2009-01-17 [ ファック文芸部のカレンダー ]

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2009-01-17

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創作者が「じゃあ自分はひとりでいいや」とか「入るのは悔しい」とか感じるならばそれはg:neoに一分でも価値があったのだなあと思う。

ただ、べつに交流する目的を第一として寄り集まってるわけじゃないので、「仲良しクラブである、互助組織である」というような誤解が心配ではある。「圧力団体と化した宗教組織」みたいな誤解は、この限りではない。

はてなグループを利用している理由って、そんなにたいしたことではなく、たまたま当時のnandさんが断片部けまらしいって感じたからなのだと思ってる。

せっかくグループウェアとしての機能や、キーワードリンク機能などがあるので、じゃあこれを使って何かをしてみようと。

グループ内での創作は、どちらかというとツールの制約が作風を規定していたところがある。片話とか。

紙で読んだほうが面白いものは紙に書けばいいんじゃないのかな、っていう意識はあった。ような気がする。

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グループ日記のはじめのほうに書いた記憶があるんだけど、手数が多いほうが雰囲気の要因になるよね。

「半年ROMれ」圧力が出てくるメカニズムはなんとなく想像つく。

高速道路の加速車線みたいなものがほしくなる気持ちもわからないでもない。でもここは高速道路じゃないんだ。

文章は内輪のためにあるものじゃない。

空気は読むべきものじゃない。酸欠するまえに入れ替えるもの。

部屋には大気ではなく屁が充満している。

握りっ屁を他人に吸わせて対決するもの。

実が出てからが本当の勝負。

[] 21:27

そういえば自分がg:neoであまりなれなれしい口調をつかわないのは、たしか当初、下手したら仲良しクラブになるんじゃないかと危惧していたからだった。ような気がする。

まだ怖そうなg:neoのイメージが今ほど広まっていないころ。

その手段が果たして有効だったのか判断はできないけど、バランスをとるために、そのほうがいいだろうと判断して。

たとえば自分のグループ日記のログだけを読み返しても、そのころの記憶がフルでよみがえるわけではないので、どうしてその文体や話題を選んだのか、はっきりとしたことは霧の中なんだろう。リアルタイムに近いところで鑑賞したほうがいいこともあるのだと学んだ。

いまとなってはもうその必要は減ったので、もしバランスをとるなら別の方向に偏っていきたい。

[] 21:27

そういえば、最初のころは新人イジメがあったんだった。

人数が増えたから変わったことっていうのは、すでに参加している部員の意識なんだと思う。

始まってすぐは人数が少なかったので、誰かが入ってくるとうれしくて、つい構ってしまった。

最近はそういう気持ちが減ってるんじゃないか。

もし変質したことがあるとすれば、古参の意識が主要な因子になって、その変化を起こしているのではないかと思う。


[] 21:33

現時刻の参加ユーザー84ID、今年に入ってから更新したグループ日記の数は20です。