霊長類賛歌 このページをアンテナに追加

2006-06-12

[]密室に死の痕跡あり。 密室に死の痕跡あり。 - 霊長類賛歌 を含むブックマーク

死体が消えた?それが何の解決になるんだ?!」

「おいおい、大声を出すなよ」

 探偵が手のひらをわたしの口に向けた、手のひらに書かれた円状の短縮言語がわたしに眩暈を起こさせる。

「君の推理から連想しただけだ、それとも君は、ぼくが真剣に推理している横から、適当な思い付きを囀ってみたとでも言うつもりかね?」

 嗜虐的な笑みが探偵の口元を覆った。わたしは戸惑いながら

適当に言ったわけじゃない、ただ……可能性として、そういうプログラムを彼は書いていたわけで、完成していたなら、そういうトリックも成り立つだろうと……」

 探偵は笑った。

「その通り、君の言う通りなら、彼はそのプログラムを完成させ、ここで殺され、そしてワープさせられた……犯人と一緒に……ははっ」

「笑い事じゃない!重大なルール違反だぞ。もし本当にそんなことが行われたなら、とっくにこの部屋は凍結されているはずだ」

「ふむ、確かに。ぼくも探偵の端くれとして常々、瞬間移動、空間転移の方法を探しているんだが、これが難しくてね」

「当たり前だよ……この世界にはルールがある、それが自由に改変可能なら、君たち探偵の出番はない」

 探偵は指先をライターのようにこすり、煙草に火をつけた。もやもやと広がる糸のように煙が煙草から伸びて部屋の隅々へ向かった。密室にある穴は三つ、ドアの鍵穴と天井の換気口、そして……壁の弾痕。

 部屋の中央から弾痕へ向けて、大量の血痕が残されている。それは一人の人間が失血死するのに充分な量で、しかも倒れたあとにも出血は続き、血のしみこんだカーペットは人の形にへこんでいた。

 壁の弾痕は奥に行くにつれ小さくなって、そのまま外へ。

 探偵が、通りの向かいにある壁に開いた小さな穴を見てこの部屋の大家を叩き起こさなければ、こんな事件に巻き込まれることもなかっただろう。わたしは、夜中に散歩する探偵趣味を、うとましく思った。

 探偵は、被害者とおぼしきこの部屋の住人が残したコンソールでネットワークに接続していた。使用状況でも調べているのだろうか?わたしは訊くと、探偵はいつになくさみしそうな顔で答えた。

メインフレームに残されていた日記を読んでいたんだ、謎は解けたよ」

「そんな、日記に全部書いてあったなんてそんな解決があるか!」

「偶然見つけたんだ、物事が全て理路整然と筋道立てて起こる必要はないさ。ねえ君、あの"偉大なる大移送"を覚えているかい?」

「えっ?ああ、歴史の授業で習ったよ、わたしたちの世界ができあがった年のことだね」

「そう。あの年、中国人口は四十億を突破した。国連に見放され、国境を封鎖されたぼくたちの国に残されたのは、ただひとつの方法だった。究極の大移送、中国人全てを、電子世界へとアップロードする」

 わたしは探偵物言いに不穏な空気を感じた。彼はいつでも反社会的だが、今日はいつもより冷笑の度合いが少ない。

「でも先進国じゃ普通に行われていたことだよ」

「もちろん、大富豪病気子供に対しては、普通にね」

「そのときの中国人は、大富豪であり、病気子供だったというわけさ」

「共食いを見かねた国連の援助という説もある。どのみち真相は闇の奥。ともあれ四十億の民はこの世界の住人へと生まれ変わった……本当に?四十億人がたったの一年で移送できるものかな」

「しかし、現にわたしたちはここにいるじゃないか」

「そう、ぼくたちはここにいる、そして消えていない」

 探偵は壁の弾痕へ近づき、床の血痕を手で示した。

「これは貫通力と破壊力の高い銃弾を使ったものだ。おそらく胸から入った弾丸は肋骨を粉砕し、背骨を砕き、内臓を撒き散らしながらこの壁を貫通した……弾はどこに?」

「通りの向かい側だ、君が見つけた」

「そう、ぼくが見つけた。この世界の物質は当局の監視のもと、二つのレイヤーで管理されている、一つは物質レイヤー、もう一つは個体レイヤー。弾丸は砕けて物質レイヤーに還元されたが、弾痕には個体レイヤー存在痕……IDの痕跡が残されている。このIDって奴は個体それぞれに割り振られていて、複製は不可能とされている」

「されている?42の42乗だよ、どうしたって不可能だ」

「もし複製されたら?」

 探偵がわたしを見た、その目はまるでガラス玉のように空虚だ。

「複製は、されない」

「可能性はゼロではない。法では定められているよ、複製物は発見され次第オリジナルと融合させられる」

「なあ、その話と、消えた死体と、何の関係があるんだい?」

「彼が作っていたのは、空間ポイントの検出と特定、そして移動するためのプログラムだと、君は言ったね」

「ああ、それが完成していたなら、瞬間移動も可能だ、だけど」

「だけど?」

「瞬間移動って言っても、別に異次元を通過するわけじゃない。単に移動したい場所へアクセスして自分の複製を生成し、こっちの残った身体を消去するだけのものだ、物質転送装置だよ、システムルールに違反してる、実現不可能だ」

「うん、彼はね、物質転送装置を作ろうとしていたわけではない」

「なんだって?」

「物質を転送するためには、物質の複製が必要だ、そうだね。ならばそのためには、個体IDも複製しないと」

「だからそれが不可能なんだって、個体IDは複製できない」

「なるほど」

 探偵は両手を合わせて顔の前に挙げた。

存在痕だけを残して、死体を消す方法、それは」

「それは?」

「複製物の偽装ID解除、オリジナルとの融合」

「……どういうことだ」

死体がそもそも複製物だったんだよ、彼が作ったのはその偽装を解除するプログラムだ」

「……ちょっと待てよ、偽装?何のことだ?」

「四十億の人民を移送する中途で、たった一人の狂ったエンジニアがあることを企んだ。自分の複製に偽装IDを生成するプログラムを持たせて、二人でこの世界へ移送されたんだ。彼は彼の複製物と物質レイヤーでのかけあわせを行い、産み、増えた……外界時間で一億年、この世界は彼の複製物で満たされたんだ」

「何を言ってるんだ?わたしも君も、ちっとも似ていないじゃないか!」

「だからそれが偽装IDの効力さ、全てのパラメーターは見かけのものでしかない、ぼくたちは狂ったエンジニアクローンなんだ、数百億人が、一人残らず」

 言い終わると同時に、探偵は手のひらから取り出した銃で自分の胸を撃った。弾丸は肋骨を粉砕し、背骨を砕き、背後の壁に開いた弾痕へ吸い込まれるように消えた。

 倒れた探偵は、やがて薄れて消えていった。消える寸前に見えた探偵の顔は、見たこともない人物のものへ変わっていた。それは、わたしの顔によく似ているようにも思えた。

 そこへ大家がやってきた。

「ちょっと、友達だって言うから入れたけどね、何だい今の音は、物騒なことをされちゃ困るんだよ!もうすぐ警察が来るんだからね!」

 ぼくは、両手を顔の前で合わせ、考えた。

「さて」と探偵が言った。

 

(了)

 

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