2012-02-14
■ [疑小説][先輩とあたしシリーズ] 無理なんだけれども 
「つまり、あなたはこう言いたいわけですね。ワタシに利する行為はしたくないと」
そう言うのは楯髪京華先生である。教えている学科は数学で、あたしのクラスの担任。年の頃は二十代後半、とは本人の談。先輩曰く、実際はもう五年ほど二十代後半が続いているとか何とか。その話をすると大層な微笑みで追加補習を通達してくる、といういわくのあるお方だ。あたしとしては授業は分かりやすいものの、冷静と言うよりは怜悧なその性格が苦手な部類に属する先生である。
部室の中でその京華先生が話している相手は、あたし、では当然無く、先輩だ。先輩は今日も前髪で目を隠して表情が分かりにくくしつつも、一応はにこやかな対応である。
「そうは言ってないじゃないですか、楯髪せんせ。ただ、どうしても時間の関係で今日中は無理だ、って言ってるだけですよ。時間掛かるんですよ」
「今日中でなくては駄目だ、とワタシは言っていますよね。つまりその言はワタシに組しないと同義です。そしてこの場合、敵に回ると言っているも同然です」
まくし立てる楯髪先生に、先輩は溜息を吐き、肩をすくめてみせる。
「先生、そのドライ過ぎる割り切り方、やめませんか? 味方以外は全部敵、ってわけじゃないでしょう?」
「ワタシだって好きで割り切っていません。ただ、今回の場合は、味方以外は敵しかいないのです。そして、これ以上敵の言葉を聞く理由もありません。失礼しますよ」
「あ、ちょっと……」
楯髪先生がそれまで立っていた先輩の机(“部長”の文字が躍る三角錐の置かれた机)の前からきびすを返して、入り口で成り行きを見ていたあたしの隣を肩をいからせて通り過ぎ、部屋から出て行った。バタン閉じられる扉の向こうから、怒りの呻きのようなものさえ聞こえてきそうな剣幕である。
「全く。ドライなわりに感情は直情傾向なんだから。だから嫌いなのよ、あの先生は」
「何があったんですか?」
嘆息する先輩にあたしは部室に入るなり尋ねてみた。あんな楯髪先生、見たのは初めてだ。何があったのか知りたい。
先輩が答える。
「ん? ああ、なんだか楯髪せんせがねえ、楯髪の、……姉の楯髪朔野の居場所が大至急知りたいんだってさ」
「なんでまた?」
「それは居場所を知りたい理由? それとも何故うちにっていう事?」
「両方です」
あたしの即答に、先輩は「まあ、贅沢ねえ」とケララ笑いながらも答えてくれた。
「じゃあ最初に何故うちに、かって言うと、今日至近だとうちの部室近くで見かけたってのがあったからだそうよ。それでうちの部の誰かが見てないか、ってことで来たみたいね」
「来たんですか、楯髪先輩」
「まあね。今もいるし」
「へー。……え?」
今も、いる?
驚くアタシを尻目に、先輩が後ろを向いて言った。
「そろそろ出てきても大丈夫よ、楯髪」
「おっしゃ」
掃除道具入れの扉がばあーん開き、件の楯髪先輩がごろり登場した。
「ハエ、あそこの奥に秘密基地なんてないじゃないか! ダマシタネアンタ!」
「学校の備品の奥にそんなのがあると思うあんたのおめでたさは素晴らしいものだわ。褒めてあげる」
「んなのもちっとも嬉しくない! もう、狭くて息が詰まるわ、物音も立てられないから体は硬直してこりこりになるわ、最悪だったぞ! 京華から隠れられる場所、他に無かったのか?」
「別に窓空いてるし、そこから外に出て逃げても良かったんじゃないの? ここ一階だし、すぐ裏山だし」
楯髪先輩はあー、あー、呆けた声を出して、ぽん手を打つ。そして怒る。
「なんでその手を言い出さなかった!」
「それは、そっちの方が単純だからあなたが喜ばないと思って、っていう親切心よ?」
「なるほど、それもそうだ」
「え? 納得するんですか?」
あたしはつい変なトーンの声を上げてしまうが、あたし以外の二人はなにを当然な事を? という顔であたしを見る。流石にそんな顔で見られるとあたしが異端みたいなので、反論を試みてみる。
「えと、逃げてるのに面倒な事して見つかったり捕まったりしたら、逃げてる意味が無いんじゃないですか? それとも単なるおふざけで、逃げてる方が面倒が増えるからとかなんですか?」
楯髪先輩が心外そうな顔をして反論する。
「真剣だよ、アタシャ。真剣に面倒くさくなる方を選んでるよ? そして、面倒になるなら出来る事ならなんだってするよ? 今回の事だって、逃げて時間が掛かれば掛かる程、面倒の度合いが高まるから、逃げてるのさ。その上で更に面倒になるなら、それも余さず取ろうってだけさね。何か問題でもあるかな?」
なぜか自信満々である。あたしはげんなり。なんというか、ついていけない領域だ。
そんなあたしを楽しそうに見ていた先輩が「そうそう」と言うと、
「ちなみに何で、楯髪がうちにいるかというのは、私に勉強を教わる為なのよ」
「勉強、ってテスト勉強ですか?」
「ええ」
「テストならこの間終わったんじゃ?」
「追試だよ。それから逃げてるの。全く、追試なんて面倒だねえ」
当然のように且つ非常にいい笑顔でそんな風に嘯いている楯髪先輩の方が、あたしには面倒に思えた。面倒フリーク(でいいのだろうか?)だとは知っていたつもりだったけれど、ここまで重症だとは。
「ということは、楯髪先生は楯髪先輩に追試をさせる為に探してて、ここに来た、って事ですか」
「まあ、そういう事ね」
「それなら、別に引き渡しても良かったんじゃないですか? こんな面倒な人をかくまうメリットが分かりません」
「あのせんせを困らせられるなら、私はなんだってするわよ?」
迫真の表情(目は見えないが、たぶん爛々としているだろう)でそんな事をいう先輩を、あたしは溜息でいなす。
「先輩が楯髪先生が嫌いなのは分かりました。で、どうするんです? このまま、匿うんですか?」
「ま、そうなるわね。一応、勉強教える、って名目もあることだし」
「先輩、教えられるんですか」
「わりとどういう意味で言ってるのか問い詰めたいけど……、ノープロブレムよ? これでも学年主席ですからね。万年補習の落ちこぼれの楯髪に教えるなんて、造作も無いわよ?」
えへん、という擬音が見えるような先輩の所作である。正直ちょっと可愛かったが、それが本筋ではない。
あたしは楯髪先輩に問いかける。
「先輩がこんな事言ってますけど」
「事実だからねえ。まあ、教えてもらうとその時どころかずっといい点取れるから、こちらとしては付き合うのが面倒だし、頭を下げる価値はあらあね」
「そうですか」
面倒なのに価値があるとか理屈がちょっと分からないが、流石は学年主席って事なのだろう。と納得する。
楯髪先輩が突如うーん唸って、そして提案してきた。
「ハエ。ここはちょいとばかし場所が悪いね。京華のやつが何時ここに舞い戻るかも分からないし、勉強はどっか、喫茶店かファミレスでしようじゃないかい」
「奢り?」
先輩の目が光る、ように見えた。細身だが意外と食べる方の先輩ならではの光の出し方だ。
楯髪先輩はすぐに笑って答える。
「そういう事には目敏い奴だよな、ハエは。いいよ、教えてもらえるんだから、一食くらいなら奢ってやるよ」
「そういう事なら話は早いわね。早速行きましょう。…えーと」
あたしを向いて先輩が口を濁すが、この流れなら言いたい事は大体分かる。
「今日の部活はこれでおしまい、ですよね。分かってます」
そう、と先輩は曖昧な表情を浮かべる。
「ついでにあなたも、奢ってもらったら?」
「流石にそれは悪いですよ。こっちは教える事なんて無いですし」
あたしが遠慮すると、楯髪先輩もうんうん頷く。
「正直に言うと、ハエに奢るのが精一杯くらいの資金しか今無いから、辞退してくれて大変助かる」
「まあ、私の分存分に奢ってもらえないというのは、私としても願い下げだわね」
「だろ?」
げはげは楯髪先輩が笑う。笑い所だとは思えないけど。いまいち笑いのツボが分からない人だなあ。
先輩も釣られるようにしめやかに笑みながら、あたしに言った。
「じゃあ、あなたは筏島君達に連絡とって、帰っちゃいなさい。なんなら二人きりで帰宅とかもありよ?」
「筏島クンとあたしとじゃ、家の方向違いますよ」
あたしがやんわり断ると、そこに楯髪先輩が食いついてきた。
「それなら尚更じゃないかい。最近物騒だし一緒に来てくれ、一緒に帰ろう、一緒に歩こう、ってやればいいじゃないの」
「楯髪先輩、他人事だからって無責任発言は止めてください。そこまでさせるのは流石に悪いですよ」
「あいつも、そんなに悪い気にはならないと思うがねえ…。ま、それはそれでいいや。っと、準備出来たかい、ハエ」
「ええ」
「じゃあ行こうか」
楯髪先輩が先輩を連れ立ってあたしの前を通り過ぎ、入り口に手をかけて、勢い良く開いた。
楯髪先生がそこに居た。
仁王立ちでこちらを見ている。
その顔は見事な笑顔である。笑顔だが、笑っていないという矛盾を秘めた表情だった。
「姉さん」
口を開けば、いつも通り怜悧とすら言える涼やかさながら、存分に恐怖を感じる響きを流してくる。その声で漸く事態に気付いた楯髪先輩が、ぴくんと跳ね、ゆっくりと半回転して視線に背を向け、一気にトップスピードに乗って窓へと駆け出した。
と思われた次の瞬間、こけた。
「だぅ!」
変な悲鳴付きだ。強かに打った顔を押さえつつ上半身を起こす楯髪先輩に、楯髪先生が近づく。そしてやはり怒りを感じさせる笑みを維持して楯髪先輩の隣まで行き、立ち上がりかけている楯髪先輩を強引に立たせ、言った。
「姉さん? なんで逃げるの?」
「いやあ、京華。今日はテストって感じの日じゃないだろ。夏至だし」
「夏至じゃなくて仏滅とか言いたかったんだのかな? それはは確かにそうだけど、それでもテストの日よ?」
あくまでにこやかである楯髪先生に対し、楯髪先輩は表情を強張らせている。いつもの人を食った感じが鳴りを潜めてしまっている。なかなかレアな映像だった。
にこやかな楯髪先生が言う。
「いい? 姉さん? 姉さんの単位ってかなりギリギリで、テストとかの点数もそこまでいいわけじゃないのよ? つまり留年ギリギリ。それでもなんとかなってるのは、ひとえに補習と追加テストのおかげなの。それは分かってるわよね」
「ああ、それはまあ」
「なら、それから逃げるのはまずいって何で分からないのかしら? いや、姉さんならいつも通り、その方が面倒になるって理由でしてるのかしらね?」
「分かってんじゃないかい、京華。ギリギリまでしない方が、後の処理とか色々面倒だろ?」
「そうね。でもその場合、補習とかをする私はもっと面倒なんだけど、その点についてはどう思ってるのかしら?」
「大変だなあ、って、いってててててててて!」
楯髪先輩の頬が抓り上げられる。なかなかの伸びを見せていて、見るからに痛そうだ。まあ、あの人にはそれ位の罰は必要だろうとは、会話を聞いてると思えてくる。
「姉さん。今日と言う今日は、今回と言う今回は、逃がしたりしませんからね。そして、蝿原さん」
矛先を向けられた先輩は、しかし優雅に返す。
「なんです? 楯髪せんせ。そんな顔されるような事はした覚えは無いですけどねえ」
「姉さんを匿っていたじゃないですか。それなのに場所を知らないと言いましたよね?」
「知らないとは言ってません。教えるのに時間が掛かると言ったんですよ。その点は記憶違いしておられませんか?」
「……」
「……」
しばしのにらみ合いの後、先に折れたのは楯髪先生の方だった。
「姉さんを匿った罰を受けてもらおうかと思いましたが、確かに匿っているかは聞いていませんし、知らないとは言ってはいませんでしたから、それは無しでいいでしょう」
「当然です」
「しかし、私が受けた屈辱は、いつか倍にして返します。覚えておくといいですよ」
そう言い捨てると、楯髪先生は楯髪先輩を捕縛し、引っ張るように部室を出て行った。楯髪先輩のあがあが言ってる様が大変レア映像でありました。
嵐が去って静かになった部室の中で、先輩がぽつりと言った。
「こっちは、奢られ損なったんだから、その事はちゃんと倍返しですよ、楯髪せんせ」
前髪の奥の瞳の光に明るい要素が皆無にしつつ、フツフツ笑う先輩を見て、あたしはこの人たちには絶対深く関わりたくないなあ、と思ってみたりした。