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Slimo the fatter

2008-06-26

[]昨日を、待って。 20:14 昨日を、待って。 - Slimo the fatter を含むブックマーク はてなブックマーク - 昨日を、待って。 - Slimo the fatter

 ポケットの中には一銭も入っちゃいなかった。入っていたのは糸くずと、詩を書き付けた紙きれだけ。帽子をぐい、と押さえて酒場に向かっていく足を逆に動かした。テーブルの上に暖かい料理が並んでいたのは、もう何年前になるだろう。ベッドの上にきちんとブランケットが掛けてあった頃から俺はどれだけ歩いてきたのか。……何の益もないので、俺は途中で思い出すのをやめた。

 それでも記憶はどんどん俺を侵食してくる。この街は、慣れるととても楽な街だ。人通りが多すぎて、俺は俺でなくても俺であることができる。俺は、どうやらそれに慣れすぎちまったみたいだ。こうして街を歩いていても、何の刺激も起こらなくて……ひどく、気分が滅入るんだ。

 あの時、あの時、あの時。もっといい場所へ行くんだって飛び出した電車で、ぎゅうぎゅうの座席に持たれていたあの時、駅で立ち尽くしていたあいつに「もう一度戻ってくる」って言ってやればよかったのか、そしてそれまで待っててくれないか、って言えばまだ良かったのか。

 ……答えは、出ない。

 人ごみの中、見上げる空は灰色で、夕焼けをすっ飛ばして徐々に暗くなってきた夕方の梅雨の空と相まって、歩く人をひどく陰気な気分にさせた。だけど、どうせ明日だって、同じだよ。今よりもずっと陰気な、涸れた涙の色をした雲が皆の頭上にそびえるだけで、俺が、結局満足のいく答えを出すには、もう過ぎちまった『昨日』をもう一度、待つ以外には方法が無いのだ。


 虹が終わるところに行きたかった。

 さよなら、ってあいつに言えればよかった。

 そうすれば、あの時の俺達の夢だって、少しは叶ったかもしれない。少なくとも、あの頃の思い出が横たわっている昨日なら。


 人ごみに揺られて、駅への道を歩いていく。皆、今日の仕事が終わって家路を急いでいるんだろう。皆の顔は、どこかひどく一様で、馬鹿ばっかりだった田舎がひどく懐かしくなった。

 前に、前に、この道は延々と伸びていて、色の薄い月が道の先に輝いていた。

 「俺がいなくなる前に」

 ひとりごとをつい呟いた。覚えていて欲しかったのは、そう……もう、どうでもいいか……

 今日は、灰色の空。塵芥が織り成した都会の陰鬱な芸術。この陰鬱な奇怪さから解き放たれるには、どうやら俺は……『昨日』がもう一度来るまで、待たなくちゃならないらしい。とうの昔に過ぎ去った、昨日を。