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掴めそうで掴めない情景、淡く、うっすらと。

記憶の中にぼんやり灯る物語。

2009-02-22

[] 彼女の事情 05:02  彼女の事情 - pour away を含むブックマーク はてなブックマーク -  彼女の事情 - pour away

パチって音が聞こえた気がした

彼女の胸に抱かれている。朝。目を開く音なんてするはずないのに。女の人の肌の匂いなのかな。安心する。

彼女越しに四角いテーブル。昨夜に空けたビールの空き缶。ポテトチップの袋。コンソメ。海苔塩のが好きだったんだよな。

あ、なんだっけビールの。高速道路から見える金色のうんちみたいな、あれの人の置時計。オレの部屋にあるのと色違い。趣味が合うのかな。

時間…は6時前。なんで目が覚めたんだろう。絡められている腕と脚から体を引き抜く。彼女の呻き声。背中越しの窓が少し開いていて光と夏の風が入り込んでいる。

あ、これか…。

CDコンポからは単調なリズムのイントロが延々と流れている。部屋の中は蒸し暑い。アルコールセックスの匂い。汚い、と思わず思ってしまう。そんな匂い。

窓を開ける。期待した風は入ってはこなかった。白い朝日が瞼の裏を染める。朝が嫌いになったのはこれのせいなのかな。なぜだろう後ろめたいような。やましいんだろうなこれそのものが。自分は汚れている。汚れてしまった。そう思ったら胸が痛んだ。あれだけ盛り上がる話題もしてみたらどって事なかった。こんなもんか。汚い。

オレンジ色の液晶に映る土曜日、晴れ。女性の部屋に来たのは初めて。

教育実習生として彼女がやってきたのは一ヶ月前。教壇の上で「あ」って顔したのを覚えている。

最初は気付かなかった。どことなく誰かに似ているなぁとしか思わなかった。気にも留めていなかった。

オレは学校近くのコンビニでバイトをしている。学校に行く前と学校から帰るときにちょっとだけ。学校から近いが表通りからは離れていて、学校のやつらは来ない。穴場、だと思っていた。

マルボロメンソールライト。先生も煙草吸うんだな当たり前か。と思っていた。しょぼい時給それ相応の声で会計の金額を自動販売機みたいに吐き出した。いつもどおり。そこまではいつもどおりだった。

「ねぇ覚えてる?」

「はい…?」

「○○君でしょ?」

余りにも懐かしい呼び名だった。こめかみの辺りがチリチリとした。何も考えていなかった。思考は停止していた。けれど脳は記憶を走査する。そして見つける。断片を。繋ぎ合わせていく。デフラグ。そして脳は自動的に命令を下した。組みあがった記憶はそれとは到底違うものだとしても。

「おねーちゃん?」

そう、そう呼んでいた。自分の声じゃないようなハイトーン。素っ頓狂な声。あの頃の声。10年前。彼女は引っ越した。

「あはやっぱり合ってた、懐かしーねー?」

「う、うん…」

クラスの女子とすら話せないオレは何も喋る事ができない。幼い頃はなんて事なかったはずなのに。妖怪しどろもどろ。

「ね?バイト何時まで?」

「え?えーっと九時までかな…」

「そ、その後暇?」

「よ、予定はないけど」

「じゃーご飯行かない?」

「う、うん」

なんだか誘導尋問されたみたいだった。現実の速さに認識が追いつかない。頭の中が真っ白になり、視界が狭まる。処理能力を超える。一言、二言の会話で。

交代の人が来ると、引継ぎも挨拶もせずにオレは勤怠カードを切って更衣室に入った。学校の制服に着替える。ワイシャツのボタンを留める指が震えてうまく留める事ができない。頭の中ではさっきの会話が延々と流れ続ける。状況を整理する事すら適わない。無限ループ。処理能力は食い潰される。

裏から出るとしゃがみ込んでる彼女が居た。こっちを見上げて微笑む。爆発。頭の中に光が走る。

「お疲れ!」

嬉しい。としか言いようの無い。高揚。頭がおかしくなるような。いや実際になっているのだろう。明らかな異常事態。それが無くなる事の辛さなんて知らないままに。爆心地は彼女。

学校もバイトもおんなじだと思っていた。色に例えると灰色。毎日同じ事を繰り返して。面白くすれば良いなんて、馬鹿らしくて、斜に構えているのがカッコいいと思っていた。下らない何もかもって。自ら詰まらなくして、詰まらない人間になっていた。それは多分今も。幸せなほど何も知らなくて。

ただ、この時は、何もかもがこれで良かった。と思えた。そしておそらく最初の一撃。かいしんのいちげき

「何食べたい?」

「お腹すいてるから何でも…好き…嫌いはないです」

「じゃーこの辺の居酒屋さんでも良い?」

「制服…じゃ…まずいんじゃ…?」

「ううーんそっかじゃーあたしの部屋だ」

「え?」

「なにその顔」

「女の人の部屋って行った事ないから…」

「昔は家でよく遊んだじゃない、初めてって訳じゃないでしょ」

「それとこれとじゃ…」

「ぐだぐだめんどくさい事言ってないで!ほら行くよ!コンビニでお酒買って!」

「だから…制服じゃ買えないって」

数分して彼女は両手一杯にお酒とつまみが入った袋を持ってきた。左右にふらふら振り子のように歩いている。

「重いものを持つのは男の子の仕事なんだよ」

…本当に重い。袋の大きさと膨れ具合で何本入っているのかがわかる。20本…は入ってる。500ml缶が。

「お、おねーちゃん、オレ酒飲んだ事ないんだけど」

「あ、ちゃんとソフトドリンクも入ってるよー」

後でわかるのだがウーロン茶一本だけだった。しかも350ml缶。別にいいのだけれど。

コンビニから更に奥へ15分ほど歩いた所。住宅以外なにも無い。明りも少なく、犬の鳴き声がどこまでも響いている。閑静な住宅街という言葉よりは閑散とした住宅街、とでも言うのだろうか。建物の数と人の数に齟齬があるような違和感。どこだっけあれ夢でよく見る街。それに似ていた。無論、少し考えれば現実に置いていかれて夢見心地になっているだけなのだが。そりゃ夢見心地にもなるさ!女性の部屋なんて!聖域!階段を上がり天国への扉が鈍い音を立てて開く。

「さ、上がって」

「お、お邪魔します…」

「そのさ~敬語もどきみたいなのどうにかなんないの?」

「だって…先生…でしょ?一応」

「まだ実習生だよ学生、一緒だよ」

「えええ…」

「あ、お家は大丈夫?連絡いれた?あたしが電話してあげようか?」

「いいいいいやいやいいよ!さっきしたから友達のとこ泊まるって言った」

「うそつき」

悪戯な笑顔。どうして一々、顔を近づけるのだろう。心臓が飛び出そうな程どくんと脈打つ。顔が熱くなる。目を背ける。今なら死ねる。死因は笑顔。

2DK。二部屋ともフローリング。片方の部屋にはダンボールが積まれている。カッコいい部屋。大人ってカッコいい。腐っていた自分が惨めに思える。自分の事をうまく表現できない。言葉が出てこない。きちんとして来なかった罰。嫌いな先生も親もバイト先の先輩もみんな大人なんだよな漠然と思い焦る。

「こっちは片付いてないから閉めとくね」

それの意味に気づく事はなかった。結局飲んだ。途中でアルコールが足りなくなって買い足しに行くほど。

ビールは苦くて飲めなかった。カルピスサワーとカルアミルクが甘くて美味しかった。彼女はお子様ねと笑った。川の向こうに死んだおばあちゃんが見えた。ピンク色のはっぴを着て横断幕を掲げて旗を振っていた。横断幕には「男には犯してもいい罪もある」と書かれ、旗には「性欲に罪はない!やっちまえ!」と書かれている。ミルクふいた(カルアミルクのミルク分)。トイレで吐いた。

初めてのアルコールは美味しくて、いくらでも飲めた。酔ったのはアルコールせいだけじゃない。気持ち悪い。初めての女性の部屋。そのトイレで項垂れるオレ。トイレが似合う男。ゲロが滴るトイレ男。ああ、そうさオレはトイレ男さ!天国に行っても天国のトイレでうずくまって命尽きた後を過ごしてやる。神様がノックしたって「入ってます」が言えずにノックで返してやる。まさに天国と地獄。ここは地獄の一丁目。主にオレが。死にたい。浮かれたオレは天国に入れると思っていて。でも実際はマリオが落とし穴に落ちるかの如くトイレ直行便。便とかいうな。な?とぅっるとぅとるるとぅとぅとぅぅん。オレのキノコじゃ1UPできない。巨大化もできない。むしろそれで足りるの?って位小さい。きっと食べたらマリオ縮む。そんな事を悩みに悩んだ挙句、結局便座舐めた。