安寿土牢

2006-12-25

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冷蔵庫2.0

はてなに追加された「冷蔵庫2.0」機能は「日常的なTODOリストあるいは備忘録の公開」という枠を超え、「誰でもいいからやってほしいちょっとしたお願い」の集積所と化した。これは冷蔵庫の扉のメモが「おなかが減ったら中の桜肉を食べなさい」等の家族への行為を促すものも含むことを考えれば当然の帰結である。行為に対しては原則無報酬であるので、当然ながら搾取のみを考えるユーザーの望みは、たいてい行為者の負荷が高いことから忌避された。

やがてオープンライフハックの場となった冷蔵庫2.0は、行為者と行為、さらには記述者と受益者すら完全に分離するシステムを構築したことで、従来では考えられない異様な発展を遂げた。

このシステムの原理である「情けは人のためならず」をモットーとし、金銭は社会を巡るものであるという哲学から生まれた、古来のキャラクターを象徴にして、もはや冷蔵庫2.0とは呼びがたいこのシステム日本を中心に世界に広まった。

そして一見資本主義と縁遠いように見えるこのシステムは体制の目に留まり、それが新たな事件を引き起こすことになる。


続き

ブルース・スターリング招き猫

タクラマカン (ハヤカワ文庫SF)


言い訳言い訳

http://clipping.g.hatena.ne.jp/narukami/20061225/p5

DVの定義にそれに到る心理は含まれただろうか?(単なる疑問)。だとすればこちらの言葉の使い方が拙かった。最後の一文で読後感が緩和された場合、それは主として何によるものなのかという話にしたかった。

最後で「結局おふざけじゃん」という空気を感じてだというのであれば、それは全て書き手の未熟ゆえで読者に責任はないことになる。

# 2006年12月24日 fhvbwx 小説, ネタ ボクッ娘のボクは撲殺の撲ですよね?

その発想はなかったわ。というか、また駄洒落脳か!誰がう


常識の差分としての注釈

古典翻訳書など一行ごとに注釈のある書籍は珍しくはないが、古典古典でなかったころ、翻訳書が原文によって読まれる場所では著者によらない注釈は無い。それは注釈の内容が読者に共有されていたからであり、それはその場における常識である。注釈は彼我の常識に差異があるがゆえに付けられると考えることができる。

そして差分のあるところにはFucktorの混入する余地が生まれる。

どこかで読んだ「士郎正宗の読み方」に

  1. 全体のストーリーを読む
  2. 欄外の注釈を読む
  3. ストーリーと注釈をあわせて読む

という三段階読書法があるとあった。これに「正しい描写探し」など個々の楽しみ方が加わるが、上記読み方は公約数として適切であろう。全体のストーリーが頭に入った上で注釈のみを読む方法は古典翻訳書に対しても有効で、膨大な注釈の参照先が頭の中であれば正しいページをめくる手間が省ける。参照先を探すことに対する手間はHTMLでは問題にならないが、読者の頭の中に直接参照先を求めることができるのであれば、本文を書く手間が省ける。

このような形式を思いついたとき、先人として思い浮かんだのはもちろんスタニスワフ・レムであるが、レムは序文、書評の形で全体像を想起させようとしたのに対し、こちらが意図するところは既存の記憶の書き換えである。神林長平作品の、登場人物の意図するところのほうがより近い。


操っているのでなければ操られているのだろうさ

fhvbwxfhvbwx2006/12/25 21:31>また駄洒落脳か!
まるで、fhvbwxが重度の駄洒落脳であるかのようじゃないですか!というか、脊髄反射で思いついたので、思いつかれなかったobjectOさんは思考停止に陥っているのではないかと思います。

ボクッ娘はキモイと言われたぐらいで人を撲殺するようなボクッ娘はどう考えても僕ッ娘ではなく、撲ッ娘であり、撲ッ娘の意味でボクッ娘と呼ばれているのだと繰り返し主張しておきます。

>士郎正宗の読み方
私が知ったのはBSマンガ夜話の攻殻機動隊の回だったような。いや、もっと前から知っていたような。

objectOobjectO2006/12/26 02:04>思考停止に陥っているのではないかと思います。
脊髄反射では真に思考しているとは言えまセン。直感は当てにならないと常々肝に銘じておりマス。

>撲ッ娘の意味でボクッ娘と呼ばれているのだと繰り返し主張しておきます。
そういうカテゴリーが既存であるなら異論は差し挟みまセン。作中人物の解釈は読者のものデス。

>士郎正宗の読み方
BS環境を持った覚えがないのでやはり誰かが書いたものだろうと思います。シロマサ論は唸るほど転がっているので特定は不可能ですが。それはさておき電人HALの最後は人形使いの最後には今ひとつ及びませんでしたね。電人HALに対してはいつかまとめて騙らねばならんとはおもうのですが。

narukaminarukami2006/12/26 13:35お邪魔いたします。

>最後の一文で読後感が緩和された場合、それは主として何によるものなのかという話にしたかった。

そもそも言い訳すべきはそこに触れてなかったことの方ですね(何)
中核にあるのは「その発想はなかったわ」感であり、つまりは人称代名詞による固定観念にまんまと踊らされた次第です。
「結局おふざけじゃん」的なものは感じませんでした。逆にボクッ娘という記号にはそんなファニーな意味もあったのか、などと後から思ったり。
自分にとっては「社会が要求する定型化された女性像を提供しない、社会に適応しきれない」女性を想起させるので、どんでん返し感はそれはそれとして、最後の一行まで結構重ための物語でした。

objectOobjectO2006/12/28 14:14>narukamiさん
なるほど、今後の参考にします。
やっぱり読者の頭の中を事前に想像するのは難しいです。