2009-01-16 [ ファック文芸部のカレンダー ]

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2009-01-16

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読者にとってのインターフェイスが異なるのだから、書籍と、雑誌と、新聞と、PCからのブラウザ環境と、携帯電話のディスプレイでは、それぞれ違う書き方が適していることになる。将来、電子ペーパーが普及したらそれも。

あくまでもユーザーが主なのだから。

紙でしかできないおかしな遊びはいろいろ実験されてきた。ウェブでしかできないことをしよう。g:neoBlogでdoとは、そういうことだ。

もしあなたが「私の本質というものがあり、それを表現するためには形式は無視してよいのだ」と考えているならば、それは愚かしいことだ。

文章における形式と本質は、人間の肉体と精神にたとえられようか。心身一如である。


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石版でしかできない事のほうが紙よりよほど多いような気がするので、媒体が紙に移るってことは抽象化の過程だったのかもしれません。それがウェブ時代になって逆の道を辿ってるとか。そんなことないか。

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ファック文芸を考えるんじゃなくてファック文芸のなかでファック文芸部を考えるってのはファック文芸的な性格がなせる業なのかとも思ったけど、そういえばむかし大学のサークル活動のなかで酒飲みながらそういうことを話し合ってみたこともあったっけということを思い出せば、ファック文芸部もなんだかんだでそういう普通っぽいところがあるじゃないかと思って、最終的にはなんとなく愛おしい感じになってくる。

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表現媒体はそのときどきのコストで自動的に決定するもんかなと漠然と思った。

媒体ごとにやりたいことがあれば選択すればいいけど、

「やりたいことがあるからこれを選択する」と

「いろいろできるからこれを選択する」は

ちょっと異なるよなーとか。