嫉妬する雑種犬 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-04-11

[][]6.水中の美=醜とクマノミの生態について 6.水中の美=醜とクマノミの生態について - 嫉妬する雑種犬 を含むブックマーク はてなブックマーク - 6.水中の美=醜とクマノミの生態について - 嫉妬する雑種犬 6.水中の美=醜とクマノミの生態について - 嫉妬する雑種犬 のブックマークコメント

 ボートが別のポイントへ移動を終えると、私たちはまた器材をつけて順々に海に飛び込んだ。

イエローフィンバラクーダの群れが見られますよ。」

とS……が言った。

 実を言うと私は、黄色のフィンをつけて潜ればイエローフィンバラクーダの仲間になれると思い込んでいるような馬鹿ダイバーなので、それは聞き捨てならなかった。それから、クマノミもたくさん見られるという。グレートバリアリーフに生息しているクマノミ6種のうちの5種(クラウンレッドアンドブラックピンクバリアリーフスパインチーク)が生息しているらしい。ということはイソギンチャクもたくさんいるわけで、私はそれらに触れないように注意して小さなクマノミを見なければらず、かなり難しい浮力調節になりそうだった。

 風はほとんどなく、波は穏やかで凪いでいる。私たちは、相変わらずわいわいやっている観光客連中の横を音もなく通り抜けて、密かに潜降した。私にはようやく、潜降しながら辺りを見回す余裕が出てきた。50センチほどのハマフエフキが餌をくれないかと私たちにつきまとってくる。しかし私たちの方では、「空揚げにしたらうまそうな魚だ」などと思ってるので、お互いをもの欲しげに見ていることになる。これは奇妙関係だった。

 まず私たちは、水深25メートルのところから聳え立っている巨大なサンゴピラミッドの周囲をぐるぐるとらせんを描いてまわりながら見物する。これは私に、たとえば姫路城のような歴史的建造物を、空中で上に向かってらせん状にまわりながら見物する未来の人々の姿を想像させた。もしくは、水中に沈んだ姫路城を見物するダイバーたち。

若いイエローフィンバラクーダの群れがいる。彼らは潮流に逆らってひとところに留まるように泳ぎながら、みんなしてこちらを見ている。私は、もし自分があの群れの中の一匹だったとしても、何ら不自然なところはない、という感覚に襲われた。こんな浅いところで窒素酔いだろうか。いつか私は、異常に心を打つ光景を目撃してしまったとき、たとえばミンククジラが悠然と私たちのそばを泳ぎ過ぎる様を見たときなど、その背ビレにつかまったままどこかへ行ってしまうかもしれない。そう考えるとなぜか奇妙な安堵感が私の胸を満たした。

 サンゴピラミッドはいたるところぬるぬるした藻に覆われていて、わけのわからないひも状の物体や茶色の海藻を器材に引っ掛けてしまわないよう細心の注意を払いながら、私たちは進んだ。サンゴに穴を開けて棲み、ちょこんと顔だけのぞかせている小さなカエルウオ。そしてクリスマスツリーワームクリスマスツリーワームクリスマスツリーワーム。彼らの鰓冠は美しい青と黄色に彩られているが、その下にある体は想像したくない。ホワイトチップの黒い影が2体、近くを通り過ぎる。巨大で無貌の、高級品のバイカナマコ。つまり……私が言いたいのは、この世界はテレビで紹介されているようにただ美しいだけの世界ではないということだ。ここには触れたら皮膚に水ぶくれのできる刺胞動物や、つつくと紫色の汁を出す軟体動物がいる。砂底は這い回るゴカイだらけで、マンボウの鰓のまわりには無数の寄生虫がくっついている。10歳の少女が必ず欲しがるような美しいタカラガイの貝殻も、水中で生きているときにはナメクジ状の体から出た粘液に何重にも覆われて、サンゴポリプの間で眠っている。

 S……は、クマノミを次々と紹介した。やはり私はイソギンチャクをおそれて浮力調節に手間取ってしまう。クマノミは思っていたよりも小さく、イソギンチャクの奥に潜り込んでしまうので観察するのが難しい。

 あとでS……が教えてくれたことだが、クマノミは最初からイソギンチャクの毒への耐性を持っているわけではないらしい。彼らは幼い頃に意を決してイソギンチャク体当たりをし、痛みを賭けて耐性を得るというのだ。この事実は興味深く思われた。

 そんなことをするのがなぜクマノミだけなのか?他の魚がするようになってもよかったはずではなかったか。彼らはどんな神秘的な遺伝子の声によって、痛みに向かって駆り立てられるのか。一体どこの誰が、そんな代金を自分の家に支払うだろうか。痛みという代金。

 まるで私たちが、外部からの強制力によって労働へと駆り立てられるようである。私が今まで出会ってきた大部分人間は、何の疑問も抱かずに労働を受け入れていた。私たちが働くのも遺伝子の声によってなのだろうか。そうだとしたら、私は人間失格ということになる。なぜなら私がここへ来たのは、労働から逃れるためにほかならないからである。

 私は海が赤や黄色といった明るい色を吸収して青だけになった世界で、ただ一匹イソギンチャクから離れてはるかな深みへと潜っていく小さなクマノミを見た気がした。私は何かあるたび自分を鳥にたとえてきた。どこかのロックバンドの歌詞のように、傷ついた翼でどこまで高く飛べるかが私の人生のすべてだった。しかしいま、私はそれが完全に、決定的に間違っていたことを確信した。……私の人生は魚だったのだ。たったいま、この「いま」から、私の人生はどれだけ深く潜れるかがすべてになった。

 私はかごの鳥などではなかった。かごの鳥は、もしかごのふたが偶然にも開いていたならすぐにも逃げ出すことができる。しかし水槽の魚は。水槽の魚は、もしふたが開いていたとしても、逃げ出せるだろうか?私はそんな絶対的な絶望から、とうてい抜け出すことが不可能な絶望から、どうにか「いま」このサンゴ礁にやってくるだけの冒険をしたのだ。

 私たちがエキジットして、やがてグレートバリアリーフに夜が訪れたが、私はぽつんと一匹、深淵の真闇へと潜降していくクマノミの幻影をまだ見ていた。雲ひとつない空の下でボートゆれる