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小説蛾螺倶璃砦

2010-07-09

[] 春の釣り人  春の釣り人 - 小説蛾螺倶璃砦 を含むブックマーク

 

 にゃあ。

 

 猫の鳴き声だ。探している猫かと思い、私は泣き声の方へと歩いて行く。

 今いるのは、街の路地裏だ。わりと入り組んだ構造になっているその奥の方から、猫の鳴き声が聞こえてきた。

そこへ向かって歩く。

この街の路地裏を歩くのは、家業の猫探しのおかげで手馴れたものではあるのだが、それでもまだ、この路地裏迷路を完全には把握し切れてはいない。だから今日も、そんな初めて見る場所であるこの路地を、ただ猫の鳴き声頼りで進んでいる。

 

 にゃあ。

 

 鳴き声が近い。その感じからすると、いるのは一匹ではないようだ。猫の溜まり場だろうか。そうであれば、目的の猫を見つける事の出来る確率が上がるし、新しい猫だまり場を見つけて至福を得られるし、一石二鳥である。

 

 にゃあ。うにゃーあ。

 

 鳴き声に近づいていく。期待に胸がはずむ。

 と。

 突如、建物に挟まれていた視界が、開ける。広場、というのは少し手狭な空間が、そこにはあった。

そしてその中心には一本の桜。

それも満開だ。

季節柄からすると桜としては咲くのが遅いが、それもこんな狭い場所に咲いていたら仕方ないのだろう、とも思わせる。それくらい、この場所は中途半端な広さだが、それでもある程度は日照があるようで、その下に猫が何匹か寝転んだり、何匹かは顔を洗ったり、また何匹かはじゃれあったりしている。

わたしがその光景を堪能していると、また不思議なものが目に入った。

その猫達の輪の中に、一人の釣り人がいたのだ。

 特に川に隣接していたりや池があるわけでもないのに、座っているその人を釣り人と称したのは、単にその老人が一本の釣竿を持っていたからだ。老人は微妙に時期外れな麦藁帽を被り、釣り糸を虚空に垂らして、ぼんやりという風に座っていた。

 なんだろう、この人は。

 見ていると、やはり老人はぼうと座っているだけだが、寝ているようではない。目はうっすらだが開いているからだ。だが、それはあまりに細く、よくよく見ないと起きているようには見えない。その上、猫が体の上に登っていたりするのに、それを邪険にすることも無く登るがままにしているから、余計にそう見えなかった。ここまで来ると、置物とかじゃないのが不思議なくらいである。

 その老人は、無防備に寝ていた猫ですら、ちらりとこちらを見る――そしてすぐ興味を失って眠りだす――くらいには闖入者であるわたしには、全く注意を払うことは無い。ただ、どうやらその視線は釣り糸へと注がれているようである。

そんなものを見ていて、どうするというのだ? 水中に沈んでいるなら分かるが、ここには水辺は無い。ただ虚空に浮く釣り針に、獲物などかかるわけがない。ならば釣り糸も動くわけが無い。見ていても意味などない。

そのはずだが、老人の視線は、やはりぼう、と釣り糸に向けられている。

さて、どうしたものか。

しばらくしげしげ観察していたせいで、なんとも声を掛けづらい。向こうがこちらに気づいていないかもしれない、という可能性は低いだろうが、しかし、今更声を掛けるのも、である。何をしているか、は分からないが見るからに集中しているみたいだし。

と思っていた矢先に気づいた。老人に登っている猫の一匹に、見覚えがあったのだ。

携帯を取り出し、画像を確認。

やはり。

頼まれていた迷い猫だ。

となると、これで老人に話しかけないわけにはいかなくなった。流石に、いきなり何も言わずに近づいて猫をむしる行為なんかに出るわけにもいかない。あの猫も、もともと人好きなのもあるだろが、それ以上に老人にだいぶ懐いているみたいに張り付いているから、わたしが捕まえようとして逃げられるよりは、老人から手渡してもらった方がいいだろう。

そう判断して、口を開きかけた、その時、風が、鋭く吹いた。

同時に、老人が動いた。

「ぬはっ」

 声と共に、釣竿を大きく引いたのだ。とは言っても釣り糸は空中に浮いていただけだ。だから、何も釣り上げることは無いので、あっという間に上空へとすっ飛んでいく。

「とっ」

 その釣り糸の動きを、老人はまたも釣竿を動かして制御する。浮き上がり、彼方へと飛び去ろうとした釣り糸は引き戻され、今度は地面に当たりそう、となればまた上空へと上がる。操られる釣り糸はあちらに飛び、こちらに飛び、右に左に上に下に。

そして気がつくと、いつしかそれは老人の手元に戻ってきていた。見れば、あれだけ動いていたのに、糸は全く絡まっている様子が無い。張り付いていた猫も全く落ちていない。

神業だった。

 わたしは、その精妙な動きに圧倒されたからなのか、つい拍手をしてしまった。

 拍手をされた老人は一瞬びくりと体を動かしたが、すぐにどこか照れくさそうに、こちらに会釈を返してきた。そして、言う。

「なにか、ここに御用かな?」

 わたしも一礼して、猫を探してここに来て、その探し猫が老人の体をよじ登っている事を告げた。

「ほう、そうなると、最近ここらに来た、こいつですかな?」

 老人は正確にわたしが探していた猫をつまみあげた。猫はくすぐったそうに、にゃぁああ鳴く。

わたしは老人の所まで行くと、その猫を受け取った。猫は少しいやそうに、にぃあああ鳴く。

と、そこでわたしはあることに気がついた。

老人の釣竿の釣り針に何かがついていることに、だ。

わたしが不思議そうな顔をしたのに気づいたのだろう、老人は「これかな?」と、釣り針をつまむと、わたしによく見えるようにしてくれた。

そこには、何枚もの桜の花びらが、釣り針に突き刺さっていた。

 これは一体、とわたしが問うと、老人は何言っとるんだという顔で、

「桜ですよ。見て分からんかな?」

 と答える。

 それはわかります。とわたしは少し心外そうに言うと、老人はしばし考え、「ああ」と手を打った。

「わしの釣りが気になったのですかな?」

 そうです、とわたしが答えると、老人はうんうんうなずく。

「これは桜釣りと言いましてな。大道芸のように見えたかもしれませんが、これが結構な来歴がある技術なのです」

 と言うと、老人は滔々と来歴とやらについて話し始めた。少し長いので要約すると、古来よりの神事に使うものとして、地面に落ちる前の桜の花びらが必要だったのだそうだ。そして、それを集める為に生み出されたのが、老人の披露した釣り竿の妙技、桜釣りだそうである。

たぶんに変な来歴だった。

たとえば釣らなくても、お椀とか使えばもっと楽だろうと思える。

その辺を問うと、

「お椀は土器、つまり土で出来ているから駄目なのです。土につかない花びらが必要なのです」

と言われた。なら木の器は? と問うと老人は、

「そういうもので乱獲し始めたから、この技術が失われていったのです。伝統に対する気持ちとともに、ですな。それだけならまだしも、風に吹かれたものだけなのを無視して、わざと木を揺らしてですな」

と、憤懣やるかたない様子で語りだした。ここで怒らせすぎては嫌な別れになると考えたわたしは、適当に、それはよろしくないですね、と話を合わせ、しばらく老人の愚痴を聞いていた。

桜釣りの衰退からどんどん話が脱線して、自分の奥さんとの惚気話から、娘の応対が厳しくなってきたという辺りまで話し終わると、老人は一息つき、謝ってきた。

「いや、すみませんな。年を取るとどうにも愚痴が増えてしまうもので。お引止めしてしまいましたかな?」

 わたしは、いえ、色々興味深いお話でした、と返し、抱っこしていた猫を持参しているケージに入れた。大概の猫はこれに入るのを嫌がるものだが、この猫は特に嫌がることもなく、粛々とケージの中にいる。ぶああとあくびなんかしている。図太い奴だ。

 と、そこで強い風が吹いた。

 桜に、ぶわりと風が吹きつけ、そして花びらが一気に舞い散った。

それに呼応して、老人が再び躍動。

「ぬはっ」

 釣竿が、まさに縦横無尽の動きを見せる。

激しく動くが、針が枝や猫に引っかかったり、糸が絡まったりする様子は見受けられない。わたしの近くを針が通る音なども感じられるが、やはり当たったりすることはない。

竿がうなり、糸が舞い、激しく動くが、針は正確に桜の花びらを突き刺し、捕らえていく。

風が止む。

舞い飛んでいた花びらが、地面へと落下していく。

同時に、老人の動きも止んだ。

わたしは、再び拍手する。それに合わせたのでもないのだろうが、猫達がにゃあなあとあちこちで鳴いた。ケージにいる猫も、ひときわ大きくなあああうと鳴いた。

老人はその賛辞に、にこやかに応え、一礼した。

[] 『春の釣り人』について  『春の釣り人』について - 小説蛾螺倶璃砦 を含むブックマーク

 久しぶりにここに何か書く、というのでグダグダ考えたりはしなかった。春の時に桜が舞い散ったのを目撃した瞬間に浮かんだイメージを、ざっくりとまとめたものである。

 最初は四季シリーズ第一弾として考えてみたりもしたが、書き終わったのが最近では次が書けるのがいつなのかわからぬわけで、それは頓挫。気分がノレばいけるんだけど、それはそれとしておく。

 製作は実時間で5日間ほどだったのだけれど、間に時間が空いて空いて、だったので完成まで3ヶ月を要する事に。校正はあっという間に終わっただけに、如何につっかえてたかがわかろうものである。でも、書けたのは良かったと思う。頓挫しないだけで上出来だ。

 次、何かあげるとしたら、ライトノベルの賞に送ろうとしてどうにもダメで没ったやつの改訂版でもあげていく事になる。と、書いて退路を立つ遊び。あれは再編集すると結構時間食いそうだけどなー。