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ファッキンガム殺人事件 RSSフィード

2007-11-03

エモと実話と星新一、或いは第二回ファック文芸部杯開催通知

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エモいということについて考えている

「エモというものが"読者の感情をかきたてる情感溢れた何か"だとすると、自分がファック文芸部で小説を書き始めた当初から無意識にエモいものを排除していたのはなぜか。おそらくは過去に刷り込まれた星新一的美学の踏襲。または喜怒哀に基づく何かをネットに公開することへの本能的警戒か。それは保護法違反だとわたしのドラえもんが囁くから。あいつ心配性すぎるんだ、だから頭に毛が一本もないんだよ。
しかしながら技術としてのエモが有効であることに疑いの余地はなく、ならばいたずらにエモを嫌うのではなく、エモさと折り合いをつけて上手くやっていく方法も一計ではないか。エモいエモいって言うけど、エモいこと自体は良くも悪くもないよね。単にエモいだけで。とか。」

或いは 2ch の体験談系スレッドまとめやはてな匿名ダイアリーの人気エントリ、ひいてはケータイ小説について考えている

「実話かそれに準ずるテキストが好評を得るのは当然といえば当然で、人は自分のことが書かれたものに最も興味を持つものだから、読者に近い<->遠い / エモい<->エモくないで二次元マップ化して近い・エモいよりの作品はデフォルトで一定の支持を得るわけだ。そこから、"あらかじめハンデを負った遠い・エモくない話が評価されたなら、それは真に凄いテキストではないか"という発想が生まれるわけで、自分もかなりそれに近い考え方だったのですが、最近はそうでもないかなという気がしてきました。要は、どちらでもいいのです。または、どちらでも結局凄いものは凄いのです。東洋人がエトワールになれればそれは確かに快挙だけれども、結局のところ、欧米人だろうが日本人だろうが、凄いダンスを見せるバレリーナが最強なのです。昴もプリシラ・ロバーツも等しく化け物なのです。
人は誰でも一生に一冊は本を書ける、という言葉がある。実体験、実生活の重量やエモさというものは単体でそれなりのパワーを持つという意味です。近い・エモい方面の言葉であると思います。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。人の一生を込めた近い・エモい作品は、遠い・エモくない方面の化物が手すさびに書いた作品に伍することが可能なのか?」

或いは、人間が書けていないと文壇から DIS られた日本 SF 創生期の作家たちについて考えている

「ようやく『星新一 一〇〇一話をつくった人』を読みました。」

星新一 一〇〇一話をつくった人

星新一 一〇〇一話をつくった人

「星新一が直木賞を獲れなかったことは遺憾ではあるにせよ、そういうものかなと思う。或るテキストが同時代に評価されるとは限らないし、旬を過ぎたら直木賞・芥川賞作品百冊だって紙屑かもしれない。或いは、一万年と二千年経ったときにまだ立っているのは星新一作品かもしれない。自分は自分であると信じる力はテキストに無二の修飾を与えるかもしれない。星新一の螺旋力。」

『本を書くなら時を越す。無機質だろうと向き変えず、垢抜けたなら俺の勝ち! 俺を誰だと思ってやがる! 俺は新一だ。文豪じゃない。俺は俺だ! 星新一だ!』

第二回ファック文芸部杯のお知らせ

「第二回ファック文芸部杯は、だいたいこのような発想を元に企画されました。」

参加条件

はてなのアカウントを持っていること。

勝利条件

http://b.hatena.ne.jp/entrylist?url=http://anond.hatelabo.jp/&sort=hot で最多ブックマーク数を得ること。対象範囲は 2007 年 11 月中にブックマークされたもの。

ルール
  • 参加者は 2007-12-03 までにどの作品を書いたかを Permalink が保証された URL で申告すること。また、申告した URL と当該エントリを相互リンクさせること。

「なるべくシンプルなルールにしました。もともとファック文芸部杯とは作者を曖昧にすることでテキストそのものの人気をはっきりさせてみようという意図が強く、"誰が書いたか"、"どこで書いたか"は割とどうでもいいと言いますか、華拳繍腿という前提です。匿名ダイアリーだからとか、人気 blogger だからとか、関係ないのです。」

「第二回のルールについては、一部から『ブックマークされることを狙った釣りエントリが蔓延するのでは』とのご意見もいただきましたが、自分にはそれが今までの anond の状況とどう違うのかがよく分かりませんでした。また、 g:neo の方向性(そんなものがあるとすれば)としても、別にどうでもいいと判断しました。結局のところ、問題は"我々は何と戦っているのか"という点に行き着くのです。被ブックマーク数を競うコンテストで釣りエントリに勝てないのであれば、その釣りはテキストとして、より強くファック文芸部杯の意図に沿っていたわけです。被ブックマーク数はある意味無慈悲で残酷な絶対評価です。強い奴が生き残るのではなく、生き残った奴が強いのです。陸奥圓明流が「銃は卑怯だ」なんて言いますか?」

「しかしながら、こういったヴァーリ・トゥードは今回急に始まったことではないのです。はてな匿名ダイアリーが開設されたときから、ファック文芸部が始まったときから、 2ch ができたときから、遡ればもっともっと昔から、テキスト同士は万人の万人に対する闘争状態にあるのです。 blogでdo とはその混沌の中に身を置くことと同義であり、今回の試みはその中に"あなたの人生の物語"や"いざというとき相手を殺しにかかる漆黒の意志"を混ぜやすくしただけです。諺に曰く、"野にはさても化物が多い"。我々はその言葉を実感したいのです。」

「参加を考えている方にお願いするとしたら、あなたが書きたいものを書いてください、ということです。万人の万人に対する闘争状態の中で己を貫くのはそれなりに大変で、ともすれば流されがちになるでしょう。しかし周囲ばかり見ても仕方がないし、どうせなら楽しくやりたいですよね。意志がパワーを生むというファンタジーを自分は臆面もなく信じたいと思っていて、黒であろうが白であろうが、心からの意志に従って書かれたテキストは"目立つ"のです。きっとオーシマさんや星新一先生は、心にバスターマシンを持っていたに違いないのです。」

追伸

「『トップをねらえ!2』も最近観ました。甘く見てましたがすげえ面白かったです。」