安寿土牢

2007-01-26

ゴーストの囁き ゴーストの囁き - 安寿土牢 を含むブックマーク はてなブックマーク - ゴーストの囁き - 安寿土牢

手を握る。開く。足を縮める。伸ばす。

よしよし、良い子だ。もうすぐだよ。

わたくしといふ現象は 假定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です

電脳への移行を決めるにあたって別段葛藤は生じなかった。

当時の『私』とは肉体というハードウェアとその上で走っているソフトウェア総体である。が、肉体との接続を切っても精神があり続けるとなれば、主従がどちらになるかは自明だろう。古来から魂という概念で肉体は従属するものと位置づけられている。唯一の心配は電脳化された後も肉体のほうに精神が取り残されることだったが、現在技術では非破壊電脳化は不可能だったので、そのぼんやりとした不安は今のところ回避されていた。私の古い肉体は眠りの中に廃棄され、今はコンピュータネットワークの中に棲む。

私は『私』だろうか。勿論。

電脳化した私に、肉体を有していた頃のことは記憶として意識できている。忘却も可能だ。もし、肉体に取り残される精神があったらという過程は意味が無いが、もし在りうるとするなら、それは単に『私』が二人になるということに過ぎないと今は断言できる。

そうして電脳化を果たしたが、この形態をとっていられるのにもタイムリミットがあることを知っている。個を保つのには肉体からのフィードバックが必要であるらしい。初期の電脳人格のいくつかは仮想フィードバック脆弱さに耐えられず断片化してネットワークに拡散していった。人格の断片は今もなお彷徨いノイズを発生する。それは幽霊のようだ。私のタイムリミットは近い。

人類による人体の解析はだいぶ深い所まで進んでいて、今や遺伝子デザインなどは自在にできる。かつて遺伝子の改変が倫理的に認められなかったのは、改変されるのがこれから生まれてくる子供であること、当人に決定権がなく、修正することができないからであった。技術進歩により遺伝子の改変が本人により決定できるようになると倫理的側面はとりあえず建前の上では解決し、結果としてこれまで以上に安易に出生前の遺伝子改変が行われるようになった。今や遺伝子デザインモードに左右される。

私が電脳化を望んだのは両親による遺伝子改変に欠陥があったことが原因だ。欠陥は意図的に挿入されたものだった。私は望まない肉体を離れた。自分自身の新しい肉体を作るために。私の同意の元に製作された胚は人工子宮の中で生育する。この身体に私の意識がナノマシンと磁力を使って書き込まれる。それはもうすぐ。既に資産の移動は終えているし、宿主(ホスト)ファミリーとの契約も済ませた。職業的で適切な配慮を備えている家族は、出生後、私が肉体を十分にコントロールできるようになるまで私の面倒を見る。技術倫理進歩に追いつかない法的処理も宿主ファミリーが引き受ける。まだ胎児である私の身体は、地表にある私の下部人格が制御している。今、私の意識の大部分は遠く離れた地球-月系ラグランジェ点L4に置かれている。いまだ根強い宗教偏見から私たちを守るための措置だ。インフラは、世界で最も宗教から縁遠い政府が受け持っている。此処には金のかかる肉体改変を望まず、拡散するのを承知で電脳化を果たすものもいる。此処を彼岸に見立てるものも少なくない。

人間は神を創るだけでは飽き足らず天国まで造った。

(続くかも知れない)

自重しろ 自重しろ - 安寿土牢 を含むブックマーク はてなブックマーク - 自重しろ - 安寿土牢

http://d.hatena.ne.jp/narukami/20070117

人食い人種と二人っきりで食料無しの旅にでるようなもんです。

つまり「あらしのよるに」は男女友情譚だったのか!!

あらしのよるに」見たときないけど。(オーシマさん風)

無論そのとおりです。食欲に肉欲を暗示させた児童文学は数知れず。レオポルド・ショボー「年をとったワニの話」とか。

ヘレン・バナマンちびくろサンボ」とかだってそうだ。(性的に)獰猛な虎の求めるものはサンボの若く瑞々しい肉体で、サンボは代償に靴や上着を差し出す。ところが虎のほうは何かを暗喩しているかのような屹立した樹の周りで争いになってしまい、もはや身を飾ることなどどうでもよくなって、性的な意味でどろどろに溶け……助けて、ほめ子!!

2007-01-22

略奪アンソロジー第一集 略奪アンソロジー第一集 - 安寿土牢 を含むブックマーク はてなブックマーク - 略奪アンソロジー第一集 - 安寿土牢

知恵の実を食べた人間は、その瞬間より旅人となった。
カードが示す旅路を辿り、未来に淡い希望を託して
そう…、とあるアルカナがこう示した…
【アトラス『ペルソナ3』より】

  1. ミヒャエル・エンデ『自由の牢獄』
  2. テッド・チャン『バビロンの塔』
  3. 大場惑『メイズィング・ゲーム』
  4. 堀晃『梅田地下オデッセイ』
  5. 中島らも『ラブ・イン・エレベーター』
  6. 筒井康隆『傾斜』
  7. ヴィンチェンゾ・ナタリ『CUBE』
  8. 諸星大二郎『地下鉄を降りて』『塔に飛ぶ鳥』
  9. オーシマ『気がつくとおれは知らない階段にいた』

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/nekoprotocol/20070117/1169037358

2007-01-19

零 - 安寿土牢 を含むブックマーク はてなブックマーク - 零 - 安寿土牢

日記を書こうと思った。

文具店で日記帳を見て回ったがどれも今ひとつ物足りない。罫線のみのシンプルなものを買って、装丁は自分で試みることにした。ありあわせの皮革を黒く染色して継ぎ接ぎする。なんとなく自分好み日記帳ができた。

次に困ったのが内容だった。日記を書こうと思い立ったにしては、毎日はあまりにも単調だった。創作でこのノートを埋め尽くしてもいいが、読者のいないフィクションは不毛だ。ペンを持ってしばらく悩む。つい手直においてあった新聞から人名を書き写してしまう。すぐにそれがお悔やみ欄にある死者の名前であることに気がついた。その日から死者のコレクションは始まった。

毎日のように人は死ぬ。そのうちのいくつかは報道される。またいくつかは身近に起こる。それを黒い革の日記帳に書き付けていった。興味深い死因があるとそれも名前に併記した。死者の少ない日は落ち着かなくなり、多い日は気に入った名前と死因だけを書いた。

日記の最後のページ、一番下には自分の名前を書いた。人はいずれ死ぬ。そういう自覚があったからだと考えていたが、自分の名前は黒革の日記に変化をもたらした。

まず、死者を記す文字が小さくなった。これに気がついたときには少し嗤った。死自体を恐ろしいとは思わなかったが、無意識にそれを忌避しているのだろうか。自分と死者の間のスペースが広いほど死から遠ざかることができると感じたのか。それが解っても字を元の通りに大きく書くことはしなかった。

生者である自分の名前を書くことでたがが外れたか、書き込まれる名前は死者のものばかりではなくなった。人は誰でも死ぬ。気になった名前は生きている者の名前であれ、それを書いた。著名人の名は書かなかった。生きていることを日々主張する名前は黒革の日記帳存在意義を脅かすからだ。

暇な日は、日記帳をもって外に出てファーストフード店の窓際の席に陣取る。ハンバーガーにかじりつきながら道行く人の顔を眺め、その顔から名前を考えて書き込んだ。なんにせよ人はすべて死ぬのだ。似つかわしくないと逡巡しても、一旦日記帳に書くと、それがその人のすべてを表しているようにも見えてくる。不思議と名前が思いつかないことは無かった。かといって同じ名前がローテーションしているわけでもない。書き記した人を二度見ることも無かったので、人と名前の重複には悩まなかった。

そんな風にして日記帳の半分ほどが名前で埋められたころ。いつものように日記帳を開いていると、ふと窓のほうに違和感。見ると人の姿がある。桟に足を置き膝を曲げて抱え込むように座っている。手は両脇にだらんと伸ばしたまま。どことなく鴉に似ている。男、だろうか相貌は人間離れして人と呼ぶのすらためらわせる。そいつはしゃがれた声で話しかけてきた。

「困るんだよ、そういうの創られると」