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2007-02-03

僕はいつまでも小説を書けないだろう 20:00 僕はいつまでも小説を書けないだろう - いっさいは初めのすがたにもどり を含むブックマーク はてなブックマーク - 僕はいつまでも小説を書けないだろう - いっさいは初めのすがたにもどり 僕はいつまでも小説を書けないだろう - いっさいは初めのすがたにもどり のブックマークコメント

小説を書いてみたいと言ってこのグループに入ってみたのだけど、自分では自分は、やっぱり小説なんて書けないんじゃないかと薄々気づいている。今までに何度も小説を書こうと思い立ったときと同じように。

何故書けないか。一つは書く力がないから。そしてもう一つは、実は本当は小説を書きたいわけではないからじゃないか。そんなに小説を書きたいわけじゃなかったら何故小説を書きたいなんて言うのか。

僕が小説を書きたいという理由は、友達があまりいなくて特にやりたいこともない無気力若者(男)が親や学校から突然進路について訊ねられて漠然と「小説家になりたい」などと言う(言うだけで全然書こうとはしない)のと全く同じだ。

小説を書きたいという人が全て「だめ」な人だというわけではない。「だめ」な人は小説を書きたいと言う傾向があるということだ)


何故「だめ」な人が小説を書きたいとよく言うのかというと、それは孤独だからだろう。孤独。それは彼が心の中に持っている世界と、それ以外の世界、つまり他の人の持っている世界や社会が隔絶されていて混じり合っていないことだ。彼は、社会的な人がやるように、自分の世界と他人の世界を適度に重ねたり交じり合わせたりすることができない。彼の持っている世界は他から何かずれていて、また、それを摺り寄せていくことも苦手だ。他人や社会にとっても、彼の持っている世界はうまく理解できない。この時彼は孤独だ。


そんな彼には、創作というものは、彼が彼の世界を持ったままで認められる世界に思える。

そして創作の中で、文章さえ書ければよくて特殊技能が要らないという意味でもっとも敷居が低いのが小説である。


だが、こういった彼は大体の場合、面白い小説を書くことができない。その理由は、小説というものは単に個人の妄想を書けばいいというものではないからだ。小説とは単に個人の妄想の実現ではなく、やっぱりそれは社会性を必要とするものなのだ。その理由は二つある。


一つに、小説というものは自分の中の世界を表現するものではあるが、自分一人だけで閉じている世界というものは貧しいからだ。面白い小説を書くには、自分の中に豊かな世界を持たなければならない。つまり、自分の中に、自分とは違う他者や、自分とは違う社会などをある程度含んでいなければいけない。小説とは自分を書くものでもあるが、自分だけが存在しても何も起こらない。自分と他者、自分と社会との出会いや対立が必要で、そのためには自分の中にある程度他者や社会を持たないといけない。


もう一つには、小説とは個人の独り言ではなく結局はコミュニケーションの手段であるということだ。誰かに何かを伝えたい、これを読んだ誰かをこういう気持ちにさせたい、などの思いがないと、とてもじゃないが小説を書くなんて面倒な作業はやりとげられない。ある程度の社会性がないと、伝えたい他者、影響を及ぼしたい社会、という対象を持つことができない。対象を想定しない自己満足のためだけの創作は、大体の場合面白くない。


以上の理由で、僕は今のままでは面白い小説を書けないし、小説を書く前にもっと友達を作ったりするべきだと思う。思うけど、難しい。友達ってどうやったらできるんだろうね。友達を作るのは難しいけれど、インターネットは優しい。ネット中毒乙。