過去の短歌はpha::短歌置き場 - ファック文芸部とpha::home > 作品群 > 短歌にまとめてあります。
2007-02-08
■ 第一章 遭遇

気がつくと右腕で電気ポットを抱えながら、坂を下っていた。結構急な坂だったので、足がもつれないようにするので精一杯だった。
時計を見ると2時。間に合うだろうか。
なわとびで遊んでいる小学生たちのそばを通り抜け、縦列駐車に苦戦している白い乗用車を横目に見つつ、銀行のATMのところで彼女をやっと見つけた。よかった。間に合った。
「持ってきた?」と彼女は言った。
「うん。ここに」と僕は答えた。
「OK。じゃあついてきて」
彼女の1メートル後ろを歩きながら僕はいつものように考える。彼女は僕のことを今どんな風に思っているんだろうか。紺色のワンピースを着た彼女の、後ろ姿を凝視する。かつては自由に触ることを許されたこの体。服の上から、もう半年以上のあいだ生では見ていない、彼女の裸の背中や尻を想像した。今はもう触っちゃいけないんだよな、さびしいな、と頭の中でうだうだと妄想していると、彼女はタバコ屋の角を左に曲がった。
連れて行かれた先は、二階建ての小さなアパートだった。
「ここ?」
「うん。小さなアパートだからあんまり大きな声では喋らないで」
狭くて急な階段を彼女に付いて登って行った。2階のその部屋には、「203 皆川」という表札がかかっていた。
(続くのか?)
小説を書く試しとして、あんまり何も考えずに適当に、頭に思い浮かぶイメージのままに書いてみた。ほっとけば(慣れている表現形式である)詩(もしくは散文詩)になりそうなところを無理に小説っぽくしてみた。この後の展開などは何も考えていない。
- 小説だと設定とか説明とかが必要なんだな
- ある程度のつじつまが必要だな
- これは読んで面白いのだろうか? (小説の面白さと詩の楽しさは別)
- 書いてて面白いのだろうか? →ちょっと面白かった。でも面倒だとも思った。
もしこれを詩にしたならばこんな感じだろうか。
誰かの頭部を抱えたままで
急な坂道を下っている
周りの視線は気にしない
交通整理の警官に挨拶をし
なわとびをしている小学生の間をくぐりぬけ
僕はどこかの視点から
自分自身の頭部を君に捧げる僕を見ていた
君はもちろん、いつものように笑っていた(はずだ)
詩だったらこれで終れるんだから楽でいいよね・・・
右腕に何か、ちょっと大きくてちょっと重くて、落としたら壊れてしまうようなものを抱えていて、ちょっときつめの坂道を下っている。明るくて白っぽくて静かな、午後の住宅地の坂道。
そこからどう発展させるかが違う。
まず、何を抱えているかを考えたときに、最初に思いついたのは「人の頭部」だけど、人の頭部を抱えて歩いているなんて「こんな夢を見た」的な短い幻想たん(なぜか変換できない)にしかならない。そういう小品はもう書けるからいい。今はある程度の長さを持ってストーリーがある小説を書きたい。そこで頭部をポットにした。
(ポットでも充分変か。で、小説だと、これは後でなんでポットを持ってたか辻褄を合わさなきゃ行けないのか。めんどくせー! なんでポットかって? そんなもんフィーリングに決まってるじゃん! とか言いたくなる)
ストーリーの面白さというものが小説にはある。お話がどう展開するか。小説を書くならそれを書くのだ。
ストーリーとか辻褄がいるから、特に脈絡なく人の頭部を持って歩いてたとかそんな無茶なことは小説では書けない。
保坂和志みたいな、ストーリーはないけど読んでるだけでなんか楽しいというのもあるけどな。
ストーリーではなく現実性の問題か。起こっているできごとに辻褄が合ってその世界が続いていけばいいのか。
人の頭部を持ち歩くのがおかしくない仮想世界を考えればいいのか(世界設定とかいるんだろうけど)。
大槻ケンヂ「ステーシー」とかもそんなんか。まず少女ゾンビをチェーンソーでバラバラに解体するというイメージありきか。設定は、そのイメージを可能にするためにある。
今日の結論:ある程度長い小説を書くなら、設定や説明や辻褄がいる。
とりあえずここまで。イメージをもっと膨らませる練習をしよう。
追記
- 小説は説明が要る→読者層を拡げるために。感覚だけの世界だと読者層が狭い。
- 小説は説明が要る→世界の説明。日常や現実世界と近い世界観の場合はあまり要らない。そうでない場合はいる。(例外:夢十夜)
- 小説は辻褄が要る→世界の説明と同じこと。また、ストーリーとも同じ事。
- 小説はストーリーが要る→それが詩や音楽とは違う小説の面白さ? (例外:保坂和志)
(ここで言う社会とは、複数人の人が関わりあう、くらいの意味)
(もしくは、俺とその他の社会、の関わり、とか)
自分だけじゃない。だから、それぞれ出てくる人や要素を、ちゃんと建てなきゃいけない。
→説明。