2012-10-19
■ [疑小説][先輩とあたしシリーズ] 『二人なあたしと宝石の事件』 一“占術部の基本的な日常の一コマから” その6 
澄加は、朔乃に言われるままに移動し、すぐ近くの実験室に押し込められた。
朔乃は「アタシがいいって言うまでは、ここにいな」というと、扉を閉めた。
澄加は周りを見渡し、あっ、と漏らす。
――何? 隠れるんだからあんまり声出さない方がいいと思うんだけど。
「いや、こんな偶然ってあるものなんだねぇ、って思って。ここは丁度用がある場所なんだよ」
澄加は手荷物を確認する。鞄の中に人体模型の右手はあった。意識が無い状態でも何故かこの鞄は持ってきていたようだ。それに安堵する、澄加。
人体模型のある場所は、この第二実験室の隣の準備室だ。そういうわけで、先の言葉が澄加の口から漏れたのだった。
――なにそれ? 人の手? グロいなあ。なんでんなもん持ってんのさ。
不思議そうに聞いてくる頭の中に声に澄加は解説をしてやる。
(作り物だよ。これは学校の備品。ここの部屋のものなんだけど)
――そんなもの、なんで持ってるのよ、あんた。
(それは、まあ簡単に言えば、先輩……」
そこで、澄加はあることに気付き、尋ねた。
(ねえ。さっき言ってた首謀者、ってのは、前髪が目の所まで垂れ下がるくらい長くて、態度は丁寧だけど慇懃無礼な女の人?)
――ああ、そいつだよ。
(やはり)
と澄加は思う。
(落ち着いて考えてみると、あの謎の紙に触れてから、こんな事になっているんだから、それを出した先輩が首謀者、というのは当然だよねぇ)
――ふうん。やっぱり呼び出したのはあいつか。それにそれを持ってきたのもあいつなんだろ?ろくでもない人間なんだね。
頭に響く声の侮蔑を含んだ言葉に、澄加はうんうん、と二度頷く。
(まったくだよ。まあ、返してしまえば後は野となれ山となれ。ちょっと行ってもいい? すぐ終わるから)
――それ位はいいよ、行こうか。
澄加はそろそろと準備室まで移動する。入った時から感じていた室内に広がる実験室独特の薬品臭が、やけに鼻につく。澄加としては、ここを使う系統の教科はあまり得意ではない――平均は取れるが、今一歩伸びが足りない――事もあり、ここの臭いも好きな臭いではない。
そんな臭いの中を歩きながら、澄加は頭の中で問いかける。
(あのさ。あなたが先輩から逃げてたのは分かったんだけど、そもそもの問題としてさ、あなたって、なんなの? 頭に直接話しかけてはくるし、その姿は見えないし、先輩に追われるし、あたしの体はたまに勝手に動くし。一体全体、なんなのさ)
さっきから質問したかったことを、澄加は頭の中に列挙する。それに対する頭に響く声の方の答えは明確だった。
――そりゃ簡単。あたしは神様、だよ。いっちょそれっぽいとこ、見せてあげるね。
そう言うと〝神様〟は澄加の体を動かす。右の手の平を誰かが片付け忘れたのだろう、机に置いてあったフラスコに向けた。
――ふん!
気合の声が頭に響く。すると、フラスコはすーっと上に浮き上がった。そしてすーっと澄加の手元に飛んできて、澄加の手はそれを手に取った。
澄加は納得する。
(なるほど。言うほど大した神様じゃないんだね、あんた)
そう断じられた〝神様〟は反論する。
――もうちょっと強い力だって出せるよ! 手頃なのがあれだったから加減しただけだよ!
(あー、はいはい。言い訳は無視するよ。それよりとっとと行くよ)
――わーったわよ。……もうちょっと敬って欲しいんだけど。
(はいはい、その話はいいから。でも、神様というのは信じなくも無いよ)
――そうかい?
(どっちかと言うと、守護霊とか悪霊とかのがありそうだけどね。まあ、話が通じる相手だし、実際不思議な力を使えてるからねぇ)
頭の中の会話に慣れつつある澄加は、フラスコを机の上に戻し、準備室に繋がる扉へと音を出来るだけ立てずに近づく。
朝にも誰も居なかったという事を念頭に入れた澄加は扉を開き、入る。
中は日の光が入ってそれなりに明るい。そして、色んな物が乱雑に置かれていて、その奥にある人体模型に目をやると。
人影が見えた。
「なっ」
その事実に、澄加は驚いて一瞬思考が停止するが、体の方は意思とは関係無しにこの状況に反応。姿勢を低くし、入り口からそろそろと出て、そっと扉を音も無く閉める。
澄加は体の冷静な動きに呼応するように、自然と息を殺す。姿は見られてはいないはずだが、澄加には人体模型という弱みがある分、ここで迂闊に出るわけにもいかない。体の方も突如の事態に警戒しているらしくが、それ以前に澄加は混乱していた。
(何? 何? どういうこと? どういうことなの? なんで人が今ここに?)
――落ち着きなよ。気付かれたかどうか、五分五分って所なんだから。
扉を背にして、澄加は一息入れる。しかし体は覗く動きをみせ、扉を少し開ける。
(いや待って! あんまり覗くと、ばれるって!)
――見ないとどうにも出来ないでしょうが。
覗きこむ。
そこには、人影は無い。
「……あれ?」
さっきまでは確かにいた。だが、今目の前には誰もいない部屋があるだけだ。ちょっと目を離した隙に、外に出たのかと考えたが、こちらの入り口は澄加がいるし、廊下側を見ればそこは物でふさがっている。そこから出たようには全く見えなかった。
目立った変化と言えば、窓。風にはためくカーテンがあるくらいだ。
(さっきはカーテンはああいう風ににはなってなかった、よね?)
――確かに。
疑問を持ちながら、澄加は再び低姿勢で準備室の中に入った。薬品臭が、ほんの少し薄くなって、それに代わって埃臭い。その中にはやはり人影なんて微塵も無い。澄加は疑問を持ちながら、カーテンの所まで行ってみた。
着いてみれば、窓が開いていた。
(なるほど、このせいでカーテンがはためいてたのか。まあじゃなくて動いてたらおかしいんだけど)
ふと、澄加は気がついた。
(あの人影は、まさかここから出て行った、のかな?)
そう考えてはためくカーテンを開いて外を良く見ると、下の方に人の後姿が見えた。けれど、その姿はすぐに角の向こうへと消えていってしまう。
澄加はあっけにとられてしまった。何せここは二階である。飛び降りるには躊躇が出る高さがある。出来なくはないだろうが、危ない事でもある。それなのに飛び降りた?
澄加は驚愕しながらも、少し安堵した。
(あれだけ一目散に逃げたならこっちを見てる暇もなかっただろうなぁ。それにしても、あっちもこんな所からダイブするなんてねぇ)
――何かやましいことがあったに違いないね。
澄加と〝神様〟はそう判断して、とりあえずそちらは放置する事にした。しなければならない事をとっとと終わらそう。そう判断したのだ。澄加は目的を達する為に実験室の奥に移動し、そこにある人体模型の所まですぐさま辿り着いた。
その人体模型には、確かに右手のポジションが開いている。
(朝見た時は焦っていて気付かなかったけれど、今にして思えば、その時もなかったかな)
澄加は持ってきた右腕を人体模型に嵌め、確認の為に、一回全体を眺めた。
そこで違和感を持つ。
(あれ? なんか低い?)
違和感から疑問が生まれ、そして気付く。
頭が無いのだ。今日澄加が元に戻したはずの、頭が無い。
(何で? ちょっと何でよ、これ。今日確かに返したよね、あたし?)
不意に静音の事が頭に浮かぶ澄加。だが部室にはそれっぽい物は無かったと澄加は記憶している。腕とは違い、頭は結構大きい。今日必死に隠して持ってきたのだし、それは間違いない。だから、部室にあれがあったら気づくはずだ。しかし、そんな記憶は澄加には無い。
そもそも、静音に頭を返したことを告げたのはついさっきの事でもある。それから澄加を――正確には〝神様〝を――追いかけさせている間に、静音がここに来れただろうか。
(じゃあ、どういうこと? なんで頭が無くなって……)
そこではた、と気がついた。
(さっきの子! きっとあの人が持っていったんだ。だからあんなに一目散で逃げたんだ)
――一体どうしてだよ? なんでそんなもんを持ってく必要があるのさ?
その答えは澄加の頭には浮かばなかった。考える時間も無かった。
考えようとする澄加の耳に、声が聞こえてくる。
「―――、こっちよ、シマ。何せ先輩の匂いが――――」
鹿野子の声だ。それもわりり近くに聞こえる。
――あー、とうとう追っ手に追いつかれたようだよ?
(追っ手ってやっぱり鹿野子と筏島君か。他にいないって言えばそうだけど。それにしても、鹿野子のやつ、匂いってなんだ匂いって。そんなすぐ分かる匂いなんて出してないよ)
――そんな事はどうでもいいから、静かにしないと。捕まるのはとにかくまずいんだから。
(はいはい。……あたしとしては、どうでもよくないんだけどなあ)
するとほぼ同時に、澄加(正しくは〝神様〟)を追いかける二人の声が聞こえてきた。扉の近くに寄って耳を澄ますと、会話の内容が聞き取れる。
「匂う、匂うわよ。先輩はこっちよ。ほらとっとと来なさい、シマ」
「お前のそれって、あてにしていいとは思えないんだけどなあ。それより、学校から出る前に伊藤さんの靴を押さえた方が、確実で手っ取り早くないか?」
「いじめっ子並の酷い事を考え付くじゃない、シマ。そう思うならあんた一人で押さえておいてよ。その間に鹿野子は先輩と、先輩と、先輩とおっ」
背にしている扉の少しだけ開いていた隙間から覗いたものの、鹿野子達はまだ死角にいるので見えはしなかった。だが鹿野子はあの端正な顔を大層気持ち悪い表情で彩っているのだろう、くねくねしているだろう事は、澄加には簡単に予想できた。覚も「……気持ち悪い顔するな」と嫌そうに言っているので、その予想は的中していると言える。
覚が続けて言う。
「俺はそういう危ない事にならない為のお目付け役、ってのを部長に頼まれてるから、お前と別行動は取れないんだよ。出来れば別に探した方が早いんだけどな」
「はいはい。お役目ご苦労様。そういう所でいちいち部長の言った事に従っちゃっうわけねー。あんたらしいというかなんというか。何? 点数稼ぎー?」
詮索するような響きをした鹿野子の声が、どんどん近づいてくる。ガラガラという扉を開ける音もするから、部屋の中も見ているのだろう。澄加の居る場所に来るのも時間の問題だ。
覚が、先程の鹿野子の言葉に律儀に答える。
「別にそういうのじゃないよ。俺が部長の言う事が妥当だと思ったから、それに従ってるだけだ。そもそもなんで、俺が部長相手に点数稼ぎなんてしなきゃなんないんだよ」
「それはあんたのことだからー、鹿野子の知った事じゃないからー。くんくん。うーん、無駄に話してる間に匂いが希薄になってきた気がするわー」
「ああそうかい……」
耳を澄まさなくても声が十分に聞き取れる。二人がだいぶ近い証拠だ。
覚達の声がどんどんと近づいてくる事に、澄加はドキドキとし始める。
(なんか、緊張するなぁ、これ。あなたも?)
――そりゃ、ね。緊張しても仕方ないけど、ね。
(先輩絡んでるんだよなぁ。捕まったら、このまま巻き添えだろうなぁ)
嫌な考えが浮かんで来て不安を覚え始めた澄加は、自分にここに隠れるように言って、
「追っ手を追い払ってやるさ」
そう請け負った朔乃を見る。
朔乃は、扉を一枚隔てた向こう、廊下側に佇んでいる。
朔乃はただ普通に立っているだけにも関わらず、どうにも不思議な存在感がある。根底に妙齢なのに学生服というミスマッチと、身長もかなり高いという迫力美人属性というのがあるのだが、それ以上の、何か凄味みたいなものさえ体中から発散しているようだった。何か、なんとかしてくれる、という雰囲気に満ちてすらいる。
(でも、余分な事が多いのも、楯髪先輩なんだよなあ)
――頼んでおいてなんだけど、楯髪ってのは大丈夫なわけ? ちゃんと追い払ってくれる?
(それは大丈夫だとは思う。話を勝手に膨らませて、面倒にしたいって人だけど、請け負った事だけはちゃんとしてるんだよ。そこだけは信用できるよ)
――それならいいんだけど。
(まあでも、大体の場合が状況が激変して、元の依頼なんてどうだって良くなる状況になっちゃうんだけどね)
――それならよくないんだけど。
などと頭の中で問答している間に、覚の声が大きく聞こえてきた。
「あっ、あそこにいるのは楯髪先輩じゃないか? 丁度いい。挨拶がてらに伊藤さんがここを通ったか聞いてみるか」
「げっ、楯髪っ! か、鹿野子は会わないわよっ。というか、ここにはいないってことで今から消えるから後はよろしく、シマ!」
「聞こえてるし見えてるよ、鹿野子ちゃん。いやだねえ、会うなり逃げ出さそうとしなくてもいいだろう? アタシは貴女のこと、大変気に入ってるだぜ? 主に小さい子ならなんでもいいけど」
言うなり、朔乃は澄加の視界外に出て行った。かと思うと「きゃあああああっ」と鹿野子が叫ぶ。朔乃はこういう時必ず抱きついくので、今もそうしたようだ。そして気付くと朔乃は鹿野子を澄加の視界の中にまで引きずってきた。鹿野子は力いっぱい抵抗しているが、朔乃は覚とほぼ同じくらいの身長なので、朔乃と鹿野子では頭四つ位の差がある。それだけ体格差があるというのはいかんともしがたいようで、まるでぬいぐるみのように扱われている。
その状態から、朔乃は更に鹿野子の体を弄り回す。
「わわわ! あああああー! 抱きつくな! 触るな! 掴むな! 揉むな! 放しなさいよー楯髪! あのね、鹿野子に触れて良いのはー、澄加先輩だけ! 鹿野子はあなたの一方的な愛なんてー、一切いらないんだからねっ」
ついさっき、澄加に抱きつき、触り、掴み、揉んで一方的に信愛表現した人物の言葉とは思えない事を言う鹿野子。流石に澄加は呆れた。
(慕ってくれる可愛い後輩だけど、こういう所は自分に甘いというか)
と、澄加は少し遠い目をして思う。これで自分を省みたら、それはそれで鹿野子じゃないと言えるのだが、いくらなんでも少しは改善して欲しいと思うのを止められない澄加であった。
それはさておき、棚上げ発言しつつ激昂した鹿野子に、朔乃は包容力を全開にして、ほとんど幼児を諭すような口調で言った。
「まあまあ、そんなことはどうでもいいじゃん。それより鹿野子ちゃん。アタシと,これからいい所に行かないかい? 例えば、この実験室とか、さあ」
事態の急転に、体を操る者が「ちょ」と再び声に出しそうになるのをなんとか口を塞いで抑え、澄加は扉の前で硬直する。硬直しながらもちらりと隙間からちょうど見える位置にいる朔乃を見ると、朔乃と澄加の目が、ちらっと合った。
その瞬間、にやり。というのがぴったりの顔を朔乃がする。それと同時に、
「さあ、こっちよこっち」
という朔乃の声が、澄加の耳に届く。こちらに向かってくる。鹿野子も抵抗はしているようだが、やはり力負けしている感は否めず、引きずられている。
――どうする?
頭の中の声も少し焦りの色を見せていた。その事で澄加も焦りの色を濃くする。
(どうするも何も、もう動きようが無いよ。窓は駄目だし、廊下に出るにも筏島君がいる。彼、タッパがある分結構足速いからね。逃げ切れるかってのはかなり分の悪い賭けだよ)
――とはいっても、このまま事態を見守るのも良い手とは言えないよね。
(ああああ、どうしよう。そうだ、あなたは最初どうやって逃げたの? 神様なんでしょ? 意外な手があるんでしょ? その手を使えば、逃げられるんじゃないの?)
期待の言葉はあっさり却下される。
――無理。あの部屋では物が散乱してたから、それを手当たり次第投げてスタートダッシュの時間を稼いだんだけど、ここには投げたら危なそうなのしか無いじゃない。
(神様なのに使えないな、あんたは!)
そんな風に頭の中の声と無駄に語らっている間にも、朔乃と鹿野子の押し問答は続いていた。
「こーら、暴れるんじゃあねえよ。手間と面倒を増やしてくれるのはありがたいけど、痛いのとかは勘弁願いたいね。痛いし」
「暴れるなって、そんなの暴れるに決まってんでしょうが! 離せー!」
どうやら、鹿野子が残りの力を振り絞ったかの如く、全力で朔乃の力に拮抗している。朔乃が面倒を求めて手を抜いているのがその表情から見て取れたが、抱きつかれている鹿野子はそれどころではないようだ。
その鹿野子が更に叫ぶ。
「嫌、いーやーだー! 離せ、楯髪! 離しなさって、鹿野子が言ってるでしょ! 大体、そんな所に連れ込んで、鹿野子に一体何する気よ! する気なのよ!」
「そんなそんな。それを、そんなことを周りに人がいる前で、アタシの口から言わせたいのかい? 鹿野子ちゃんったら、ふふふ、やっぱりそういうケがあるんだね。アタシャ、ちょっと嬉しくなってきたよ? うふふふふっ」
「変な所で喜ぶなー! 鹿野子にはそんな性癖はないわよ!」
「無ければ、新たに開眼すればいいじゃない」
「ああもう、話が通じない! シマ! ちょっとこれ、あんたがどうにかしなさいよっ」
「俺は、お前の家の執事とかじゃないんだが……」
そこに。
「あなたたち、こんな所で一体何をしているんですか」
そんな声が、横合いから割り込んできた。