工場の中を縦横無尽に走り、100Mbps以上の速度で流れて、相当量のテキストデータをこの工場の終着点まで運ぶ。テキストたちが流れる速度はあまりにも早すぎて目にも止まらないので、この仕事を始めた当初は仕分けミスをたくさんした。いろんなラインがあるのだ。人気・注目ニュース、注目のエントリー、注目の動画、注目の商品と呼ばれるラインたち。そこに正しいテキストデータを仕分けしなければならない。そして、それらのラインは細い帯域しかもっていないし、流れるテキストも少ない。いちばん太いのは、どこにも属さないラインで、ここを流れるテキストが世の中でいちばん多い。そこを流れるのは、誰にも顧みられることのないエントリたち。

どこにも属さないラインの終着点は工場の外にあって、そこには山羊という男がいる。彼はそれが自分のライフワークだと信じているような情熱で、そのラインを流れてくるテキストデータを黙々とアーカイヴしていく。山羊は海外でも同じような仕事に就いていたことがあり、その経験を買われて今のポジションを獲得した。そんな彼でも日本での仕事は海外とは比べ物にならないくらい大変だと漏らしていた。

その大変さについて、「それは二つの理由から成り立っている」と彼はあごひげをなでながら神経質そうな声でぼくに語ってくれた。彼の声があまりにもピリピリしていたので、そこには四足歩行動物なりの哲学や深い洞察があるに違いないとぼくは考えたものだったが、返ってきた答えは実にシンプルだった。ひとつめの理由は、海外に比べて国内は流れてくるテキストデータが単純に多いということだった。そして残りの理由は、ダブルバイトで書かれたテキストは、山羊の胃にとってすごくもたれるということだった。この2つの理由から、山羊はどうやら唯物論者だったらしいとぼくは判断した。

この国ではインターネットの発展によって誰もが簡単に個人の意見を発信できるようになったが、それは結果として多くの誰にも顧みられないエントリたちを生むことにもなった。あるテキストが幸運にも誰かの目に留まればいいけれど、ラインは高速で流れていくから人目に付かないまま山羊の胃に収まって二度と省みられないことのほうが多い。

ぼくの働いている工場ははてなブックマークという。この世界には他にもbuzzurlやlivedoorクリップやdel.icio.usと呼ばれる工場がある。ぼくの友人のうちの何人かは、他の工場で働いている。人によっては複数の工場で働いているというのだから驚きだ。思うに、その彼はとても仕事好きなのだろう。

ぼくはさっきから手にとっていたままの、工場でバイトをしたいという男のテキストをそれが流れるべきラインに乗せる。これで山羊の胃袋まで一直線に流れ込んでいく。ラインを流れるテキストデータの9割以上は、こんなふうにたいして顧みられることもなく山羊の胃袋の中に流れこんでインターネットの底に埋もれていく。その光景は、まるで雪が降り積もる様子にすごく似ていて幻想的だと聞いたことがあるが、残念なことにぼくはまだそれを見たことがない。(山羊の胃の中の話だ。それを実行するのがどれだけ難しいことか想像してもらえればと思う)

残りの1割未満の注目されるエントリを生み出しているのは一部の人たちが書くものがほとんどだ。そして、だいたいどこの工場でも同じ人物による同じエントリがピックアップされる傾向がある。つまりはてなブックマークで注目されていればlivedoorクリップでも注目されていて、逆も同じというふうに。そして、ある工場で廃棄処分されたエントリならほぼ間違いなくほかの工場でも廃棄されるということも厳然とした事実だ。これは他の工場で働く友人と話し合った結果として確信したことでもあるし、工場で働いている人間ならすぐに気付くことでもある。この仕事をすれば、嫌でもこの現実を目の当たりにすることになる。誰にも顧みられないエントリというのは、ことのほか多い。

ただ、エントリが多くの人に注目されればされるほど良いかというと、必ずしもそうとは限らないのかもしれない。アウトスタンディングであることはそれだけ誹謗の対象にもなりやすい。それを考えると、山羊の胃袋の中で雪になるテキストのほうがときとして幸せなのかもしれないと思う。これは工場で働くぼくの勝手な意見だけれど。

一般に工場での仕事はソーシャルブックマーキングと呼ばれている。今日もぼくは自分好みのエントリを取捨選択してホットエントリのラインに乗せ、そうじゃないものは山羊に向かうラインに乗せていく。

ブロガーにとって、自分が書いたエントリが叩かれるシーンを見るのよりも世界に無視されるシーンを見ることのほうがつらいだろう。だから、さっきのエントリを書いた彼。きみは工場で働きたいと思うなんてやめておいたほうがいい。たとえ雪のように美しく降り積もるテキストデータたちが幸せだったとしても、テキストを生み出す人たちは山羊の胃袋に流れ込むエントリを見ても幸せになれるとは限らないのだから。

ぼくが手を離すと工場でバイトをしたいという男のエントリはあっという間に見えなくなった。今ごろあのエントリも、山羊の胃袋の中で雪になる幸せをかみ締めているのかもしれない。いや、それはぼくの幻想に過ぎないのか。その真偽は分からないが、いずれにせよくだらない感傷だ。そしてそんなものに浸っている時間はぼくにはない。仕事を再開しよう。

ぼくは慣れた手つきでラインを流れる別のエントリに取りかかる。次のエントリは、雪のように消えてしまわないことを願いながら。

RoseannaRoseanna2012/01/27 00:42Hats off to whoever wrote this up and psoted it.

ldwopwejwqldwopwejwq2012/01/28 01:385i59g3 <a href="http://uolibrjjbqvx.com/">uolibrjjbqvx</a>

tasrffbuatasrffbua2012/01/30 01:16qh15j1 <a href="http://edswpiutfwrm.com/">edswpiutfwrm</a>

boblioesbboblioesb2012/02/01 00:10OH6mwq , [url=http://ynsmqfbfotlb.com/]ynsmqfbfotlb[/url], [link=http://knzrgltgjmyo.com/]knzrgltgjmyo[/link], http://upvjlykwszbl.com/

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2007-11-10

彼女には名前が無い

| 22:30 | 彼女には名前が無い - 森のキツネは嘘を吐く を含むブックマーク はてなブックマーク - 彼女には名前が無い - 森のキツネは嘘を吐く 彼女には名前が無い - 森のキツネは嘘を吐く のブックマークコメント

ぼくは字を食べるのが好きだ。小説、雑誌、新聞紙。びりびり破ってばりばりと海苔みたいに食べる。おいしい。でも決して紙を食べるのが好きなわけじゃない。ぼくにとっては紙なんてどうでもいいわけで、紙の質にこだわりは持っていない。紙に印刷された字、あるいは紙に書かれた字そのものがおいしいのだ。ぼくは字に味を感じるという特殊な感覚を生まれつき持っている。例えば米という字を食べるとぼくはお米の味を感じる。牛肉という字は牛肉の味がする。

でも一文字の漢字には味を感じないことが多い。例えば汁なんて文字を食べてもぜんぜんパッとしない。味噌という文字は味噌として定義できるけれど、汁という文字は多義的で、つまりは曖昧なので味もぼやけてしまうのだろう。ところが、これが味噌汁という三文字になるとそれは文字通り味噌汁の味になる。おもしろいもので、味噌という文字だけだと味噌の味で、汁という文字と一緒になると味噌汁の味になるのだ。味噌の味と味噌汁の味なんてほとんど同じだけれど、やっぱり出汁が効いているのは大きな差だ。そういうわけでぼくは味噌よりも味噌汁という文字を支持する。そんなことはどうでもいいか。

ぼくのこの特異体質は共感覚と呼ばれる。文字に色や匂いを感じる人がいるという話を聞いたことはないだろうか。その感覚を、研究者たちは共感覚と呼ぶ。

まだ物心つく前のぼくがしきりに紙を食べようとすることを不安がった両親は、あらゆる内科や精神科や脳神経外科などにぼくを連れまわした。その過程でぼくが共感覚者であることが判明。結果、ぼくはとある研究機関の研究対象となった。さっきの「味噌という字だけだと味噌の味だけど、汁という字と混ぜると味噌汁の味になる」というエピソードはこの研究機関での実験で得られた成果だ。

ちなみに美味しい文字を食べても栄養は得られない。これも研究の成果だ。当たり前だけど、文字はけっきょく紙に印刷されたものなのだ。だからまぁ、焼肉という文字を食べることは焼肉味のガムを食べるようなものでしかないのだ。焼肉の代わりにはならない。それに消化もそんなに良くないのだろう。ぼくは紙を食べて消化器官を傷めてしまうことが多かった。

そんなとき、彼女と出会った。ぼくたちが大学生の頃だから、もう5年前の話だ。ぼくは彼女から「文字ばかりじゃなくてちゃんとご飯も食べなさい」と注意されることが多かった。ぼくは文字を食べることにばかり気を取られて、つい本来の食事を疎かにしてしまう癖を持っていたからだ。さっきも言ったけど、文字を食べるということは取りも直さず紙を食べるということに他ならない。栄養なんて無いに等しいけれど腹はそれなりに膨れてしまう。そのため、文字を食べるのに夢中になりすぎてちゃんとした食事ができなくなってしまうことも少なくなかった。ぼくはたちまちのうちに痩せ細った。だから  は、ぼくの健康を心配してぼくに文字を食べるのではなく、ふつうの食事を採るようにとしつこく言い続けてくれた。いつだって手料理を作ってぼくに振る舞ってくれた。ぼくはそのことに心の底から感謝している。彼女はぼくを文字食から遠ざけてくれた。ちゃんとした食事の大切さを教えてくれた。でもぼくは  の言うことを聞かず文字を食べ続けた。それでも彼女は諦めなかった。ぼくのために新しい料理を覚えてくれて、ぼくの目の前で調理し、ぼくと一緒に食事をしてくれた。ぼくは普通の食事の美味しさを覚えた。ぼくは彼女と2人で食事をすることの喜びを知った。彼女と囲んだ食卓は暖かかった。その結果ぼくは今まで生き延びることができたのだと信じている。すべては彼女のおかげだ。けっきょくぼくは文字食という悪癖を止めることはできなかったのだけれど、彼女の努力によってなんとか人並みの生活を送ることはできた。


そう、あのときまでは。


あるときぼくは、自分にはすごく好きな字があることを発見した。でもそれが何なのか分からない。だからぼくはそれまでやっていたページをベリッと破って一気に食べるという食べ方をせず、一文字ずつ食べてその文字を割り出すことにした。そしてぼくはぼくが気に入った文字を見つけた。見つけてしまったのだ。

ああ、  。ぼくは無邪気すぎた!あんなことは試さなければ良かったのだ。ただの戯れのつもりだったのに、それがこんな結果を導くなんて微塵も考えなかった。ぼくはもうきみの元には戻れない。ぼくの世界は変わってしまった。さようなら、  。もう会うこともないだろう。

それが彼の手記だった。彼のお母さんに見せてもらった、彼の行方を追うために残された唯一の手がかり。

3ヶ月くらい前のある日、彼は突然わたしの前から消えてしまった。その日、仕事を終えて友人たちと楽しい夕食のひとときを過ごして浮かれた気分で家に帰ってきたわたしに降りかかったのは、予想もしなかったできごとだった。

夜中にかかってきた彼からの電話。ふだんならこんな時間にかけてくることもないのに変だなと訝っていると電話口の向こうから彼が暗い声で「ぼくたち、もう終わりにしよう。さようなら」とだけ言って、通話終了。あとに残されたのはわたしとツーツーツーという電子音の繰り返し。一方的な別れ話を切り出されてびっくりした以上に頭にきたので、直接問いただすつもりで彼の部屋を訪れた。せめて理由を言いやがれ!と心の中で怒りながら彼の部屋に向かった。わたしが合鍵で彼の部屋に入ると、そこはもう抜け殻だった。荷物だけ残して、彼は消えていたのだ。

わたしは途方に暮れた。もちろん彼の家族も同じ。みんなで彼を見失ってしまった。

部屋を引き払うとき、彼が残したものはすべて彼の家族が引き取っていった。わたしもそれを手伝った。思い出のためにちょっとくらい何か分けてもらおうかと思ったけど、なんだか形見分けみたいで縁起でもないと思ったので遠慮しておいた。それにわたしには、わたしと彼の思い出がある。そのときのわたしには、彼からプレゼントされたブランドものの名刺入れを彼の部屋に忘れていたのでお手伝いのついでにそれを回収しようという目的もあったのだ。家族と彼の思い出は家族と彼のもの。そう思って、彼ゆかりの物品は何も譲り受けなかった。

ただ、けっきょく彼からもらった名刺入れは部屋からもどこからも見つからず、わたしはそのことを後悔した。代わりに彼の写真とかもらっておけばよかったな。名刺入れは、同じブランドのものを買ってそれを彼からのプレゼントと思うことにして、わたしは自分を騙すことにした。

そんなふうに彼のいない日々を過ごしていたとき、彼のお母さんから電話をもらった。彼の荷物を整理していたら、手記が見つかったというのだ。その中で彼の感情が吐露されているらしい。わたしははやる気持ちを抑えながら彼の実家に向かった。そこで見せてもらったのが先ほどの手記。

彼は文字に味を感じるという彼独特の感覚を持っていて、手記にはそのことが書かれている。手記を読む限りではそれが彼を苦しめてしまったみたいだ。何が彼をわたしたちから遠ざけてしまったのか。彼の家族にはそれがピンときていないようだったけれど、わたしには分かる。いつも彼のそばにいたわたしだけしか感じないのかもしれない。ただの直感でしかないけれど、たぶんこれは正しい。

そんなことを考えながらパラパラと手記のページをめくっていると、一枚の紙切れが落ちた。住所が書いてある。遠い。ここに彼はいるのかな。ううん、間違いなくいるはず。わたしは会社をしばらくの間休んで彼を探すことに決めた。

手記のところどころに食い破られたような穴が空いていることについては、極力考えないようにしながら。


2日後、思っていたよりも簡単に彼の現住所を見つけることができた。人里から離れたところで彼はひっそりと暮らしているようだ。地元の住民らしき人を片っ端からつかまえて話を聞いていったら、しばらく前からこの地域に住み着いた謎の人物の噂を入手することができた。あまり人口の多くない地域だったから噂は容易に広がったのだろう。わたしが話を聞いたほぼ全員がその噂を知っていた。

その地域のはずれに住む人物は、とにかく人目を避けるように生きている。小さな商店街で聞き込みをしたところ、驚くべきことにその人物は食糧品や生活必需品を買いに来ることもないらしい。そんなのでどうやって暮らしているのだろう、というのが地元住民みんなが感じている疑問で、だからこそ、そんな人物は現実にはいないのではないかという噂も根強いようだった。なにせ実際にその人物を見た者はいないのだから。彼が住んでいるとされる家は地元の小学生たちに幽霊屋敷と呼ばれていた。

噂が一人歩きしている。本来ならこんなあやふやな情報、なんの役にも立たない。でもわたしはそれで彼がここにいることを確信した。そして彼がどうなってしまったのかも。わたしは車の中で一晩を明かし、幽霊屋敷に乗り込むことにした。

翌日。朝日の中で見る幽霊屋敷は、屋敷と呼ぶのも憚られるようなプレハブだった。入り口には鍵がかかっていた。窓もすべて閉じられていた。仕方ないので、ちょっと大きめの石を使ってガラスを割って鍵を開けることにした。不法侵入もいいところだけれど、この中にいるのは間違いなく彼だということが分かっていたし、わたしはもういい加減に幕を引きたかったのだ。そして変わり果てた姿の彼に出会った。

彼は部屋の真ん中で紙を口いっぱいに含んで息を引き取っていた。彼は骨と皮だけになっていた。死後どれくらいの時間が経っているのか分からなかったけれど、ふしぎと腐臭は感じなかった。予想していたこととはいえ、この光景を目の当たりにして神経が麻痺してしまったのかもしれない。何せ彼が口に含んでいた紙に細かい字で書かれている数え切れないくらいの無数の文字列は、すべてわたしの名前だったのだから。

彼の部屋は崩れた紙束が床一面に散らばっていて乱雑とした印象を与えたけれど、実際はそれ以外には大したものはなく、だから殺風景というに相応しかった。これで軸の付いた大きな円筒があればハムスターの部屋だなと思って、わたしはそんなことを思ってしまった自分がどうかしていると感じた。

あたりを見回すと部屋の隅にはシンプルな机があることに気付いた。ペンやノートが置かれている。その中に、わたしは彼の手記の続きを見つけた。たぶんここにすべての答えが書いてある。

ぼくが自分の記録をつけるようになって、どれくらいの時間がたっただろうか。今日記すことはぼくにとって最悪の記憶だ。ぼくが食べたあの「文字」について。

ふだんのぼくは、1ページ単位で雑誌や小説などを食べていく。その中でまれに、際立った印象のある味を感じることがあった。その味はぼくを虜にした。あのときのぼくは自分が魅力的に感じている文字の正体を知りたくなって、それを割り出すことにしたのだ。やり方は簡単だ。紙を1ページずつ食べるのではなく、文字単位にまで細分化してページをカットし、1文字ずつ食べるだけ。食べた順番に、この文字は違うとチェックを入れていく。そうして絞り込んでいった果てに、ぼくはその文字に行き当たってしまった。



人。



なんということだろうか。ぼくはあまりのグロテスクに吐いて吐いて吐いて吐いて吐いて吐いて胃の中のものをすべて吐きつくしてそれでも吐き気が止まらず呼吸困難になって吐瀉物の中にぶっ倒れて喘いだ。ぼくが好きだった文字は「人」だった。ぼくが美味いと思っていた文字は「人間」だった。その事実にただただ震え上がった。そして人間はあんなにもぼくを惹き付ける味がするのだろうかという信じられない思いがした。吐瀉物に混じる未消化の紙片が胃液にまみれてぼくの顔にたくさん貼りついたけれど、ぼくが感じている黒い食欲に比べればそんなの全然不快じゃなかった。

その日を境に、ぼくは誰にも会わなくなった。会えなくなった。恐ろしかったのだ。もし誰かに会ったら現実に誰かを食べてしまうのではないかという恐怖がぼくを捕らえた。恐怖はぼくをあらゆる食事から遠ざけた。文字は当然食べられない。普通の食事をしても文字の味を思い出して吐き出してしまうのだ。そうしてぼくは腹を空かせた野良犬のようになった。

それから何日たったのかは分からないけれど、あるとき、ぼくは朦朧とした意識の中で何かを口に突っ込んでいた。極限に近い飢餓が無意識の行動を取らせたのだろうか。今となってはそれは分からない。ぼくが憶えているのは久しぶりに食べた紙の感触と、そしてぼくを捕らえた魅力的なあの、いやそれ以上に素晴らしい味が口の中に広がったことだった。

ぼくはそれを貪った。久しぶりの食事にありついたのだ。しかもとびきり極上の味。あのときのぼくときたら本当に野良犬みたいだったことだろう。だが何日も胃に何も入れていなかったのに急に紙を食べたものだから、ぼくは盛大に吐いてしまった。そこでようやくぼくは我に返った。吐き出したものを見下ろすと、彼女の名刺が胃液でできた水溜りのなかに浮かんでいた。

笑った。ぼくは声を上げて自分を笑った。ぼくはもう駄目だ。「人」だけじゃなくて、「彼女」を食べてしまった。正直に書こう。ぼくはそれを美味しいと思ってしまった。こうして何も食べないでいれば、いつかはまた彼女と過ごせるぼくの日常に戻れるかもしれないと、ぼくは根拠のない期待をしていた。けれど、もう戻れないどころじゃない。おしまいだ。このままでは現実に彼女すら食べてしまうかもしれない。嫌だ。そんなのは嫌過ぎる。でも実際、きみの名刺はすぐに平らげてしまった。きみにあげた名刺入れ、めぐりめぐってまさかこんなことになるなんてね。

大切な人を本当に食べてしまうくらいならこのまま誰にも会わずに過ごそうと思う。どうせぼくはもうすぐこのまま朽ちていく。そして、ぼくはもう彼女の名前の魅力的な味に取り憑かれてしまった。だから、  。困ったことに、この手記にきみの名前を書いても、次の瞬間、ぼくはきみの名前を食べてしまうんだ。でも、それだけはどうか許してもらえないだろうか。ぼくが消えてしまうそのときまで、きみの名前を食べ続けることだけは。

わたしは溜息とともに手記を閉じる。彼と過ごした5年間、わたしはいかがわしい文字を隠し続けた。彼が文字食の暗い魅力に取り憑かれないように、普通の食事を取らせて紙を食べられないようにした。でもそんなの無駄だったのだ。わたしと過ごしていた以上、いずれ彼はわたしの名前にたどり着いていただろう。

わたしは彼を許そうと思う。彼がお腹いっぱいになるのなら、わたしはわたしの名前を彼にあげよう。だからわたしは、ここに自分の名前を記さない。

わたしはこうして名前を失った。




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「え、なにこれ?」

わたしの小説を読んだ彼は明らかに戸惑っている。

「なにって、わたしが書いた小説よ」

「いや、それはそうなんだけれど…ちょっと考えさせて」

彼の戸惑いも尤もかもしれない。わたしはちょっと浮かれていたのだ。

「小説の中の"ぼく"がぼくで、"わたし"がきみだということは分かる。だとすると、この"名前を食べる/失う"ってのは…」

「わたしがこういう作家だってこと、百も承知の上で結婚を申し込んでくれたんでしょう?」

「ああ、そうか!きみがぼくの籍に入るってことのメタファーなんだね」

3ヶ月前、わたしは5年間付き合った彼にプロポーズされた。わたしは結婚願望ありまくりだったから喜んでそれを受けた。結婚すれば彼の籍に入ることになるので、わたしの苗字は彼のものに置き換わる。あまりにも幸せだったからだろうか、そんな他愛もないことを小説にしてしまった。だからこれはただの私小説なのだ。わたしは怪奇/幻想小説家なので私小説すら陰鬱になってしまった。わたしは変な女だけれど、彼はそんなわたしのことが好きだって言ってくれるから、わたしはわたしのことが世界一幸せだと思っている。ただそれだけを彼に伝えたくて彼のためだけに小説を書いた。彼に幸せにしてもらうと、わたしは創作意欲が高まるのかもしれない。この小説もあっさりと書き上げてしまった。だから2人の未来のために、わたしをもっともっと幸せにしてね、ダーリン。

彼に微笑みかけるわたし。彼は「きみには言ったことがなかったけれど、確かに人って字だけを夢中になって食べた時期があるんだ。あれはひどく病みつきになる味でね…。それにしても、きみの名前を試そうって思ったことはなかったなぁ」と呟いて、わたしの小説の中の彼のように、雑誌からページを破り、まるで海苔みたいにばりばりと食べながら笑顔でわたしを見つめる。

その視線はさっきまでとは打って変わって、まるで肉食獣みたいに粘ついていた。

EllenEllen2012/01/28 15:47Thank you so much for this atrilce, it saved me time!

lbpqtnfmnblbpqtnfmnb2012/01/30 19:10jfeJso , [url=http://wnmvmttxbsjc.com/]wnmvmttxbsjc[/url], [link=http://jyqiwznyjbyh.com/]jyqiwznyjbyh[/link], http://pthotytfbvqt.com/

rpotyqfmrpotyqfm2012/01/31 01:20lsvtZg <a href="http://ycgupmnujxlz.com/">ycgupmnujxlz</a>

wyejhiwyejhi2012/02/01 03:28x92MiJ , [url=http://havfqsdtwyia.com/]havfqsdtwyia[/url], [link=http://zhglynwcuxbe.com/]zhglynwcuxbe[/link], http://xajpgprghppk.com/

2007-11-09

ハロー、ファック文芸部

| 22:33 | ハロー、ファック文芸部 - 森のキツネは嘘を吐く を含むブックマーク はてなブックマーク - ハロー、ファック文芸部 - 森のキツネは嘘を吐く ハロー、ファック文芸部 - 森のキツネは嘘を吐く のブックマークコメント

ファ文旧ブログからの転載となる自己紹介エントリ。舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日』の批評も兼ねる。旧URLにおけるブクマはこちら。なお、転載にあたって若干の加筆修正を施している。

『ディスコ探偵水曜日』を読んだとき、批評とは名探偵ごっこにすぎないのだろうか、そう思った。

『ディスコ探偵水曜日』は『新潮』に連載されていた舞城王太郎の小説で、物語は迷子探し専門の探偵ディスコ・ウェンズデイの一人称で語られる。彼は和菓子職人の水星Cとともに迷子になった梢の魂を探して、福井県西暁にあるミステリ作家暗病院終了(あんびょういんおわる)邸パインハウスへ向かう。そのパインハウスでは暗病院が奇妙な死を遂げており、名探偵たちがその謎を解決するために集結していた。彼らは一人ずつ順番に自前の推理を披露する。そして彼らの推理はことごとく外れ、推理を間違えた名探偵は目に箸を刺して死ぬ。暗病院の死にまつわる真相は何度も上書き保存され、名探偵の死体は推理とともに重層的に積み上がる。そしてディスコは思考のダンスフロアでツイストもできずに戸惑う。

この作品の連載自体は終了しているけれど今のところ未完で、単行本化の際に最終章を加筆されて完結することになっている。

『ディスコ探偵水曜日』の何が批評的なのか、それはこの作品における名探偵と批評の類似性だ。名探偵は論理で事件を解決する。一方、批評とは作品外の論理を持ち込んでそこに回路を生み出す作業だ。どちらも勝手な文脈を読んで真相を掴んだ気分になっているという点では同じだと言えるだろう。

現実にはすべてを論理で読み解けるなんてことはあるわけがない。自分の行動を逐一すべてロジカルに説明できる人間が果たして存在するだろうか。いないはずだ。自分では説明のつかない気まぐれみたいなアクションだってあるだろう。当たり前だけど、割り算をすれば余りが生まれることもある。しかし、批評を好む人間はそういったものをノイズ=雑音などと呼んだりする。そして彼はそのノイズを排除し、世界と物語にクリアな整合性を求めるだろう。

ウェブは批評的な文字列を世界に向けて発信することを容易にした。そこでは多くの人々によって多くの批評的な視線が生み出され、消費され、生き残り、死んでいく。

『ディスコ探偵水曜日』はそうした状況を滑稽に描こうとしているのではないだろうか。名探偵たちがたったひとつの事象に対して突拍子もない文脈を引っ張ってきていくつもの推理を展開させるこの作品を読んでいて、そんなふうに感じた。そしてこういった批評的な視線すら既に見透かされていて、あらかじめディスコと水星Cの漫才みたいなやり取りによって回収されてしまっているようにも思える。

個人的なことを記すと、『デイジーチェイン・アラウンド・ザ・ワールド』では、虚構に対して批評的な視線を当てている。つまり、物事をクリアに見渡すことに腐心している。最近「ゼロ年代は俺の嫁」とか言いながら『ゼロ年代の想像力』を追いかけているからか、周囲にも似たような興味を持った人が多い。ウェブ上をその手の視線が飛び交っている様子を見るのがちょっと楽しいし、他の人から見たらぼくもその一部に組み込まれているのだろう。

だからその意味では、ぼくも『ディスコ探偵水曜日』に登場する名探偵たちと変わらない。そして、ノイズを徹底的に排除してそこにはない文脈を読みまくる名探偵たちがどんどん目を失って死んでいく光景は、過度の批評的な視線は視野狭窄になりかねないし、行き過ぎれば盲目的であるということのメタファーに思える。だとすれば、ぼくの批評もいずれ目に箸を刺して死ぬ運命にあるのかもしれない。

そんなふうに、批評だけではぼくの思考はノイズの一斉排除に向かってしまうおそれがある。だからここファック文芸部では、それとは逆のことをやっていきたい。批評が消費する側の視点だとすれば、それだけでなく、創り出す側の視点を用いる。そして両者を関連付けて、2つのブログで二重螺旋のようにフィードバックさせていけたらいいなと思う。

そんなわけで、最後にひとこと挨拶を。

はじめまして、よろしくね。

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2007-11-07

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| 23:07 | id:foxintheforestの誕生 - 森のキツネは嘘を吐く を含むブックマーク はてなブックマーク - id:foxintheforestの誕生 - 森のキツネは嘘を吐く id:foxintheforestの誕生 - 森のキツネは嘘を吐く のブックマークコメント

はじめまして、id:foxintheforestです。

嘘です。実ははじめましてではなく、id:foxintheforestid:nuff-kieのサブアカウントです。既にメインアカウントでファック文芸部に参加しているのですが、この度サブアカウントとリプレースすることにしました。あっちのエントリを読んでくださった方にブクマしてくれた皆さん、どうもありがとう。既存のエントリはこちらに移行し、それが完了次第メインアカウントではファック文芸部から退会します。

個人的な話になりますが、来る第6回文学フリマid:hey11popさんの同人誌に参加しています。詳細はこちらを参照して頂くとして、id:nuff-kieは森野キツネ名義で執筆しました。このふざけた名前ですが、"森野"はフットボールフリークであるところの俺が敬愛するジョゼ・モウリーニョから引用し、"キツネ"は文フリ原稿の執筆中、『Kitsune Maison Compilation』や『Kitsune Udon』、それにDigitalismなどKitsune関連のディスクを聴き続けていたことに由来します。

ほぼ「思いつきで言ってみた」に等しい命名にも関わらず妙に気に入ってしまったため、これをサブアカウント化しようという思惑が浮上し、さらにこのアカウントでファック文芸部に参加するんだと息巻いてみたところ、id:foxintheforestが誕生する運びとなりました。

直近の方針としては、旧作をこちらに転載しつつ文フリまでに新作を1つ公開する予定です。というわけで今後ともよろしくお願いします。

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