2011-08-27
マーガレット・ヴォイド 雪尾ゆお pre-story
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『雪尾ゆおが虚空の中に見る答え』
たとえ真っ黒な花を贈られても、それがあいつからの物なら君はとても嬉しそうに「綺麗」と笑って受け取るのだろうな、ということを考えていたら、駅前のファッションビルを延々歩き回っている自分が急速に虚しくなった。
二回の寝具店に行って、羊型のアイピローを買うことにする。以前後輩の女の子にあげたらそれなりに喜ばれた物で、何かの邦画で使われたのと同じ形らしい。君は洋画しか見ないから知らないだろうけれど。
使い回しの誕生日プレゼントは君のための物であっても君のためだけの物じゃない。明後日も君がお祝いされる日であっても僕が君をお祝いするための日じゃない。半年前にたまたま聞いた君の誕生日を頭の中で何度も繰り返し、家に帰ってカレンダーに印をつけた時はもう少し心のこもった物を贈るつもりだったんだけれど。っていうかこのビルに来るために家を出た時もそのつもりだった。でも、あいつからメールが来て。
メールの文面は「明後日って美奈の誕生日じゃん? あいつ何好きなのか教えてくれない?」。僕の返信は「うーん、本とか音楽が好きだけど、好きな作者のは自分で買うだろうし」。それに返信、「そうかサンキュー。まあ適当に選ぶわ」。
きっとあいつは本当に適当に選ぶのだろう。その程度のプレゼントに、僕は絶対に勝てないのだろう。意見というのは何を言うかではなく誰が言うかである、なんて皮肉屋が語る話には頷きたくないが、好意の表現は間違いなくどうやるかより誰がやるかの方が重要だ。僕の持っている鍵は君の鍵穴にはどうやったってはまらない。そう思ったらどうにもこうにも馬鹿らしくなった。
アイピローをラッピングしてもらってバッグに入れてファミレスでドリアを食べてさっさと帰った。
状況を説明しよう。僕、君、あいつ、友達三人グループ。僕は君が好きで、君はあいつが好きなようで、あいつは、微かにそんな感じがするってだけだけど、多分僕のことが好きだ。あいつの趣味は変だと思うけどそれをどうこう言うつもりはない。三人グループを簡単にぐるっと回る三角関係。普通は一周するには四人が必要なんだろうけれど僕らの場合は一人飛ばしだった。
帰り着いた一人暮らしの部屋には熱気がこもっていた。窓を全開にして扇風機を回す。エアコンもあるけど、節電の夏だそうだから。妙に気だるくて眠ってしまいたいが、暑くてどうにも。買ってきたピローは保冷剤を入れて使うこともできるはずだ。もういっそこの場でラッピングも破って自分で使っちゃってもいいんじゃないのか、なんて。流石にしないが、それくらい気だるかった。
ベッドに横になる。布団はまめに干している。部屋の掃除もちゃんとしている。たまに君とあいつが遊びに来るから。五回に一回くらい、君が一人で遊びに来くることもある。当たり前のように少しも警戒してない様子で。僕はいつもドキドキしながらコーヒーを淹れて、ドキドキしながら話して、ドキドキしながら帰るのを見送った。もしもその内のどれかで僕が何か――もちろん肉体的にどうこうではなく言葉で――していれば、それは何かが変わっていたのだろうけれど、いい方向に変わったとはやはり思えない。
仰向けになって目を閉じた。一途らしい過去の恋愛話を聞くに、君の目があいつから僕へ移ることはまずない。それが分かっていて僕はまだ。自分は諦めはいい方だと思っていたんだけれど、意外とそうでもなかった。
暑い。とても眠れそうにない。本当に自分でアイピローを使ってしまおうか。どうしてこんなに徒労感があるのだろう。無理な恋ってことはとっくに知ってたのに。今日は特別、暑いせいかな。そのまま、眠るでもなく起きるでもなく、怠惰にベッドの上でゴロゴロし続けた。
二日が過ぎて君の誕生日が来た。三人でお祝い会をすることも、当然選択肢としてはあった。でも僕はそれを言い出さなかったし、不思議とあいつも言わなかったし、勿論君も自分からお祝いしてとは言い出さなかった。
君の誕生日が近い、ということは僕たちの中で話題にすら出なかった。だから君は、お祝いしてもらえるかどうかも分かっていないはず。三人で遊ぼう、となれば、お祝いしてもらえるんじゃないかって思うだろう。それが僕には好ましくなかった。突然プレゼントを渡してびっくりさせたかった。それに大した意味なんかないと分かってても。
授業の合間に、君にメールをする。「放課後暇ならドーナツ屋でもいかない?」
一対一で誘うことは珍しかった。でも、いいじゃないか別に。それは、どうしても二人で会いたいっていう積極的な物じゃなく、なんか、もう、どう思われてもいいかなっていう投げやりな物で。アイピローを買う時の虚しさが尾を引いていた。けれど君はそんな僕の虚しさに気付くわけもなく、愛想よくOKの返事をくれた。
待ち合わせの時計台に来た君はTシャツにホットパンツで、むき出しの素肌がまぶしかった。とりあえずよく行くドーナツ屋へ向かう。三人でコーヒーをおかわりしまくって長居したこともあった店だ。
君が三個、僕が二個のドーナツとそれぞれの飲み物を頼んで席に着いた。
「久しぶりだねえ、二人で来るの」
「うん……そうだね」
「何か話でもあったの?」
もう少し間を取りたかったんだけど、明るくそんな風に聞かれては仕方がなかった。何だか君がいつもより楽しそうなのは、ああ、多分もう予想しているんだろうな。きっと、あいつからもう何かもらったんだろうな。
僕は緊張してるわけではないと思うけど、一度深く呼吸をした。バッグからラッピングされた物を取り出す。ちらりと君の様子を伺えば、顔を輝かせていた。その顔に向けて、できるだけ虚しさなんか見せない、僕もお祝いできて嬉しいよ、みたいな微笑を返す。
「誕生日、おめでとう」
「ありがとう! トゥース!」
差し出した包みを、満面の笑みで君は受け取った。期待には相応しくないよ。
「もー! これドッキリ? 賢哉と示し合わせてた? 二人とも私の誕生日なんて全然気にしてないんだと思ってたよ!」
「そういうわけじゃないんだけど……ああ、もうあいつからももらったんだ」
「まあ、一応ね」
あいつは何を贈ったんだろう、君はどんな風に受け取ったんだろう、それが気になって、でも君は僕がそれを聞くよりも先に
「ね、開けていい?」
「いいよ」
よーし、とはしゃいだ様子で、けれど包装紙を傷つけないように君は開封していく。ラッピングが上手かったのだろう、すぐに中身が姿を現す。透明なケースに入った、クリーム色の、胴長の羊。eyepillow、とケースには綴られていた。
「おおお! 寝る時つける奴だよね?」
「うん、そう。保冷剤とか入れられるから、暑くて寝られない夜とかにもいいと思う」
「何それ素敵! しかもめっちゃ可愛いし! ちょっとーいいじゃないかこれー」
君は本当に喜んでくれてるみたいだった。そんなに喜ばれるべき物じゃ、ないんだけれど。
「ヤベー嬉しい。何だよアイピローとかちょっとオシャレで実用的でさあ。今んとこ今年で一番いい物なんだけど」
その言葉が本気のように聞こえてしまって、僕は余計なことを尋ねる。
「賢哉のプレゼントよりも?」
嫉妬、なのだろう、きっと。自分はプレゼントをちゃんと考える熱意も失っていた癖に、嫉妬は残るんだから面倒くさい。僕だけが醜いのだとは思わない。誰だって醜いんだろう。君やあいつがこんな風に醜いことを考えるのは、うまく想像できないけれど。
「賢哉の? あー、全然。タコ焼き機買ってこられても。三人で焼いて食おうぜって、私タコ嫌いなんですけど」
「そう……なんだ」
それは本音? 本音かもしれない。僕のプレゼントが一番嬉しかったって、素直に言ってるのかもしれない。そうなのだ、と仮定して。そうなのだ、と期待して。そうなのだ、と信用して。
僕は、断崖絶壁の前に立ち尽くすような無力感に潰れそうだった。
好きな人にプレゼントを嬉しいと思ってもらえたなら、こっちだって喜んでいいのに、エゴに満ちた僕はそうはなれない。一番嬉しいって評価は、僕にとっては本来望むべくもない。あいつよりも嬉しいと思ってもらえるなんて、出来すぎな結果。
でも。いや、だからこそ、か。僕は虚しかった。絶望と言ってもいい。
多分、陸上とか水泳とか、記録を競う多くのスポーツ選手が似たような思いを抱えているのだろう。自己ベストを出して、それでなお、世界記録や国家記録に遠く及ばない、という絶望。自分の最高記録が、全然足りないっていう現実。
君は僕のプレゼントを一番喜んで、それでもあいつのことが好きなんだろう?
スポーツをしている人たちは、この無力感にどう対処しているんだろうか。一位でなくとも、メダルを取れたことを誇りに思う? 世界レベルでなくとも、身の丈に合ったレベルで奮闘する? 自分なりのベストを出せたことに満足する?
そういうことができるなら、そうすればいい。けれど僕は、君の世界で一番にならなきゃ、意味が感じられないんだ。だから、そんな風に笑顔を見せてくれたって、何にも意味が感じられないんだ。虚空なんだ。
ああ、それに、何より、僕は、本当はまだ余力があったなんて未練を残してる。だって、さあ。投げやりに選んだんだよ、このアイピロー。だから、自己ベストは出せても、全力で走ってなかったんだ。もしも、本気で君のためのプレゼントを考えていたら君はもっと喜んでくれて、そして僕のことを、なんて夢を見てしまう。それはそれは甘い夢で、でも夢と分かっていながら覚めることが出来ないなんて悪夢だろう。
「喜んでくれてよかった」
中身の伴わない虚ろな言葉を吐き出した。酷く口が渇いていた。アイスコーヒーを口に含むと、冷たすぎて、甘すぎて、ヒリヒリした。
――それでは、次のニュース。
ふと、隣の席のカップル(僕たちもそう見える? 絶対見えない)が、携帯のワンセグでテレビを見ていることに気付いた。音量が大きくて内容が漏れ聞こえてくる。
――代帝陛下が開催した剣闘祭ですが、その優勝者には七益姫様が与えられます。一体どれほどの剣師が集まるのでしょうね。
――姫様はこれ以上なく魅力的ですが、恐らく……
七益姫。いや、それはもはや彼女の本質ではない。テレビでは彼女の人間性を無視しないポーズとしてその呼び名を使っているだけで、彼女の今の本質は、姫などではなく、天元兌換財だ。それは、価値の究極。何にでもなる引換券。貨幣という約束事のイデア。社会構造がある程度しっかりしている限り、物質的な物でこれ以上に汎用性のある存在は考えづらい。
天元兌換財は定義としてはあったけれど、まさか僕が生きている時代に現われるとは思わなかった。そして今回のそれを手に入れる条件は、ただ個人レベルで戦闘能力が高いというそれだけ。夢を見て死闘祭に参加する者は多いだろう。破れれば命を失う夢だとしても。
僕だって一攫千金への憧れはあるけど、イチかバチかで命を賭けるなんて馬鹿みたいだと思う。命あっての物種だ。よほど今の生活が最低で、他に逆転のチャンスがないなら分かる。でもそうじゃないなら、天元兌換財なんて大きすぎる物に手を伸ばさなくたって、もっと身の丈に合った幸せを追えばいい。世の中、現実的で楽しいことはいくらだってあるだろう。たとえば、
「…………」
たとえば、の続きは幾らだって浮かんだのに。
そう、楽しいはずのことはいくらだってある。でも、君は僕の隣で一緒に楽しんでくれない。それが一番の望みなのに。それが叶わなかったら何にも楽しくないのに。
君の一番になりたいって言うのは、身の丈に合わない幸せなんだろうか。身の丈に合わない幸せを手に入れることは普通は出来ない。だって合ってないんだから。手が届かないってことなんだから。
でも、今は、今だけは。この国のそこら中で、手の届かないはずの幸せに腕を伸ばそうとしている人がいる。現実として、伸ばすことができるし、届く可能性がある。誰の背にも翼が与えられている。たとえ蝋の翼でも。
君に意識を戻す。もふもふとドーナツを食べていた。あまりおしゃべりではない僕が黙ってしまうのはよくあることのようで、君が今更それを気にする様子はない。不思議と僕もそれを必要以上に気に病まないですんでいる。そんな関係でいられるっていう、もしかしたら何でもないことが、僕にとっては凄く大事だって、確認して。
僕は口を開いた。
「あー。あのさ」
「ん?」
無邪気な様子で聞き返す君に、僕は躊躇いがちに言う。
「その、プレゼントなんだけど、やっぱり取り消しにしてくれない?」
「え?」
君はきょとんとして、目をしばたかせる。唐突過ぎて意味が伝わっていないらしい。
「だから、プレゼント、なかったことにっていうか……」
「ええ? えー!? 返してってこと? 何で? 私今何か怒らせた!?」
「あ、いやっ、ごめん、違う」
驚きと不安の入り混じった君の様子を見て、慌てて首を振る。僕は上手く説明するのがいつも苦手だ。思考実験に出てくる無損失疎通路があればいいのに、なんて思うけれど、もしそれがあったらきっと伝えたくない物まで伝わってしまうから、やっぱり僕は使えないのだろう。
「えっと……取り消し、じゃなくて。返さなくて、いいよ。でも、それは、本番じゃないっていうか……本当は他があって、だからそれは誕生日プレゼントってことにはしないでほしいっていう……」
「前座?」
「う、うんそう、前座」
「幕下?」
「ま、幕下、かな……」
まだ訝しげながら理解し始めた君に、僕はどもりながら応対する。多分僕の顔は、凄く困っている。自分でも自分が正気なのか疑っている。
だって、誰が正気だと信じるだろう? 剣師なんかじゃ全然ない、少し趣味で剣を振ったことがあるだけの、切羽詰まった事情も何にもない、どこにでもいる学生が、命を賭けて死闘祭に出るなんて。死にたがりか誇大妄想だとしか思えない。
「んー……私、このアイピローだけで十分嬉しいよ? 本当だよ?」
きっと君が言ってることは本当。本当だけど、君にとっては十分でも、僕にとっては不十分なんだ。
「でも、僕、もっとあげたいものがあったから。ちょっと、今日には、間に合わなかったんだけど」
「…………」
君は、困惑混じりの微笑みでじっと僕を見る。何かを確かめるように、見通すように。僕はあっさり視線を逸らして、テーブルの上のお菓子を眺める。
「あんまり、高い物とかもらえないよ?」
「あ、うん、大丈夫」
目線を合わさぬまま、小さく何度か頷いた。高い物。天元兌換財は値段のつくものじゃないから高いとかじゃないよ、程度の屁理屈をこねなければ、これ以上高い物はない。でも、実際に目の前に七益姫を連れてきたら、君だって意見を変えるかもしれないだろ? ……なんて。
やっぱり、僕は正気じゃないのかもしれない。死にたがりではないつもりだけれど、誇大妄想を否定できない。天元兌換財は人の心とは交換できない。僕が七益姫を贈ったところで、君の心が僕に向けられるなんて、むしろ望み薄だ。多分受け取ってすらもらえないだろう。或いは逆に、君ならありえないとは思うけれど、僕を好きになるんじゃなくて天元兌換財の前に欲に目が眩んでしまうだけかもしれない。最悪、僕の過激な行動に恐怖されるかもしれない。そもそも優勝できる可能性なんて限りなく零に近い。そういうことが分かっていて、それでも僕は死闘祭に出ようとしている。きっと正気じゃない。
ただ、僕は、これが甘い悪夢から覚める方法だと思ったんだ。未練をなくす方法だと思ったんだ。君の一番になるっていう無茶を叶えられるかもしれない方法だと思ったんだ。走ってみればいい。飛んでみればいい。思い切り剣を振ってみればいい。もしも七益姫が黒い花だったとしても。
――わたしは答えです。
七益姫が思わせぶりにほのめかす世界の答えに僕は興味がない。そんなもの、哲学者かSF作家に任せておけ。ただ、僕が自分の命を賭けて戦う答えは、君だ。
「アイピローより、いい物のつもりだから……期待してて」
僕は顔を上げて、君の目を見て笑ってみせる。死ぬかもっていう恐怖は不思議と湧いてこなかった。きっと僕の笑顔はいつもの通りちょっと自信なさげだろう。でもそれでいい。こうやって普段通りに笑って、別れて、僕は、国で一番になってくる。
君は少し考えて、でも、僕が正気だって思ってるから、僕の君への気持ちなんか知らないから、夢に囚われてるって知らないから、ニカッと目を輝かせてくれた。
「うんっ。じゃあ楽しみにしちゃうんだから、がっかりさせたら許さないからね?」
「まかせて」
一つだけ、君に言わない約束。いや、僕の中だけの誓い。プレゼントは、血で汚さない。
【to be continued――Marguerite Void】