僕は映画を観る為に新宿三丁目駅に居た、丸ノ内線の改札前でiPhoneの画面を、フリックもタップもしないまま15分間シカメツラシイ顔で眺めていた。時間が来て、2分が過ぎ、顔を上げると、そこには幻覚が、遅刻してごめんなさい、とでも言いたげな曖昧な笑顔でこちらに向かって歩いていた。いつものような、地震が起きたら確実に逃げ遅れそうなひらひらした服装ではなく、安い生地のフェミニンなスカートを穿いてオフィスレディのようだった。最近はOracleにちょっと用があって、と、言い訳なのか何なのかよくわからない言葉を一文だけ僕に投げかけて、間違った方向へ歩いていく幻覚に、僕は近づいてそっちじゃないよと手を引いた。冷たい手だった。
ロシアの料理を出す店で目の前に幻覚と机、机の上に"かもめ旅行"と大書されたフィリピン行きの要項、金は幻覚の分も僕が払っている。この食事も僕が払う。幻覚とデート又は旅行をするには金がかかるということに気がついたのは最近で、それは至極当然で、結果1年前と比較して200万円ぐらい貯金が減った、単純な計算だ。ピロシキが二つ運ばれてきて、グラスが一つ運ばれてきて、ワインが注がれる。二つのピロシキ、一つのワイン。幻覚が僕に言う。最近、私は実際に生きている人間ではないように感じる。僕は顔を伏せて、顔を覆った。幻覚が消えてしまったらどうしようと思った。「それは死んでいるということ?」「そう、死んでいるということ」
10月9日、誕生日にへろへろになりながら4種類30ステップぐらいの自動実行集計を監視したり直したりしていると、はっとりさんから携帯にメールが届く。nagios以外のメールは久しぶりだった。
「郵便箱、見た方がいいよ」
誕生日のことには何も触れてない。返信する。
「最近見てない。白金台に来てるの?あるいはなんか送った?」
「行ってないしなんも送ってない」
「そうか、わざわざありがとう」
「絶対だよ、約束だよ」
「うん、約束する」
約束したからには、僕は見に行かなければならない。すぐさま退社して、家に帰り、郵便箱をあけると、そこには'はっとり様より、10/9 12:40、ギフト'と書かれた不在通知書だけがあった。
平日の昼12時なんかに僕は家にいないし、20時にそのことをほのめかされても宅配屋さんは店じまいした後だ。
はっとりさんは、あほだなあと思いながら、僕は名刺入れに不在通知書を大事にしまった。
銀座のグルガオンで集計バッチ直したりしながらパコ面白かったねーなどと会話をしていたら、唐突にはっとりさんが怒りだした。Gmailを使っている子供を見つけたときのストールマンみたいな怒り方だった。聞くと、僕は5分前に話した内容と反対のことをしゃべってしまったらしい。困った。
「あのさぁ、本当にそういうのって無くならないよね、あなた。結局根岸君は、脳みそのリソースの90%を常にそういったコンピュータ関係のよくわからないことに使っていて、本当にそれがブラックホールみたいに大事なプロセスを吸い込んじゃってるんでしょ」
「いや、その通りかもしれないけれどさ」
「つうかさーtwitter見たけどつき合い始めた日忘れたからexif情報見るとか、何考えて生きてるの?マジで。わたし写真撮ってるのとか知らなかったし。オンメモリにしなさいよそういうの。本当に信じられない」
「MyISAM?」
「MyISAM?じゃないよ!もう!」
「ごめん、でも、本当に今週は忙しくて、キツいんだよ。だから、もうちょっとtopとかvmstat 1とかして様子見てniceするなりさ」
「Live Migrationするわよ」
「え」
「Live Migration。他の子に」
「VMware?」
「よくわかんないけどごめんなさい。Migrationはやめてください」
「全部、演技なんだよね」とはっとりさんは言った。
僕がうまく返事をできないでいると「演技なの」と彼女は繰り返して言った。
その日僕らは付き合い始めてから2年になるのを祝って、新丸ビルの5階にある少し高めのフレンチを食べていた。僕は社会人になってから2回目のスーツを着込んでいて(エンジニアという職種は半ズボンで出社しても文句を言われない)、はっとりさんは白を基調としたビジネスカジュアルを着ていた。ミシュランの星が付くようなレストランで、僕らは明らかに浮いていた。
「私が酔っぱらうとすごくかわいい感じになったり、たまにだだをこねたりしたりするのは全部演技なの」と彼女は言った。
なんとなく演技と言う言葉の意味合いが分かって安堵していると、続けて「他にも例えば、わざと転んだりとか」などと言うので、僕は仰天した。
「根岸くんは私が初めてあなたのためにご飯作った時のこと覚えてる?」
「ハンバーグ?」
「そう。あのとき私ってなにしたっけ」
「シナモンを買い忘れて、指を切って、僕に殆ど作らせた」
「あれ、演技」
僕が呆れて、君は深慮遠謀の人だねと言うと、彼女はシンリョエンボって何、と言い、両手でワイングラスを包むように掴んで中身を飲んだ。僕がその所作を凝視していると、手をひらひらと振って、これもシンリョエンボだよ、と呟いた。はっとりさんは面白い。
2005年ぐらいにこの人の日記を継続的に読んでいた覚えがあります 影響うけてるかもしれません
なつかしい
なんとなく雰囲気g似ていたので反射的に書いちゃいました。