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ファッキンガム殺人事件 RSSフィード

2007-11-11

第二回ファック文芸部杯へのお叱りについて

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「何件か批判をいただいたので、まとめて回答します。」

xx-internet としては、 anond での創作、及びそれを行うと表明することを悪とは考えていません。当然ですが。
立場は extramegane さんと mutronix さんのエントリと大差ないと考えていただいて結構です。」

悪意について

anond に創作を混ぜる行為が嫌われる理由として、一番のものは"読み手への悪意"だと判断しました。それが(xx-internet 個人の態度として)誤解であると主張してもいいのですが、参加者全般がそうだとは限らないので少し。」

ファック文芸部杯では悪意の行使を特に禁止していません。わたしの中の虎眼先生は別に止めよと申しておらぬといいますか。理由は以下 3 つ。」

  1. ネット上に悪意が存在しない場はない。少なくとも自分はそのようなユートピアの実在を信じていない。
  2. 匿名で何かを書く行為は認められるべきである。しかし作者の責任は消滅しない。
  3. ファック文芸部杯のルールに「ひとをきずつけるようなぶんしょうをかいてはいけません」と書きたくない。

「ひとつ。
まず、 anond は悪意なき場ではないため、創作が投入されることで白が黒になるわけではありません。したがって、問題は自ずから悪意の総量を増やしていいかという点に行き着くでしょう。これについては、書き手が増えることで悪意の比率が上がるとは考えておりません。変わらない、というのが自分の予想です。
これに対して、"事実を装った創作 = 悪意"と捉える見方があります。その観点に立てば、ファック文芸部杯anond 上の悪意を絶対的に増やすでしょう。」

2007年11月10日 y_arim y_arim blog, anonymous, neta ぼくがネタ・釣りに対して激怒するのは、書いた側に反応したすべての人間をメタな位置から嘲笑する悪意が透けて見えるからだ。区別をつけずとも、事実を装って虚構を書くのは読み手に不誠実な態度であると知れ。

はてなブックマーク - フィクションのことを嫌わないでいてあげてください - 論理兵站 - ファック文芸部

xx-internet はそうは思いません。数年前に"バーチャルリアリティは悪である"というキャッチコピーがありましたが、それに対する自分の意見は"小説家の言うことじゃないな"でした。事実を装って虚構を書くことは田山花袋や太宰治の時代から普通に行われているので、それだけで不誠実と断定してしまうのはもったいないことです。バーチャルリアリティであることと悪意とは独立した事象ではないでしょうか。」

「ふたつ。
匿名で何を書いていいか問題の分かりやすい例として、ファック文芸部杯参加者がはてな匿名ダイアリーで自殺予告したと仮定しましょう。彼または彼女が"いま、死ににゆきます"というタイトルで足摺岬に向かっていく様子をリアルタイムで書いていって 1000 オーバーのブックマーク数を獲得したとします。ファック文芸部杯のルール上、この行為は別に禁止されません。また、彼または彼女が 12/3 までに ID を明かして名乗り出れば、ファック文芸部杯は粛々と該当エントリに優勝を宣言します。それを以って彼または彼女が「私はファック文芸部杯の優勝者です!」と嬉々として主張できるのであれば、その方には「あなたの創作を嬉々としてお続けください」としか言えないですね。徹頭徹尾お続けください。三千世界の鴉を殺しながらお続けください。先人たちの努力の甲斐あって、わたしたちが暮らす Web ではまったき言論の自由が認められております。ファック 1984 !」

「みっつ。
ファック文芸部杯の追加ルールとして、悪意の釣りテキスト投下を禁じるとしましょう。その場合、実話に見える虚構を書くことは禁止です。差別用語も禁止です。性差ネタも禁止です。動物虐待も読者の気分を損ねるので禁止です。悲惨な話は読者のトラウマを刺激するかもしれないので禁止です。オタク話も一部の読者が嫌悪感を催すので禁止です。はてな匿名ダイアリーに負荷をかけすぎてはてなの中の人が休日出勤しなければならなくなったら大変なのでいろいろ禁止です。
……まだ続けた方がいいですか? 21 世紀にもなって行いを律するために架空の神様が必要ですか? あなたの中のジョンス・リーはその行いに鉄山靠をブチかましてはくれませんか? あと、"いま、死ににゆきます"は単純につまらないですよね。」

虚言癖への態度

「自分の虚実に対する感覚は、芥川龍之介のこれが頭にあるせいか、かなり緩めです。」

虚偽
わたしは或嘘つきを知っていた。彼女は誰よりも幸福だった。が、余りに嘘の巧みだった為にほんとうのことを話している時さえ嘘をついているとしか思われなかった。それだけは確かに誰の目にも彼女の悲劇に違いなかった。
わたしも亦あらゆる芸術家のように寧(むし)ろ嘘には巧みだった。が、いつも彼女には一籌(いっちゅう)を輸(ゆ)する外はなかった。彼女は実に去年の嘘をも五分前の嘘のように覚えていた。
わたしは不幸にも知っている。時には嘘に依る外は語られぬ真実もあることを。
告白
完全に自己を告白することは何人にも出来ることではない。同時に又自己を告白せずには如何なる表現も出来るものではない。
ルッソオは告白を好んだ人である。しかし赤裸々の彼自身は懺悔録(ざんげろく)の中にも発見出来ない。メリメは告白を嫌った人である。しかし「コロンバ」は隠約(いんやく)の間に彼自身を語ってはいないであろうか? 所詮告白文学とその他の文学との境界線は見かけほどはっきりはしていないのである。
芥川龍之介 - 侏儒の言葉

「 extramegane さんが書かれている"脳内で認識された現実と創作は区別がつかない"という視点に加え、 xx-internet は"創作は作者に復讐する"というささやかな持論に基づいて今回の企画を do しています。完全な虚構を書けるのは天才だけです。大抵の人は書けば書くほど自身の真実をさらけ出すことになります。ために、熟練した嘘つきは"あまり嘘をつかない"というソリューションを身につけるのですが、これは余談。」

まとめ。そうねえ。

「魂を売ってでも強いテキストを書きたいと願うのなら、それはその人なりの真実であり向かおうとする意志だと思います。戦ってお亡くなりください。」